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救世主なんて消し炭だ
登場人物一覧
生きている理由なんて、何処にも無かった。
駄々を捏ねるようにテーブルの上の人形を無造作に投げた。
それだけで、世界は容易く壊れていった。救世主になんてなれやしない。
そんな『私』に――生きている理由なんて、どこにもなかった。
生まれてきた以上は無為に呼吸を繰り返す。体内の血流を廻らせて心臓を動かした。それだけで生きている。
生まれてきた以上は弁えて勉学に勤しんだ。言葉を話しコミュニケーションを取った。それだけで生きている。
そうして、気付いたら使命が降って湧いてきた。決めつけられた生き方が、生きている理由になって仕舞った。
たった一人の体で、無数の命を守るために生きることを宿命付けられた。
『鳴』はそういう存在だったから――
「やあ、レディ・フィアンマ。ご機嫌如何?」
背後には長い銀髪を一つに結わえた女が立っていた。嬉嬉として微笑んだ彼女のエメラルドの瞳の『生きている喜び』が酷くいらついた。
「……そんな名前じゃない」
「ふふ、そうだったね。美しき炎。世界の終焉を求める、紅き憎悪。ぼくは君のことが愛おしくて堪らないのさ。
別に誰に言われてきみと一緒に居るわけじゃないけれど、きみが何をするのか。きみが何を考えるのか。ぼくは恋するように君を追いかけている」
饒舌に、そして、詭弁ばかりを連ねる彼女は『享楽』のアタナシアと名乗っていた。アーシャ、アーティ、好きなように呼んでくれと求める彼女の事をそう呼ぶことも出来ない儘、女は――『ホムラミヤ』はアタナシアと呼び掛けた。
「五月蠅い」
「つれないね」
「……何処かへ行って」
「どうして? レディ・フィアンマ。君は何をしにゆくんだい? 君の行う全てが気になって堪らない。
愚かなぼくに君のことを教えておくれよ! どこの街を燃やし尽す? それとも、誰かを殺すのかい? ふふ、お手伝いしたって構わない」
そっと指先を掴み上げて微笑んだアタナシアにホムラミヤはふいと視線を逸らした。燃え滾る狐の耳と紅の気配を纏った金の髪を彼女は美しいと褒め湛える。
甘ったるい言葉など求めては居ない。ホムラミヤは何時だって『この世界を壊す』事だけでその思考を支配されているのだから。
故に、ホムラミヤはカムイグラを後にした。世界を壊す火種を残す為に、様々な場所に向かった。幻想に、鉄帝に、天義に、海洋に、ラサに、深緑に、練達に……。
そうして、火種を残してきた軌跡をアタナシアは丁寧に一つずつ確認し、追いかけてホムラミヤを揶揄う話の種にしているのだろう。
魔種同士でありながら『やけに気易く、友人のように話しかけてくる』アタナシアの事をホムラミヤは厭うていた。厭いながらも、一人きりに怯え彼女の同行を許してきたのだ。
交す言葉は少なくて良い。彼女が話し続けるのならばホムラミヤは黙していても大して支障は無いはずだ。
「五月蠅い」
「ふふ……何時だって、君はそうやってつれない返事をするのさ。嫌いじゃないよ、むしろぼくはそんな君を愛おしく思っているんだ」
くすくすと笑うアタナシアは冠位魔種『色欲』のルクレツィアの側近を名乗っているらしい。盲目的にルクレツィアを愛する色欲の魔種である彼女がホムラミヤの側にこうして遣ってくるのは『ホムラミヤ』を利用したいが為である。
ルクレツィアは幻想を中心に行動している魔種ではあるが、彼女は一定の地域に拘らず様々な場所に首を突っ込むことがある。例えば、だ。彼女の子飼いである魔種リュシアンが深緑や、ラサ、カムイグラでその活動を観測されたことがある程に。様々な場所にちょっかいを掛けては場を掻き混ぜる。その一要素にホムラミヤを当てはめたいというのだろう。
