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終わりまであといくつかの頁
登場人物一覧
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秘密は心の奥底に。
夢は深淵に深く沈めて。
大切なモノには鍵をかけて、戸棚のいちばん奥にしまいこむ。
――ヒミツだよ、と父様は言った。
『永遠の少女』ルミエール・ローズブレイド(p3p002902)は背伸びをして、戸棚の奥に手を伸ばす。さらさらとした金の髪はわずかに乱れて白い腕にかかる。お洋服が汚れるかと少し気になったけれど、ルミエールは一生懸命だった。
「ルミエール、危ないよ」
「ん、もう少し……」
不安定に傾ぐ足場の木箱を、ルクスが前脚で押さえた。
此処は商店街迷宮・サヨナキドリのとある店の倉庫。
取り扱う商品を数え上げたらきりがなく、めくるめく品々の数には果てがない。
ここには、いろいろなものがある。
伝承のかけら、評判の蒸留酒、食べきれないほどの美しいスイーツ、花嫁の花冠、……
一つ一つに題があり、銘があり、モノガタリがあり……あるいは空白がある。
もしも望むのなら、商人は来歴を聞かせてくれるだろう。
錠剤を避けて、もっと奥。
(あった、これね……)
ルミエールはひとつの瓶を手に取った。
「ルミエール、それは……」
しぃ、と人差し指を唇に当て、少女はいたずらっぽく微笑んだ。
ルミエールが戸棚から取り出したのはきれいな飴玉。
宝石みたいに赤い、「妖精の秘密のお薬」。
陽光にかざせば、いくつもの表情をのぞかせる。
「父様にだって内緒よ、ルクス」
「いいのかなあ」
『Hope……』流麗な筆記体が躍るラベルはかすれて読めない。
どちらでも、きっと結末は変わりはしない。
店の奥。
武器商人 (p3p001107)は悠然と肘をつき、品物のひとつの古書の頁をめくった。
少しあいた窓から差し込む風がカーテンをそよがせる。腰まで届く長い銀髪もまた、風にしたがってふらふら揺れた。
頁をめくる、陽のまどろみにも揺るぐことはない、一定のリズム。
……どうやら退屈だったらしく、ふわあ、と欠伸らしきしぐさをひとつした。
視界の隅には、可愛らしいお人形がひとつ。
「どうしたんだい、
「ううん、なんでもないわ」
そろそろと忍び歩きをしていた少女は、ドレスの裾に瓶を隠して、武器商人の隣をすり抜ける。ちらり、振り返ってみるけれど様子に変わりはない。長い銀髪が表情を隠す。
黒くて不定形なナニかが影から延び、勝手にページを捲った。
(父様は気が付いていないのかしら?)
ううん、「父様」はきっと分かっている。自分よりもずっと長生きで――何でも知っていて、そしてとっても寂しんぼうで、モノガタリの、いくつもの
(ときに、台本はとてもよく似ていて、ええ。
だから……本の頁をめくる前に結末が分かってしまうこともあるわ)
ルクスが言いかけて、飲み込んだ言葉。
(ルミエール、きっと、君の手が届くところに置いておくものは、君が手に取っていいものだと、)
それだってルミエールは心の奥底で分かっていたのかもしれない。
ルミエールに永遠をくれたのは、ほかでもない父様だったのだから。
(私はね、どうしても、今回は違うのではないかと、期待してしまうのよ)
だって、そうだったら素敵なのですものね。
そうしたら、父様だって「おやおや、今回は違ったんだね」って、少しは
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通常、文章は一定に流れる。
上から下へと、一方通行に。
進んだ時が巻き戻ることがないように。
しかし武器商人はページを話の筋とは逆向きにめくる。
よって、そこにはプロローグが来た。
『かわいそうで幸福な町娘の話』。
武器商人の手元にある本は、なぜだか現実と奇妙に似た構成をしている。
『病気がちな町娘は、ただの小さな女の子。
