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騎士の刃は曇りなく
登場人物一覧
魔種ベアトリーチェ・レ・ラーテによる強襲はその国を大いに揺るがせた。
絶対的に存在した正義という『誰の目にも見えぬ当たり前にあったもの』と『神』の存在そのものを疑わせるように死者の蘇生に寄る不和は国家そのものへと打撃を与えていったのだ。
暗澹たる冥府の闇が拭われた天義には煤に汚れた市街や崩れた瓦礫の後などが残っている。死者の蘇生という『機器』が過ぎ去ったと言えど愛する者たちが一度は蘇った事実という者は拭えず人々の心に確かな不安を残し続けていた。
天義の復興が為に尽力を。そう求められたのは天義で育ったアークライト家の者であるから当たり前の事だった。
街の清掃に人々の助けとなる様にと特異運命座標達の中でも協力するために訪れる者は多数いただろう。
リゲルもその一人だ。家名を隠さず、貴族階級として民を救う様に声をかけ続ける。騎士というのは『そういう存在であるべきだ』と彼は認識しているからだ。
『先輩の友達になってあげれば喜ぶと思――いたっ! せ、先輩、小突くのはなしです!』
ふと、頭に過ったのは再建の為に一斉でローレットが手伝いに出たその時のイルの言葉だ。
リンツァトルテと向き合って、シェアキム王が告げた自体の終息宣言であった『これから』の事。
自身らはしかと責任あるものとして――立場或るものとして立ち上がらねばならない。
これからの事を口にして互いにその目標に向かうその中で、少女が何気なく口にした言葉だ。
まるで子供の様な『おねがい』。突拍子もない言葉ではあるが、彼女にとっては再建の為に歩む第一歩として必要な事だと認識していたのだろう。
リンツァトルテはその時、イルを小突いただけであったが……
リゲル自身も共に天義の為に戦ったリンツァトルテと友人になれるならばそれはどれ程に嬉しい事かとも考えているが――どうすれば友人に鳴れるかというのは難しい。
リゲル=アークライト。彼自身は対外的に見ても『良い青年』だ。対人関係を常に気にかけて、人当たりが良い彼。そう言われれば彼は優しく素晴らしい青年なのだが、彼自身は相当不器用で朴念仁である。
ふと、イルと擦れ違った際に「あの時の言葉は?」と問い掛けたリゲルにイルは「ふむ」と首を傾げる。
「そのままの意味なんだ。だって、先輩は『コンフィズリー』家だろう。
不正義。誰も中身をしらないけれど、そうやってこの国には伝わっていたんだ。
……私は先輩を『尊敬』してるけど、皆は莫迦にしてたし、対等である存在は少なかったんだ」
それでも努力して騎士団にとどまっているから先輩はすごいんだぞ、とイルは笑う。
彼はコンフィズリーの青年だ。あの不名誉を背負った汚名の象徴。
この国では余りにも有名な不正義の存在。その『現在の当主』だ。そんな彼を正義を担う騎士たちがいい顔をしなかったのは当たり前か。それ故に、彼は只の一人でその重責を背負い続けていたのだろう。
ローレットと何か仕事をこなす際でもイルが常に先輩先輩と彼の名を呼び嬉しそうにしていたことも記憶に新しい。
「……私なら、きっと、そういう目で見られたら耐えられないかもしれない。
けど、先輩は強いんだ。だから、真直ぐやるべきことに進んでいく。な? すごいだろう!」
自慢気なイルは先輩自慢をしかけて、ふと、気付いた様にリゲルを見た。柔らかな笑みのリゲルを見てイルはぽつりぽつりと言葉を続けていく。
「……先輩はみんなの前で余りに笑わないから。きっと、それはすごい寂しい事だと思う。
あ、でも、先輩の笑った顔はとっても素敵でかっこよくって――ううんっ。だから――特異運命座標(センパイたち)なら先輩の友達になってくれるはずだって思うんだ」
少し私情が盛られ過ぎてはいるがリンツァトルテの事を真剣に心配している事は伝わっては来る。
リゲルに「先輩をよろしく!」と手をひらひらと振ったイルは信じているとでも言う様に微笑んだ。
……そう思いだしながらも、どうしたものかとリゲルは悩み続けている。
復興のための任務をいつも以上の速度で片付けて、日が傾き始めた頃にリンツァトルテを見かけたリゲルは走り寄る。
友人になる? どうやって?
