SS詳細
血塗れ狂騒。或いは、Will you 斬 me?
登場人物一覧
●刃鳴
しゃらり。
鞘の内を刃が走る音がした。
刹那、彼の世界から一切の音が消え去った。
心臓の鼓動も、乱れた呼吸も、金網の向こうで拳を振り上げ叫ぶ観客たちの怒声も、何もかも。
「っ……!」
それは判断と呼べるほどに上等なものでは決してなかった。
危機に際して、本能が彼……玄緯・玄丁 (p3p008717)の身体を突き動かしたのだ。
転がるように、或いは跳び込むように前へ。
それでも避けきれず、額から伸びた角に強い衝撃が走る。桃色の髪も、そのひと房が切断されてはらりと舞った。
「んふー、速いねぇ、見えないねぇ?」
嘲るような笑みを浮かべて玄丁は言う。
にぃ、と吊り上がった口角からは、唾液に濡れた牙が覗いていた。
影の纏わりついた刀を低く構えたその姿勢は、まるで獲物に跳びかかる寸前の獣のようだ。
「よく躱す……いや、上手に受けますねぇ」
一方、相対する鏡 (p3p008705)はというと、どこか軽薄な雰囲気で玄丁の視線を真正面から受け止める。
僅かに腕の位置を低く留め置くだけで、構えらしき構えを取ってさえいない。
つい先だって、必死の居合を放ったばかりだというのに“それ”なのだ。遠巻きに2人の死合を観覧している観客たちの呆けた目には、彼女が何をしたのかさえも理解できてはいないだろう。
「鏡おねーさんが手を抜いてくれているからねぇ。手加減してくれてなきゃとっくの昔に瀕死になってそうだよ?」
なんて、鏡の問いに応を返したその瞬間。
鏡の意識が、玄丁の言葉へ向いた刹那の隙を潜るように、彼は地面を踏み込み跳んだ。
「……っ!」
鏡は僅かに身を傾けて、玄丁の放つ下段の斬りつけを回避した。
否、回避したはずだった。
一拍の間を置き、鏡の鼻から額にかけてがパクリと割れる。滴る赤い血を舐めとって、おやぁ? と首を傾げて見せた。
ほんの数センチほど、身体の位置が前にあれば裂かれていたのは、鼻ではなく喉だっただろう。紙一重というには些か厚いが、それでも十分、命を狩り取るに足る一撃であったことは間違いないはずだ。
ともすると、歴戦の剣士でさえも冷や汗を禁じ得ないその斬撃を受け、しかし鏡は笑っていた。
「あれぇ? 玄丁くん、今……『獲ろう』としましたぁ? 駄目だめダメ、そんな顔しても今夜はダメな日なんですからぁ」
「そっちこそ、そんなに本気の殺気漏らしてぇ」
一閃。
言葉と共に繰り出された斬撃を、鏡は居合で打ち落とす。
それから、ほんの一瞬、彼女は“らしくない”呆けた顔をしてみせた。
「……あ、そっかぁ」
ポツリ、と。
零した言葉の向かう先は、鏡自身の本能へ。
次いで、彼女はにぃと口角を吊り上げて、どこか淀んだ黒い視線を玄丁へと送る。
しゃらり。
その音が鳴り響くのはこれで2度目だ。
静かな、幽かな鞘鳴りが、玄丁の耳朶を震わせた。
「誘ってるのは、笑ってるのは……私かぁ……っ」
口角を限界まで吊り上げた、ひどく不気味な笑みだった。ぞくり、と玄丁の背筋に怖気が走る。
本能のまま、玄丁は1歩、後ろへ下がった。
瞬間、彼の胸部からぱっと血飛沫が飛び散った。
●据え膳
ところは幻想。
知る者の少ない地下闘技場。
とある貴族が道楽のために造ったものだ。
貴族の“良い趣味”により不定期に開かれるその催しは殺し合い。闘技場に立つ2人の闘士が、互いの命を報酬とし、斬り合い、殴り合うというものだ。
勝者は常に1人だけ。
勝者だけが、生きて闘技場を出られる。
貴族によって集められた観客たちは、血で血を洗う闘士たちを、ある者は酒の肴に、ある者は賭けの対象として、ある者はどこか熱の籠った眼差しで観覧する。
今宵、2人が相対するは、そんな風ないかにも“人目をはばかる”類の場であった。
地面を這うようにして、玄丁は鏡の懐へ潜る。
零れた血が、床に赤い軌跡を描いた。
下段からのかち上げ一閃。強引に軌道を変えた袈裟斬り。さらに跳び込むようにして放つ刺突。
そのことごとくを鏡は紙一重で回避してみせる。
「やって良いかな? 良いよねぇ? 本気にさせたのは君の方なんだからぁ!」
腰の鞘に刀を納めて玄丁は言う。
返事はいらない。
剣士と剣士が相対したのだ。