年端もいかぬ町娘は、おつかいの最中、不思議な店に迷い込んだのでした。
ぐるぐる、ぐるぐる、階段を登り。
いくつもの扉を抜けて、そこに来たのです。
町娘が足を止めたのは、その一角』
町娘が見とれたのは、美しい人形だった。
金糸の髪。伏せた睫毛が青い瞳を縁取っている。美しくも繊細なレース細工のドレス。御伽噺から出てきたようなお人形。広がるビロードは幾重にも重なって人形を縁取っていた。
薔薇色の頬に、美しい微笑み。花弁のようなくちびるには悪戯っぽい表情が浮かんでいる。
町娘は思わず息をのんだ。
影を縫われたように立ちすくむ。
奇妙な場所で迷っているということも忘れて、それを見ていた。
「きれい……」
その存在が動いてにこりと微笑むモノだから、ようやく、”生き物”だと気がついたのだった。
「ご機嫌よう。ねぇ、何かお探しかしら?」
ドレスの裾を持ち上げる所作は、それでもまだ造られたものではないかと錯覚するほどで、けれどもその小鳥のような声は、確かに人の情感を含んでいた。
透き通った青い瞳。
髪には、見たこともないような青い薔薇が一輪。
永遠の少女の名前はルミエール・ローズブレイド。
「ここはとっても迷いやすいもの。案内いたします、お客様」
つかの間の休息。
ルミエールがその子に親切にした理由は、とくにない。
だって、お友達になるのに理由はいらないでしょう?
しいて言えば、お天気が良い日だったから、かしら?
ルミエールはすべてを愛していて、良き出会いだ、と心から思った。
町娘の手を引いて、ルミエールは気まぐれに店を巡った。
お友達を驚かせないように、ルクスは口のきけないふりをしている。
「とってもお似合いですこと」
ルミエールは父様の真似をして、品々の来歴を語ってみた。すごい、すごいと町娘は笑って、その反応は――実を言うとほんのちょっと見飽きていた。別に彼女が悪いわけではない。長い生の中、楽しみというのはほんとうにすくないのだ。
花嫁衣裳と指輪の前で、町娘はそばかすの頬を染めて赤らめる。
「これは、私が摘んできた花です」
ルミエールは花瓶から一輪の花を挿してやった。
「好きな人はいるの?」
「ううん、……」
耳まで真っ赤にしたお客様に、ルミエールはクスリと笑った。
「教えてくれないの? そうね。出会ったばかりですもの。でも、とっても寂しいわ」
しょんぼりとするルミエールの表情を見ていると、町娘の心は狂おしく痛んだ。
美しい彼女を哀しませること、それは明確な罪だった。
魅入られたようにサファイアの瞳を見つめて、町娘は耳打ちする。
「ふうん」
思い人の名を、ルミエールは覚えていない。
――だって、ただの好奇心だったのですもの。
目的は秘密の共有、くすぐったい様子で頬を赤らめる新しいお友達を、ちょっとからかいたかっただけ。
つまり、ね?
ちょっぴり、女の子らしいことがしたかっただけなの。
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ぱたんと閉じられる本。
戻ってきたルミエールに、武器商人は言った。
「あのコは、きっと長くないね」
「……やっぱり、病気なの? どうにかならないのかしら?」
ルミエールは眉を顰めた。
小さな咳。細い、とは違う、不健康にやせ細った腕。階段を上るたびに何度も休んでいたあの子。元気そうではあったけど、本能的に永くはないとわかってしまった。
「でも、一緒に遊んでいる間は、あんなに元気だったのに」
「ワケもない子には、墓場鳥は見つけられないよ。でも、そうだね、此処にいる間は、忘れていたのだろうね」
「治らない?」
「ああ」
「奇跡が起きても?」
「……」
武器商人はかすかな笑みを浮かべて話を打ち切り、再び本に耽溺していった。考えてごらんと、横顔が告げる。
これは、父様からの宿題だ。
本当に奇跡はないのかしら。
でも、ルミエールは知っている。
サヨナキドリには、いろんなものがあるってことを!
