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天高く豊穣が秋、鳥居くぐりて美味しい街へ
登場人物一覧
●高天京の食べ歩き女子会
もう昼とはいっても涼しさを感じる秋の風、けれど誰かがしまい忘れたのか、ちりぃんと鳴る風鈴はむしろ風情を感じさせる。
長い腰掛けの真ん中には、彩りもよく漆塗りの桶に盛り付けられた寿司に、それに並んでお吸い物と茶碗蒸し。それを挟んで左右に浴衣姿のレイリー=シュタインは升酒を、アイリス・アニェラ・クラリッサはお茶の湯呑を手に視線合わせてにっこり微笑んだ。
「かんぱーい!」
こん、と木の枡と陶器の湯呑が合わさって。
「ネオ・フロンティアの海鮮も美味しいけど、カムイグラのも流石よねぇ」
ヒラメにブリ、カレイにタイ――白身魚だけでもそれぞれに違う味わいを、生、炙り、昆布締めとさまざまに調理したカムイグラ名物の握り寿司を頬張って、きんと冷えた清酒を一口。寿司屋の大将のおすすめ通り、白身とよく合う辛口の香り高い味わいに、レイリーはほうと満足げに息をつく。空色の布地にそれよりは濃く大ぶりの花を染めた浴衣は、軽くまとめて流した金髪ともよく似合う。
「調理法なんかも全然違ってて、面白いですよね~」
秋の日差しにきらきら輝くイクラは今年の初物で醤油でさっと漬けたもの。脂の乗った鮭の寿司の隣にはさらに秋刀魚や鯖が綺麗な赤身と銀の皮を見せている。次々に手の平に開いた口で味わって、脂を一度流すようにお茶を一口。顔の方の口元を綻ばせて楽しげに笑ったアイリスは、長い黒髪を一つに結って臙脂の地に白と薄紫の小花を散らした浴衣姿だ。ちなみに着付けはレイリーがした。
お吸い物と茶碗蒸しの出汁は秋らしく香り高い松茸、紅漆細工の匙で淡黄色の卵を割れば、百合根、栗、野鳥の肉、と次々出てくる具材はまるで宝探し、互いにこれが見つかったと盛り上がる。さらに可愛らしく鞠麩の浮いたお吸い物を飲み干す頃には、すっかり二人分の寿司桶も空になっていた。
最初の一杯には多いつまみだが、レイリーとアイリスにとってはまさに前菜。片付けに来た女中に礼を言うと、からんころんと草履を鳴らして二人は次の美食を探して高天京の通りを歩みゆく。
「天ぷら揚がったよー! 揚げたての天ぷらだよ!」
客引きの声を耳にして、レイリーとアイリスは顔を見合わせ頷いた。天ぷらは揚げたてが一番、次の料理はこれに決まりだ。
屋台で揚げた天ぷらは、食べやすいように串に刺してあって軽く塩を振ってくれる。
「ええと……キス天に、イカ天は聞いたことがあるけど……」
「紅生姜って、さっきのお寿司で食べたガリと同じ、ショウガの漬物ですよね~」
見合わせた目がお互いに、頼むしかない、と頷いていた。「こいつは西の方の街から人気が出たやつでね」と言いつつねじり鉢巻の店主が紅生姜の天ぷらを取り分けてくれる。他にも海老に帆立貝に野菜のとりどり串、他にも何かと探せば雉肉や兎肉の天ぷらもあるのを見つけて、迷わず付け加えた。
「姉さん達よく食べるね! ほら、こいつぁおまけだ」
レイリーが受け取った大きめの紙筒に入れてくれた串つきの天ぷらとは別に、手が空いているアイリスに差し出されたのは丸っこい天ぷらが2つ乗った紙包みだ。
「ありがとうございます~。店主さん、これは~……?」
首を傾げたアイリスに「まぁ食べてくんな」と店主はおちゃめ顔でウィンク。
「溶けちまうから一番に食べとくれ!」
その言葉にアイリスは包みを持つのとは逆の手の口に、レイリーはひょいと手で摘んで、頬張り噛み締めた天ぷらから覗く予想外の食感と味に、2人は思わず目を丸くした。あっはっは、と笑って店主が「舶来もんのアイスクリンってやつを天ぷらにしたんだよ」と教えてくれる。とろけるような甘さと衣の熱さにアイスの冷たさのハーモニーに、レイリーとアイリスの頬が緩む。