言葉を交わす時間は惜しい。
刹那の間に刃を交えれば、互いの意思など長年連れ添った老夫婦よりも明瞭に疎通できるからだ。
「飛べよ鴉、黒く潰せ。歌えよ泣女、血に笑う狂言を!」
抜刀。
溢れた影が、刀の軌跡を歪ませる。
鏡の腹部に深い裂傷が刻まれた。踏鞴を踏んで、数歩後ろへ下がる鏡を、獣の獰猛さでもって玄丁は追いかけていく。
剣の腕は未だ足りぬ。
しかし、執念と殺意でもって鏡に食い下がり、傷を負わせる。その様を、見る者が見れば修羅の姿を想起するだろう。互いに血に濡れ、しかし動きを止めることなく、斬り結ぶ。
いつまでも続くかと思われたその戯れを、終わらせたのは鏡であった。
数歩、大きく後ろへ跳んだ鏡はそこで、初めて構えを見せたのだ。
腰を低くし、刀の柄へと手を添える。
「一刀、音抜き」
玄丁は構わず駆け込んだ。
速度をあげるためか、刀は鞘に収まっている。
「一閃、光超え」
腰を切って、柄を握る。
あと数メートル。
「我が一太刀は全てを……」
鏡の居合が玄丁を裂く、その寸前。
渇いた銃声が、2人の死合に割り込んだ。
●修羅
本来ローレットのイレギュラーズ同士の戦闘はご法度である。
しかし、依頼の内容如何によっては上記の法より解放される場合がある。
例えば、今回がそれだ。
「よぉ、お前ら、裏に忍び込んだ連中の仲間だろ? どこで落ち合う予定になってんだ?」
大口径の銃を片手に現れたのは、雄牛の特徴を色濃く残した獣種の男だ。
地下闘技場を持ち主である幻想貴族、その護衛隊長である。
「言っておくが、尋問なんて手緩い真似はしねぇ。俺がやるのは、最初っから拷問さ。とはいえ、俺も鬼じゃねぇ、大人しく吐くなら傷めつけずに殺してやる」
鏡の額へ銃口を向け、雄牛は言った。
どうやら、別ルートで地下闘技場の顧客リストを奪いに行っていた仲間たちが見つかったらしい。無事に顧客リストを奪って逃げるまでは出来たようだが、それと同時に鏡と玄丁が仲間であることはばれてしまったようである。
「興冷め、いえ……むしろ良かった」
雄牛の背後には数名の屈強な男たち。
さらに闘技場を囲むように、四方から続々と雄牛の手下が姿を現す。
「……ふふ、デザートの踊り食いだねぇ?」
「えぇ、イキましょう、ヤリましょう、今日は質より量で」
雄牛たちを睥睨し、鏡と玄丁は一瞬視線を交わして笑んだ。
獣のような、或いは血に狂った修羅の如き暗い笑みだ。
「今日はいっぱい殺せますね」
「今日はいっぱい殺せるね」
しゃらり。
微かな音がして、雄牛の首が地に落ちる。
噴水のように噴き出す鮮血を浴びながら、玄丁は駆けた。
荒々しい、抉るような斬撃の雨が当たるを幸いにと、首を腕を斬り落とす。
血と臓物の異臭が漂う中を、嬉々として駆けるその様は悪鬼。
地獄というものが、果たしてこの世にあるのなら、それはきっとこのような場所なのだろう。
都合30人。
2人がその日、斬った“人”の数である。
おまけSS『おまけSS。或いは、時よ止まれ…。』
時よ止まれ。
かつてどこかの魔術師は、そんな風に悪魔に願った。
けれど、時間は止まらない。
ゆえに、楽しい時間にもいつか終わりが来るものだ。
ぴちょん。
玄丁の手にした刀の先から、血の一滴が床に零れた。
赤。
見渡す限り、一面の赤。
その中に転がる肉片と臓物、それから“誰か”だったもの。
「んぅっ……もう身体が火照っちゃって。危うくイレギュラーズでいられなくなるところでした」
血に濡れた顔を、艶やかな手つきで拭った鏡はほぅと熱い吐息を零す。
「ふふっ楽しかったねぇ?」
抜き身の刀を床に突き刺し、玄丁は血溜まりの中に座り込む。
尻が血に濡れることも厭わない。なにしろ既に、彼の身体は余すところなく真っ赤に濡れているのだから。
攻め込んできた男たちの返り血。
そして、自身の流した血だ。
30人もの敵を相手にしておいて、無傷で済むはずもない。
鏡にしろ、玄丁にしろ、これ以上の戦闘は難しい状態にあるのだろう。
「でも、鏡おねーさんに斬られた傷が一番痛かったな。この痛みは一生忘れないよぉ」
額の傷を指でなぞって、そんな風に告げる彼を見やって、鏡は笑った。
それは、どこまでも優しく、愛でるような。
とてもとても、綺麗に澄んだ笑みだった。