ねこ日記

登場人物一覧

●吾輩は虎である。名前はまだニャイ
　午睡の街。
　夜更しをした次の日に、太陽がやや傾くまで眠ってしまえばこれはこれ以上ない位の贅沢だ。
「ん、んー！」
　大きく背筋を伸ばして体の感じを整える。
　衝撃の辞令を受けて寝込んだマリアだったが、調子はスッキリ元通りになっていた。
　そんなマリアが混沌にやって来て一年以上の時間が過ぎていた。
　元々は異世界ガイアズユニオンで守護神、戦神の如き戦いを続けてきた彼女にとってここ暫くの日常は実に穏やかなものだった。
　神にも等しい力を持ちながらも、元々心優しく他人を害する事を好かないマリアは『力を喪った日常』さえもそう悪いものに感じてはいなかった。
「……ふふ」
　小さな笑みを零した彼女の脳裏にはこれまでに到る思い出の数々が蘇る。
　ベッドから降りた寝間着姿の彼女の白い指先が机の上に置かれていた立派な装丁の本に伸びた。
　それは厳密に言えば本ではない。彼女自身がこれまでをしたためてきた――特別な日記帳だ。
　見られたら少し――いや、かなり恥ずかしいからしっかりと鍵が掛かっている。
　この休日は特別ゆっくり過ごせたから。彼女はそれをカチリと開けて、過ごしてきた日々を追憶する――


○月☓日（月）　はれ

　何て事だ！　いきなり異世界転移をしてしまったよ！
　何が何だか分からないけど、ここは『無辜なる混沌（フーリッシュ・ケイオス）』というらしい……
　驚くべきかほとんどの力が使えない状態みたいだ。
　今後、私ことマリア・レイシスは記録の代わりにこの日記をつける事にする。
　ガイアズユニオンは大丈夫だろうか。お姉ちゃん……


「……そう言えば、最初はこんな感じだったね。あの時ばかりは驚かずにはいられなかったよ」
　しみじみと呟いたマリアは大きくうんうん、と頷いた。
　そしてそのまま頁を捲っていく――


○月△日（木）　くもり

　今日は空中神殿のざんげ君に紹介された噂のギルド、ローレットに顔を出してみたよ。
　私としては足を引っ張る訳にはいかないから、しっかり鍛えてから……と思ったんだけど。
　鉄帝国のラド・バウの試合とかじゃこれ以上は強くなれないみたいだったし、これからしっかり仕事をして鍛えていこうと思った。
　ローレットは賑やかで中々楽しい所みたいだ。
　水色の髪の小さな女の子がちょこまか動いていて可愛かった。
　腕利きの情報屋らしいけど……皆とも仲良くなれたら嬉しいな！


○月▲日（土）　あめ

　……今日はひどい目にあったよ！
　情報屋のユリーカ・ユリカ君と知り合ったんだけど、私らしい依頼と言われたから参加してみたら！
　何だい、あの超絶クソ依頼は！　流石の私でも泣きそうになったんだけど！？
　あんなの絶対おかしいよ！　スライムじゃあないんだよ！！！


「……」
　頁を捲る手が止まっていた。
　マリアの顔に何とも言えない苦難が浮かぶ。
　当時はおイラもまだだったのに。レベルがカンストしたから依頼にいってみただけなのに。
　どうしてあの串打ち師はあんなに的確に私を見つけてきたんだい？　と正真正銘、宇宙猫のような顔をしていた。
　何がローレット・コーヒーブレイクだ。私の威厳がブレイクだよ！
「……ま、まぁ、私は手加減してあげているだけだから。猛虎だし……」
　ペラペラと捲るも、日記は『楽しい』事ばかり書いてある。
　今振り返れば馬鹿馬鹿しく、マリアにとっては良くも悪くも特別すぎた一年だ。


☓月○日（日）　はれ

　今日も大変な目に遭った。悪いのはまたあのユリーカ君だよ！
　今日は「誰が好きなのですか？　早く言わないとアトさんなのです」なんて私を虐めて！
　まだ知り合いが少ないんだから仕方ないじゃないか；；
　……あ、でも大丈夫。ヴァレーリヤ君という可愛いシスターが私に助け舟をくれたんだよ。
　優しい子だな。友達になれるかな？


△月☓日（月）　はれ

　ヴァレーリヤ君はとても面白い女の子なんだ。
　ちょっとお酒が好きすぎて、やり過ぎてしまう所はあるけれど……
　何時も優しいし、陽気で面白いし。
　異世界転移なんてしてどうなるかと思ったけど、案外悪くないかも知れない！


「……」
　マリアは日記を閉じて胸に日記帳を抱きしめた。
　日記帳にはすずなの事とか、タイムの事とか、コルネリアの事とか、リアの事とか――
　その他、混沌で知り合った沢山の素敵な人達との思い出が刻み込まれている。
　胸が一杯になりそうな程の思い出と、誰にも見せたくない位のチョコレイト。
　マリアの半生は実に色々あったのだけれど。
　胸に抱く恋人や親友達の事を思うだけで今の彼女はきっと元の世界の『戦神』よりも強くあれる。
「……うん、ありがとう、皆。だから大丈夫」
　呟いたマリアは机の上にあった一枚の羊皮紙を手に取った。

　――マリアさんにしか頼めない専用の依頼

「大丈夫な筈ないじゃないか！　何なんだい、このクソ依頼は＞＜；」
　ユリーカの字で書かれたその特別製は死神の匂いを纏っている。