SS詳細
掌に籠る熱、伝わらないで
登場人物一覧
●くすぶる
“夏祭りにいかないか”
そんな約束をしたのは、どちらからだっただろう。
幻想の片隅に旅人が伝えた神社があるという。
其処では別の旅人が伝えた祭りが毎年夏に行われており、様々な屋台が立ち並ぶそう。夜には花火があがり、どん、どん、と太鼓のような音が響く。其れが恒例。
其れを知ったシャルティエとネーヴェは、行ってみようとお互いに頷き合った。今年の浴衣は仕立て屋に「同じような柄で」と頼んである。
楽しみですね、とネーヴェが笑う。何故かシャルティエはその笑顔を見て、胸がくすんと痛んだ。
祭り当日まで、二人は心此処にあらずという感じであった。
シャルティエは毎日の鍛錬も何処か身に入っておらず、己を反省する夜が続き。
ネーヴェは寝る前に必ずお肌のケアをしていたが、より念入りに行うようになった。
――ネーヴェさんの前で、いつも通りの僕でいられるだろうか。
――クラリウス様の隣に並ぶのだから、いつも以上に綺麗なわたくしでいたい。
少年少女は想いを抱えながら、夏祭りの日を迎える。
●ねつ
「クラリウス様! お待たせ致しました」
からり、ころり。下駄の音を響かせながら控えめに、しかし急いで近付いてくる姿に、シャルティエは目を奪われていた。
淑やかな白い生地に、青い花が咲き乱れるネーヴェの浴衣。蒼い帯がふわりと風に遊んで、とても華やかだ。真白い雪、まさにネーヴェの名にふさわしい色の髪にも、青い花が一輪咲いている。
一方でネーヴェも、遠くから見たシャルティエにどきりと心を高鳴らせていた。濃淡の青が穏やかな、大人っぽい浴衣。手に持った巾着はネーヴェの其れとお揃いで、藍色に蒼い花を咲かせている。
本当は、ネーヴェは約束の時間より前に来ていたのだけれど。このどきどきを押さえていたら、ちょっぴり遅れてしまった。怒っているだろうかとシャルティエを伺うと、はっと彼は我に返り。
「あ、……い、いえ! 大丈夫です! 5分程度、なんてことはありません」
「そうですか? なら良かった……花火が上がるのは夜らしいですから、其れまでは屋台を回りましょうか」
「そうですね。どうせですから、神社に参拝もどうでしょう」
「まあ、いいですね! ゴールドで良いのかしら」
考えるネーヴェの掌を、ふわりとシャルティエが包み込む。其れはなんてことない“手を繋ぐ”という仕草であるはずなのに、ネーヴェは心臓が大きくなって破裂するかのような想いがした。
――お出掛けで逸れないように手を繋ぐ事は何度もしているはずなのに、何故? 夏だから? 少しおめかしをしているから?
だが、シャルティエだって繋ぐのに多大な勇気を使った。白くて細い手を繋ぐ事は何度もしているはずなのに、どうしてだか今日はものすごく勇気が要った。何故か今日は特別な日のような気がして、何故だか今の時間を、彼女を大切にしたいと思って。
「……。い、いきましょう! まずはお参りですね」
「は、はい」
ぎこちなく、二人は本殿を目指す。
歩く道中の会話は存外弾んだ。あの時あそこへ行った時の事。夏と言えばこんな食べ物が美味しいだとか、そういった何気ない話で盛り上がった。ネーヴェは幻想の貴族令嬢だから知らぬ事も多かろうと、シャルティエは街の事や冒険について話す。其れはネーヴェにとってとても新鮮で、聞き覚えのある話でさえ、うんと頷いて先を促した。
繋いだ手が少し暑い。この熱が伝わってしまうかしら。
お互いにそう思っているけど、離したくないから言えないでいる。
そうこうしているうちに、本殿についた。少し混んではいたが、話しているうちに列は進んでいたようだ。
「ゴールドでいいですよね」
「そうですね、それしかありませんし」
「本当なら“5円”が良いのだそうです。“ご縁”がありますように、と」
「まあ、そうなのですか?」
名残惜しく手を離し、シャルティエは巾着の中の財布からゴールドを取り出す。5円がいいというのなら、5ゴールドでどうか多めに見て貰えないだろうか。