これはリゲルなりの最適解。ならば、これしかないという勢いで「リンツァ様!」と声をかけた。
「……どうかしたか?」
「リ、リンツァ様……いや、リンツァ。俺と手合わせ願えませ……願えないだろうか!?」
ぜいぜいと肩で息をしたリゲル。彼が選んだ選択肢は『剣で語らう事』であった。
きょとんとした様子のリンツァトルテは何か難が得る仕草を見せた後、小さく笑う。彼の脳裏にも猪突猛進ガールたる後輩が浮かんだのだろう。
あと少し残った任務をこなしてからならばOKだという言葉を受けてリゲルは「それじゃ、ここで!」と任務報告の為に走りだす。
漸く得られる機会だ。これを逃しては友人関係を築く事は難しいかもしれないとリゲルは認識していた。
リンツァトルテは「手合わせなら何時だって」と楽し気であったことから、稽古所に向かうのが楽しみだとリゲルは心を躍らせた。
イルの言を想像すればリンツァトルテは自身と対等に稽古をつける相手もいないのだろう。レオパルがそれなりに彼に好意的であったことから騎士団員の地位に甘んじてはいる様だが――彼を慕う後輩イルの姿しか彼の周囲には余りに見なかったことから、こうして剣の手合わせや稽古に誘う事だけでも彼にとってはビックイベントか。
それでは責任重大だなとでも言う様にリゲルは小さく口元で笑った。早く仕事を終わらせて彼との手合わせに臨もう。
丸い月が昇っている。稽古所には人影はなく、リゲルとリンツァトルテの二人だけだ。
騎士としての衣服に身を包んでいたリンツァトルテは「真剣で構わないか」と顔を上げる。
「ああ……リンツァがいいなら」
「では――!」
一気に間合いが詰められる。リンツァトルテが剣を振るう様子はリゲルとて見た事があった。
癖のある変則。それはリゲルの太刀筋とは対照的だ。
リゲルの太刀筋は父・シリウス譲りの真直ぐな者。それが彼の信ずる正義であるように揺るぎはない。
流星の如く振り払い、真一文字に払い、想いをぶつけるような突きを受け止めるリンツァトルテの刃がぎり、と小さくなった。
「この剣は父上より学んだ。
天義で学んだ、そして魔種となった父上を目で盗んだその剣筋はいつだって真っ直ぐだった。
父上の想いを継ぎ、そして自分自身の信念を携え――そして澱みないこの剣で、心で、天義を復興させる」
「ああ、シリウス殿は確かに真直ぐな太刀筋だった」
それは魔種であろうとも、とリンツァトルテは続けた。距離を詰める。その黒い瞳が尾を引く様に軌跡を描いた。
リゲルの真直ぐの太刀筋を受け止めながらもリンツァトルテはに、と笑う。
彼の剣は変則的だ。それはただ正直に剣を振り下ろすリゲルに応えるためのものか。
(――ああ、確かに良い『先輩』だろう。イル様を教育するうえでこれ以上にない程に『剣を受け止め慣れている』)
旅人と貴族令嬢の娘。愛に生きた家庭に生まれた天義に染まり切らぬ少女を指導する天義の大罪人の息子――没落貴族『であった』コンフィズリー。
彼と彼女の二人は互いに支え合う様にして研鑽してきたのだろう。その刃がぶつかり合うだけでリンツァトルテという青年の事が分かる気さえしてくる。
「剣に乗せるんだ。この先訪れる脅威……新たに生まれるだろう闇を斬り払うという思いを込めて。
――リンツァはどうだ? イェルハルド様から何を学び、何を受け継いだ? その心は剣に宿っているはず。さあ、見せてみろ!」
リゲルはその思いを感じ取りながらもっと、と乞う様に声を張り上げた。
「さあ、リンツァの想いを、思い切りぶつけてこい!!」
「ああ……リゲル。騎士として、剣に思いを乗せる!」
ひゅ、と音を立てた刃の向きが瞬時に変化した。隙をつく様にとその身を反転させて距離を詰める。咄嗟に剣の柄を手にして受け止めて、間合いを無理に詰めたリンツァトルテを弾く様にリゲルは力強く其の儘押し込んだ。
「剣の軌跡が真直ぐな者もいれば、曲がる者もいる。
どのようなものであれ、どのような『正義』であれ、俺はそれを否定しない――誰かを護る。これ以上に素晴らしい正義があるか」
「いいや、ない」
「ああ! だから、毀れぬように護るが為。それが父上が残した『軌跡』だ」
イェルハルド・コンフィズリーがその背で語った様に。シリウスを護るが為に『正義』を振り翳したように。
リンツァトルテ・コンフィズリーもまた、その正義を引き継ぐ様に刃を振るう。