この世界はとても素晴らしくて、きっと、望むままだと思う瞬間がある。
どんな少女にだって。
そして、ルミエールはずうっと少女だった。
何でも治る飴玉だって。
夢みたいなお薬だって。
永久へのエリクシルだって。
世界は思いのままだった。
宝石みたいな瓶詰めの飴玉を見つける。
「いいかい、治らないよ」
忠告する父様に、ルミエールは思った。
父様は変わってしまった、と。
「昔」だったら、そうね。「試してごらん」と面白そうにそれをくれるか、あるいは、鍵をかけてぴしゃりといいつけたのではないだろうか。
父様は変わった。
不出来な吟遊詩人、音楽を見つめる目線は優しくて――。
サヨナキドリにはさえずりが満ちている。
父様は、番を得て変わってしまった。
弱くなった?
……わからない。
しなやかな強さ、不完全なもの。美しい旋律。
「でも、きっと、本当のところはそう変わってはいないよ」
ルクスの言うとおりだと、ルミエールは思う。
武器商人は、愛し子を止めやしなかった。
止めたくらいで、止められるものだとは思っていなかったからだ。
ときに、モノガタリを進める推進力は、
「その棚に近寄ってはいけないよ、ルミエール。そこは危険なコばかりでね」
ごめんなさい、父様。
ルミエールは小さな真鍮の鍵を取り出して戸棚に忍び寄って、飴玉の瓶を盗み出す。
それは、新しいお友達。つまり、病気の少女のために。
「『でもね、大切なモノだったらきちんと鍵をかけておくはず』とさ」
頁をめくって、武器商人は言った。
「ソレを強制する気は無いよ」
誰に向けるでもない独り言。
ほんとうに「してはいけないこと」は「できないように」なっている。
武器商人は娘よりも長く生きていて、”お話のお約束”というのをいくつも知っていた。
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永遠みたいな永遠を数えて、父様が
「約束できるかい?」
「ええ、もちろんよ」
「ううん。言い方を変えよう。誓えるかい? つまり、契約できるかい?」
それは、初めてのことで、ルミエールは内心うろたえた。
これは、父様にとってはとてもとても大切なことだというのがわかった。
背伸びして誓った。
愛しい父様のこと、応えるのにためらいというものはまるでない。
いつだって、どんなときだって。
血液をささげて契約を結んだ。
父様はいつだってルミエールに優しかった。
注がれる無限の愛を、まさしく愛だと分かっている。
「アタシの小鳥は、アタシのもの」
それはたった一つだけの
心身ともに、健やかに。
誓いの言葉を繰り返し、それは受け入れられる。
だから、知ってる。
ほんとうに「してはいけないこと」は「できないように」なっている。
「イイ子だね」
愛には重さの違いがある。
みんなみんな、世界のすべてが大切だけれど、どうしたって量の違いがあるでしょう?
誰かは誰かを特別に愛する。
ほんとうに、お友達だと、心の底から思っていたのよ。
でも毎日思い出して心配していたわけではない。
だからといって、愛がないわけじゃないでしょう?