そして向かいの茶屋へ飲み物を調達に。そこでは梅漬が自慢で、レイリーは氷入りの梅酒、アイリスは炭酸水で割った梅シロップを頼むことにした。近くの屋台からの持ち込みもできると聞いて足を進めた店の中には、確かに天ぷらはもちろん、あちこちの屋台から買ってきた料理を美味しそうに食べる人で繁盛している。
合いた席を見つけて座り、二度目の乾杯も早々に天ぷらへと手を伸ばし。
「ん、やっぱり揚げ物に白身魚は定番ね」
薄めにつけた衣がさくりと弾け、あっさりした塩味と共にまるでとろけるように口の中で白身魚がほぐれる。
「ん~! ジビエだからですかね~、味が濃厚です~」
ほんのり香辛料の下味がついた雉肉は、噛むたびに旨味が広がり少し厚い衣と良く合う。
兎肉は柔らかくも弾力があり、旬の野菜は塩と衣に素材の甘さが引き立って。ぷりっと弾けるような海老、旨味の凝縮されたイカ、熱々のままほぐれる帆立貝――新鮮な素材と揚げたての美味しさは、塩味だけでも飽きない。
「あら、さっきのガリとはまた違う味ですね~」
「甘みじゃなくて塩っ気があるのね、口直しにはぴったりだし……」
続きは言葉ではなく、くいと傾けた硝子の器で。琥珀色の梅酒はさっぱりとして、油っぽさを流しつつ塩味とメリハリ効いた甘みがレイリーの口の中にじんわりと広がる。ちょっと濃い目の酒精もまた一興。
「はぁ~、これは合いますねぇ~」
器の口を指で包むように持ち、器用に掌の口で梅シロップの炭酸水割を飲みながらアイリスが感嘆の声を上げる。まだ酒は飲めなくても、梅酒と梅シロップならば同じ素材の味わいを楽しむこともできて、嬉しそうに笑ってさっぱりしてますよね~、とか甘くて美味しいです~、と一口ごとに感想を話すアイリスに、レイリーも楽しそうに頷いた。
ちなみにアイリスが成人を迎えるのは12月。そうしたら一緒に飲みに行く約束だ。
その前祝いみたいな気分になって、なんとなく二人は互いの器をまた合わせる。
きんと澄んだ硝子の乾杯が秋の高い空に響いた。
●髪を飾るは豊穣の思い出
浜焼きにおでん、時には団子や饅頭と甘味にも手を伸ばして。
だいぶお腹もいっぱいになってきた二人が歩いているうち、食べ物の店や屋台から衣服や装飾品を扱う店や露天商へと左右の光景は移り変わっていた。
「こっちの土産物とかは他の国とは意匠が随分違うし、何か買ってみたいわよね」
「そうですね~、アクセサリーとか、普段遣いかちょっとしたお洒落に使えるといいんですけど~……」
あちらの屋台では動物の根付が愛らしく、こちらの店は呉服屋で刺繍模様の着物が名物――あれが可愛い、これが綺麗と言い合いながら歩いていたレイリーとアイリスの足が、同じタイミングで止まった。
「わぁ、これは綺麗ですね~」
「簪……だったわよね。しっかり結い上げる時に使えそう!」
入り口から覗けばきらきらと輝く髪飾りがいくつも並べられているのが見えた。金銀細工にちりめんの花、紅玉や碧玉、真珠の他に、知らない宝石の名前もある。それぞれ日に輝く黄金と烏の濡羽が漆黒の長い髪を持つ二人には、髪飾りはいくつあっっても嬉しい装身具の一つ。頷き合って店の中に歩を進めれば、さらに色々な飾りが広がる空間にレイリーとアイリスは思わず同時に感嘆の声を零す。
「あら、いらっしゃい。可愛らしいお嬢さん達ねえ」
微笑んだのは真っ白な髪を結い上げた優しげな老婦人で、べっこうの櫛がその髪を飴色の光で飾っている。
「お二方とも、綺麗な
「ありがとうございます~」
「本当に綺麗、見て回らせてもらうわね」