「ああ、ホムラミヤ。君が『反転』させていた魔種たちだけれどね、『おかあさん』である君のことを探し求めているようだよ。
可哀想に。君も彼等彼女等を愛してやればいいじゃあないか。そんなにも中途半端に放り出して、その火種を燻らせて……君の知らないところでその火が燃え上がるかもしれない!」
「構わない」
「言うと思ったさ」
ふい、とそっぽを向いたホムラミヤの髪を一掬いしてからアタナシアは楽しげに微笑んだ。
「ねえ、ホムラミヤ。ぼくのレディ。君の炎で燃やして欲しい場所が在ると言ったら?」
「……」
「君は断れない。何故って、ぼくのお願いなんかじゃない。君はこの世界全てを壊して壊して、壊し尽したい筈だ。
だからさ。君がこの世界を壊したいと願う限り、ぼくの手を離すことは出来ない。さ、次は何処で『可愛いこども』達を探す?」
くすくすと笑ったアタナシアにホムラミヤは答えなかった。
そうやって幾人もの人生を狂わせた。『反転』という世界の終わりに導くように。それが救いではないことを知りながら。
鳴の頃の使命を忘れ去ろうと、幾人もを狂わせて、狂わせて、狂わせて。壊世の炎に魅入られた『可哀想なこどもたち』を作り上げた。
「ねえ、ホムラミヤ。ぼくのレディ。かわいい君。
君には戻る道もないのだから、諦めてお終いなさい。もう『イレギュラーズ』という連中なんて、どうでもいいだろう?」
「……」
「まさか! まさか、まさか、この後に及んで、君は、ホムラミヤは『イレギュラーズ』に気があるってのかい?
ぼくも幻想で君の友人と『お話』したのさ。確かに強い。強いけれど、同時に酷く脆い存在だね。生きることに理由を求めていたのだから!
理由を求めているんだよ? 君に『理由を押しつける』んだよ? なら、ねえ、可笑しい話じゃあないか。彼等は、彼女等は君に屹度こう言うのさ。
大丈夫だよ。戻ってきて。もう一度、やり直そう――『鳴ちゃん』!
私達がここに居る。一緒に過ごした時間を忘れないで! ――ねえ、『鳴ちゃん』!
君に大いなる使命を課して、足枷を嵌め、兄と姉、そして母から引き離してまでも人民を救うことを求めるのさ!
そんな奴等に、まだ期待しているのかい? まだ絶望しきってないのかい? そんな姿になってまで。皆が知る『鳴ちゃん』じゃなくなってまで!」
「……そう……。
もう、戻れない。壊すしか、ない――ない、のに」
それでも、脳裏にちらついたのは『鳴』を呼び止める仲間達の声だった。
アタナシアの言うとおり『本当は鳴じゃないのに、名を奪われた哀れな少女』は彼等の許に戻れば『鳴の使命』を背負うのだろうか。
ホムラミヤはぎゅ、と目を閉じた。
『私』が『鳴』だった時の話は――
助けて下さいと求める声がした。日向は『鳴』だから、無辜なる混沌で無数の民を救わねばならなかった。
どうしてと泣き叫ぶ声がした。日向は『鳴』だから、無辜なる混沌で民の涙を拭いてやらねばならなかった。
そうして責務を担って一人きりだった。
あの日、母の声を聞いた。母の優しい呼びかけが――日向、と呼んだ。
陰日向に過ごしてきた『本当のわたし』を許してくれた様な気さえした。仲間達の制止を振り切って、母の腕に抱かれたいと願ってしまった。
危機迫るカムイグラの事なんてどうでも良かった。そう思ってしまった自分に酷く嫌悪した。
もう、どうでもよかった。
救いの炎なんてない。
「行こう。ぼくのレディ。君の美しい炎を見せておくれ。ぼくと、そして偉大なるルクレツィアさまの為に」
壊すだけしか出来ない私しかここには居ない。
「さあ――素晴らしい世界の幕開けだ」
だから、