「正義に猛進することもよし。けれど、それだけでは、何も救えないんだろう!」
悲痛なるリンツァトルテの言葉にリゲルは唇を噛んだ。彼は、正義に実直だった。天義の騎士だった。
ローレットに所属する以上、リゲルにとっての理不尽は『依頼人のオーダー』によって降りかかる。
しかし、天義の騎士団に居るリンツァトルテにとっては正義とは神の意向。疑う訳もなき全て。
彼は――リンツァトルテは初めて『正義とは誰かの思惑の上に或る』事を認識したのだ。
「天義(このくに)は呆れるほどに陳腐だ。正義なんて分かりやすい大義名分のもと、私利私欲を振り翳していた。
それを、変えていかねばならないんだ! 譬えどれ程曲がりくねろうと、その道を進む事を決めなければッ」
「ああ。……それが『遺された者』の使命だ!」
父が自身を護った様に。
父が誰かを護った様に。
二人は、父の背中を追い掛けるでもなく、ただのひとりの男として刃を交え続ける。
ヒュ、と風切る音と共にリンツァトルテの頬が避けた。次いでリゲルの髪が僅か宙を踊る。
間合いを詰めて、そして離れて。鈴鳴る様に何度も刃を交え合う。鉄の重なる音が鋭くなり、離れた。
キィン――
刃が音を立て宙を踊る。その儘どすり、と訓練所の床に刺さるその軌跡を眺め、月を半分に切ったような雲が影を作った。霞む空の下、俯くリンツァトルテは小さく息を吐く。
「正義とは、なんだろうな」
――信ずるものは、あの晩に変わってしまった。
美しい白薔薇の咲き誇る気配が生きる者の道を拓いていく。砕け散ったような『胡乱な正義』を搔き集める様に、声を枯らす者もいれば絶望する者もいた――世界は、どうにも理不尽で、父の事を『許してほしい』と乞われたその時に何を莫迦なとリンツァトルテは思った事だろう。
イルが言っていた。「先輩は先輩らしく生きてください。私はそんな先輩に憧れたんだ」
そうだ、父の後を追い正義を追い求めるだけならば彼はリゲルではない、実の父を赦すことはできなかっただろう。だが、真実は確かにそこに横たわっていて。
彼は、リンツァトルテは『自身で考えた』
汚名が何だと言う様に彼は救いの剣を手にする道を選んだ。強大なる存在にさえ近づくことを厭わなかった。
その時の勇気をもう一度。対等に話せる相手は決して英雄ではない――一人の人間であると認識し直すべきだとリンツァトルテは息を吐く。
だからこそ、彼は真直ぐにリゲルを見るのだ。
「ありがとう」
「……え?」
「剣を打ち合わせると霞掛った考えもはっきりとするものだな。
ローレットに感謝ばかりで、『英雄』だと。一人の人間と認識していなかったなど、莫迦だった」
リンツァトルテは照れくさそうに笑ってリゲル、と彼を呼んだ。
英雄(リゲル)ではない、友人(リゲル)を確りとみて。
「また、手合わせをしよう」
ゆっくりとリゲルは頷いた。彼は、自身を見ている。友人として、親愛を抱いて、確かなその気配で感じる。
「再び天義に危機が訪れたら……いや。リンツァが何か困ったことがあれば、その時は駆けつけるから」
リゲルの差し伸べた手をしっかりと握りしめて、リンツァトルテは柔らかに笑った。
ふと、頭に浮かんだのは先輩は素敵な笑顔なんだと夢見がちに語った少女の姿。
その笑みにイルの言っていたことは本当なんだなとぼんやりとリゲルは考える。
「……何笑ってるんだ?」
「いや、イル様がリンツァの事を褒めていたから」
「……イルが褒めるのは何時もの事だろう」
それに、とリンツァトルテはどこか罰が悪そうな表情を見せる。
イルに様を付けると調子に乗るから呼び捨てで構わないとリンツァトルテはふい、と顔を逸らした。
イルが真正面から褒める事が照れくさい事もあるのだろうが――自身と共にイルも対等な友人に慣れればと考えたのだろうか。青年はとことん不器用だ。言葉にすればいいものを、どうにも『上手く言えない』のは自身と同じだろうか。
「困った際はお互い様だと思う。だから、俺も手を貸そう」
それまでは、この国を支えて見せるとリンツァトルテは力強くいった。
彼女やポテトを交えて話せばまた違うリンツァトルテが見れるだろうか、なんて考えてリゲルは「これからもよろしく」と固く握手を交わした。
観れば雲は晴れて居て。地に落ちた刃は美しい光を反射していた。
曇りなき空に負けず劣らずの刃は只、これから先の眩い未来を現すかの如く。