素材もいろいろ、装飾もいろいろ――視線巡らせるたびに目を奪われながら、レイリーとアイリスが足を止めたのは様々な簪のコーナーだった。後ろから「まとめるのに使うなら一本簪、他のでまとめてから飾りにするなら二本簪がいいのよ」と老婦人が目尻を下げる。
「よかったらあとでまとめ方も教えてあげましょうねえ」
「それは嬉しいわ、ありがとう!」
「わぁ、ぜひお願いします~」
振り返ってぱっと笑ったレイリーとアイリスに、ますます老婦人が笑みを深めて頷いた。再び商品棚に向き直ったアイリスは、花簪に引き寄せられるように目を奪われる。色褪せないようにか窓や入り口の外からは見えなかった場所だ。色とりどりに咲く布の花に、虹色の瞳がきらきら輝いた。
「クロッカスか、シオンの飾りがないかな~……あ!」
ぱっと目に入ったのは、浴衣の花びらと同じ色合いの薄紫に細糸で花芯を象った一重の花を、いくつかまとめた小さな花束のような簪。足の部分は艷やかな紫檀で、アイリスの黒髪にもしっくりと馴染みそうだ。
「わ、綺麗。これ、珊瑚なのね……」
レイリーがそっと覗き込んだのは、光を弾くような真っ白からほんのうっすらと薄桃色に、グラデーションに色づいた白珊瑚の玉簪。足の部分の金属も薄紅がかった淡い金色の真鍮だ。レイリーの色の柔らかな金髪と紅の瞳によく似合いそうな、そして装いの色も選ばず使えそうなシンプルなそれを、レイリーはそっと手に取った。
「決まったのね、それなら結い上げ方を教えてあげましょう、一度覚えれば簡単にまとめられるのよ」
会計を済ませたアイリスとレイリーに、さらりと老婦人は己の髪を解いて一本の飾り気のない銀の簪を手にとった。
「ほら、見ていてね」
くるり、長い髪が魔法のように巻き取られ、すっと差し込んだ簪一本で綺麗に留まる。わ、と思わず声を上げた二人に「解くときは簪を抜くだけでいいのよ」と老婦人はまたひょいとその簪を抜いて白髪を肩へすとんと落としてみせた。
「くるっと巻いて、ねじって、差し込むだけでいいの。その気になったらお箸でも留められるのよ」
目を丸くした二人に、ホホと笑って老婦人は一度受け取った簪を、それぞれ綺麗な千代紙で包んでくれた。
ゆっくりと日差し傾く豊穣の秋。
昼とはまた違う賑わいに、顔見合わせた乙女達は笑って頷き、再び食事屋の通りに踏み出すのだった。
おまけSS『〆の一杯というならば』
ラーメンとかパフェとか色々言うけれど、やっぱり高天京の〆ならば蕎麦である。
それも気取らない立ち食いの。
「ん、美味しいっ」
「はぁ、あったまりますね~」
すでにとっぷりと日も暮れて、浴衣だと少し寒いくらいの気温に、濃厚な出汁と香り高い蕎麦の熱さが染み渡る。
あの後もさらに刺身の舟盛りにおにぎりに魚の煮付け、形も可愛らしい砂糖菓子から、蘇というクリームチーズに似た乳製品に糖蜜をかけた変わり種のデザートまで、さらに焼酎や
とはいえ大盛りの丼の横には、レイリーは熱燗、アイリスはほうじ茶が並んでいるのだが。
「流石にお腹もいっぱいねえ」
「私はいけますよ~?」
「アイリスは確かにそうだろうけど……でももうそろそろ『満足』じゃない?」
レイリーが熱燗のお猪口をくいと傾けて目元をほんのり赤く染めるのに、アイリスは掌の口で蕎麦をすすりながらん~、と少しだけ考えて。
「そうですね~、大満足です」
いくらだって食べられて、いつだって空腹で。
何でも食べられて、それでも腹が満たされることはなくて。
だけど美味しいものを大の仲良しと一緒に食べれば、心は満たされるに決まってる。
どこからか虫の鳴く音が聞こえてくる。
蕎麦つゆの一滴も、ほうじ茶も余さず飲み干して、アイリスは隣でちょうど食べ終えたレイリーと共に「ごちそうさまでした」と満面の笑顔で手を合わせるのだった。