ふと隣をみると、同じことを考えていたのかネーヴェも5ゴールドを取り出していた。堪えきれず、シャルティエはぷ、と笑ってしまって。
「え、……え?」
「いや、だって、ネーヴェさんも僕も、5ゴールド……あはは!」
「……あ、ほ、本当……! ふふふ、同じことを考えていたんですね……!」
くすくす、ふふふ。あはは。
一頻りお揃いを笑いあったあと、二人はゴールドをお賽銭箱に入れる。其れから手を合わせて、祈る。他の参拝客の見様見真似だ。
ネーヴェは片目を開き、祈るシャルティエをちらりと見た。この人の隣に並んで遜色ない自分でいられているかしら。貴族令嬢ネーヴェではなく、ただ一人の普通の女の子として――いいえ、一人の友達として、彼の隣にいられるかしら。
シャルティエは祈りながら思う。自分は彼女の隣にふさわしい男だろうか。友達として、一人の騎士として、彼女の隣に立って見劣りしないだろうかと。
考える事は二人とも一緒。形ばかりの祈りを終えて、自然に再び手を繋ぐ。
「じゃあ、屋台を回りましょうか。何から行きましょう」
「少し暑いですから、冷たいものがあればいいのですけど……」
「あ! 其れならかき氷が売ってましたよ! 入口の方です! 色んなシロップがあって、美味しそうで、……あ」
大声で嬉しそうに言ってしまって、シャルティエはちょっと黙す。これは騎士としてあるまじき態度ではあるまいか。友人を前にしてはしゃいでしまって、……。
けれどネーヴェは其れを微かに笑って、ええ、と頷いたのだった。では行きましょう、と繋いだ手を揺らす。
全てが許された気がした。すとん、と肩の重荷が落ちたような気がして、……彼女は不思議だ、とシャルティエは思う。全てを包み込んで、許してくれるかのようだと。
●いきづく
かき氷を食べた後はりんご飴。二人は同じものを食べながら、ゆるりと屋台を歩いていた。次は何を食べようか、と考えるシャルティエを、ネーヴェは見上げている。
いつの間にだろうか。いつの間にか、彼は自分より背が高くなって。いつの間にか、逞しい一人の騎士になって。まだ一人前には程遠いと彼は言うけれど、充分騎士としての素養はあるとネーヴェは思っている。
ネーヴェは自分の中に根付いた恋に気付いている。彼の横顔を見る度に視線が止まる事にも、もう気付いてしまっているのだ。
だけれど――彼には、世界の広さが似合うから。彼が世界に名だたる騎士になったとき、本当の運命の人に出会ってしまうかもしれないから、――この恋は、内緒。胸にそっとしまっておこうとネーヴェは決めている。
いずれイレギュラーズとしての役目を終えた時、自分は貴族令嬢のネーヴェに戻る。彼を繋ぎ留める術をネーヴェは持たないから、だから、そっと胸の内の小箱にしまっておきたかった。下手に口にして輝石を割ってしまうような事をしたくなかった。せめて希望を抱いたまま、そっとしまっておきたいとネーヴェは思ったのだ。
気付けば日が傾きかけていた。花火を待ちに来たのだろう、人も随分と増えている。
「ネーヴェさん、次は何処へ行きましょう?」
ぺろりとりんご飴を平らげたシャルティエが言う。ネーヴェはまだあと半分ほどりんご飴が残っている。うーん、とネーヴェは二人の飴を見比べて。
「私はまだ飴が残っていますから、クラリウス様の行きたい所へ」
「僕がですか? そうだな……あ! 射的をやっていますね、見て行きませんか?」
彼女を差し置いて他の食べ物を買う事は、なんとなく憚られて。何か時間つぶしになるものを、と捜したシャルティエの目に留まった射的の屋台。二人は手を繋いで人波をかき分け、屋台へ向かう。
あ、と思わずネーヴェが声を漏らした。あの右上にあるうさぎのぬいぐるみ、可愛い。其れは微かな囁きに近い声だったが、シャルティエは聞き逃しはしなかった。
「何か欲しいものがありましたか?」
「あ、……ええと」
「おうおう! 兄ちゃん姉ちゃん、仲良しだねえ! うちのは落ちやすくしてあるから、他の射的より取りやすいぜ!」