花の名前をいっぺんに思い出すのは不可能だもの。
ルミエールの最愛、は町娘ではなかった。
もしもそうだったら――大切な人がいなくなってしまうなんて言ったら、世界が壊れてしまうくらいつめたくて、だから愛には差があるのをルミエールはよく理解している。
たったひと時すれ違い、たったひと時友達になった。
ルミエールは、町娘のページの最後の登場人物。
(父様)
大丈夫。ごめんなさい。
ルミエールは病気の少女の家の窓を叩く。
少女はもう起き上がるのもやっと、やせ細って彼女の周りを家族が囲んでいた。
ルミエールは懐から薬を取り出した。
彼女の顔色が少し戻り、医者が「信じられない、これは奇跡だ」と言った。
永遠を夢見て、いつか大人になって、それから幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。
微笑む友達を見るのが愛おしい、この気持ちに間違いはない。
「そうよね、ルクス」
もしもここまでで話が終われば、間違いなくハッピーエンドに違いない。
否。
実際、効果はあったのだ。
薬は効果てきめんで、彼女はまた起き上がるようになって、町の広場でダンスすらして、次の誕生日すらも迎えて見せた。
けれども、完全に死神を遠ざけるほどではなかった。
わかっていたはずなのに。
(あれだけの物語を見ても、あのコの目にはいつだって希望が輝いている。
――そして、裏切られることになる)
ね、時間はまだあるわ。
少女はアメジストのブローチをぎゅうとにぎりしめて、逃避行をする。
愛しい
それじゃあ、その時間は無駄だった?
忘れたいような思い出でも、なくすことはできないと彼は歌う。
紫月。
頁をめくってごらん。
幸福の王子のそばでツバメは息絶える。
人魚姫は泡になって消える。
悪い狼は石を詰められて井戸に沈められて、ああコレはどうだろう? 誰にとっての幸福か、それは読者が決めつけるものじゃあない。
――病は治らない。
朽ちない花。
道理をまげられることを、永遠を、ソレを教えたのは自分だ。
たぶんあのコは苦しむだろう。
けれども、気に入ってしまったのだ。長い生とかけ流しの愛を……。
「ルミエール、愛しいムスメ」
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教会の鐘が鳴る。
葬儀の鐘だ。
黒い服を着た大人達が歩いている。
「ルミエール」
ルクスに呼ばれて、突っ伏していたルミエールは身を起こす。
今日のドレスは黒いドレス。死者を悼む色。
「こうなることは分かっていたのよ」
ルミエールは泣いている、心から。
大切なことは動かせないようにできているのだと、ちゃあんと分かっていた。
「父様が鍵をかけていたのに、いけないことをしたわ」
「そういうもんさね」
「責めないの?」
「止めるつもりはなかったよ」
武器商人は優しく、
「処方は正しい。苦痛はなかったはずだよ。ソレは、あのコの命を少しばかり伸ばした。あのコは見られなかったはずの祭りを眺めて、1つ大人になり、両親と言葉を交わしたんだ」
「でも死んでしまったわ」
だから、意味なんてなかったのだとルミエールは涙をこぼす。
「全部なくなってしまうのに?」
「オマエはページを足したんだ。オマエは、ページを伸ばして、モノガタリを書き加えた。そこに何が書かれていたかは――オマエたちだけのモノさね。
ねぇルミエール、もう一度同じことがあったら、同じことをするかい」
押し花みたいに潰れた花は永遠の美しさを保っている。
愛おしくて愛おしくて愛おしいのに。
花は枯れる。愛はついえる。
それでも、ずっとそうあってほしいと思うのは、永遠に焦がれて、同じようになってほしいと思うのは罪だろうか。
永遠の少女は空を見上げる。清らかな涙が頬を伝って落ちた。彼女の墓標に、一輪の花。
おまけSS『かわいそうで幸福な町娘の本』
『あるところに、とても病弱な女の子がいました。
女の子は普通の女の子でした。
ある日、不思議なお店に迷い込んだ少女は、お人形のように美しい少女と出会いました。
そして、冬に死ぬはずだった女の子は、春を超えて少し生きました』
(ヒトの人生を写す本なんて、悪趣味なもんさね)
武器商人は本を閉じた。
店先に並べるには悪趣味すぎるし、大した物品ではないものだった。
継ぎ足されたように追加された書体は丸っこく甘い文字、ページの紙質もインクも違う、いびつで華奢で可愛らしい頁。
押し花を挟んだ最後のページは願いのように捻じ曲げられていた。
そしてみんなみんな、いつまでも幸福に暮らしましたとさ――。
ソレは悲痛な叫びのようで、無垢な祈りでもある。