「そうなんですか? さあ、ネーヴェさん」
「う……」
じゃあ、とネーヴェが恥ずかし気に指差すうさぎ。垂れた耳はまるでネーヴェのようで、思わずシャルティエの頬も緩むというものだ。
「判りました、取ってみせます! ネーヴェさんは此処で見ていて下さいね」
「おう! じゃあ代金もらって、弾は三発分やるからな! 頑張れよ兄ちゃん!」
シャルティエは剣を主に扱うが、騎士として銃の使い方も一応心得てはいる。けれど、射的の銃に実際の銃の運用が通用しない事もまた知っている。
其れでもやるしかない。大切な友人であるネーヴェが欲しいと言ったのなら、取るのだ。
銃を構えた横顔は真剣で、ネーヴェはどきりと胸が高鳴る想いだった。ああ、どうしよう。うさぎのぬいぐるみなんてどうでもよくなってしまいそう。彼が自分を友人だとしか思っていなくても、その友人の為という真摯さに、わたくしは――
「おっとお! おめでとう!」
はっ、とネーヴェが我に返る。店主の声に屋台を見れば、棚の右上にあったはずのぬいぐるみはシャルティエの手の中にあった。
「取れましたよ、ネーヴェさん!」
「すごいねえ、3発目で見事にだ! 彼女さん、褒めてやりな!」
「かかっ、彼女!? いえ、この方は友人で、その、」
慌てるシャルティエに、店主とネーヴェが笑う。そう。友人で良いのだ。大切だと言って貰えれば其れで良い。
「おう、そうだお二人さん。花火を見て行くつもりかい?」
「え? ええ、そうですけど」
「なら今から川辺で場所を取っておくと良い。あんまり時間が遅くなると、良い所は全部埋まっちまうからよ」
頑張りな、と店主がウィンクする。
●うちあがる
もう日は落ちて、藍色が空を覆っていく。
シャルティエとネーヴェは二人、川辺に腰を下ろして花火を待っていた。
「楽しみですね」
「はい、楽しみです! こうして浴衣を来て花火を楽しむ、良いものですね」
穏やかにネーヴェが笑うと、シャルティエがうんと威勢よく頷く。本当に楽しみなのだろう、とネーヴェは微笑ましく思った。
「けど、其の前に……ネーヴェさん」
「はい?」
何だろう。川に向けかけた顔を再びシャルティエに向けると、彼は奇妙な顔をしていた。むず痒そうな、恥ずかしそうな、……そんな。
首を傾げるネーヴェの手に手を重ね、勇気を出して発した言葉は。
「そ、其のうさぎ、僕に下さいませんか!」
「……え?」
「……い、言ってしまった……! その、折角お渡ししたものを下さいというのは非常に…騎士道にも人道にも反すると判ってはいるのですが」
貴方に似ていると思ったんです。
――ああ。そんな嬉しい事を言わないで、貴方。
ネーヴェの心に花が咲く。其れは淡い桃色をして、あっという間に胸中に広がる。其れは喜びだった。ぬいぐるみを押し付けてしまいたいような衝動に駆られた。私だと思って下さいと、喉まで出かかるのを苦しくも縫い留めた。
顔が熱い。目の前にいるシャルティエもまた、顔が赤い。其れは恥ずかしいからですか? 其れとも、何か別の理由があるのですか?
「……ええ」
何もかもを内包したネーヴェの返答は、其れでも穏やかなものだった。
「勿論。だって、クラリウス様が落としたものですから」
友人でいさせて欲しい。一歩を踏み出す勇気のないわたくしでいさせてほしい。そうでなければこの輝きに、決着がついてしまうから。
そんなネーヴェの心中も知らず、ぬいぐるみを受け取ったシャルティエはありがとうございます、と満面の笑顔を浮かべた。
―― どん
花火が上がる。
二人の視線は自然と空へ。色とりどりに咲き誇る極彩の華が、夜空を彩る。
シャルティエは、そ、とネーヴェの横顔を盗み見た。
この胸の高鳴りの名前を、彼は知らない。彼女を見る度に心は穏やかになり、しかし荒波のように昂る。この相反する感情の名を、彼はまだ知りかねていた。
けど……ずっと見ていたい。
この神社におられるという神様、ごめんなさい。
綺麗な花火ですねと呟く彼女こそが誰よりも美しいと思ってしまう僕を、許して下さい。