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架け橋
登場人物一覧
揺らめく蝋燭の明りが畳の上に広がる。天香遮那は琥珀の瞳を窓へと向けた。
障子の向こうには眩しい程の月明かりが有るのだろう。
開けなくてもその影は部屋の中に降り注いだ。
机の上に乗せた煙草を一つ取り上げれば、同じように白い腕が身体の前を通り過ぎ、隣のマッチを手に取った。ゆっくりと引いていく腕はたおやかで。白い肌を流れて行く金色の髪は渡来の聖母像を思わせた。
マッチが煙草の先に添えられ、橙の明りがじわり先に灯る。
紫煙が立ち上がって行くのを追いかけて天上を見遣れば、豪奢な丁度が目に入った。
和と洋の美しい設えが目を楽しませる。
灰を器に落とし、まだ残っている煙草の火を消した。
撓垂れかかる金色の髪にゆるく指を通す。白い肩は夜の温度に冷えていた。
「寒いか。まだ春先だからな。夜は冷える」
「ふふ、今日は優しいでありんすね。いつもそうでありんしたら嬉しいでありんすぇ」
「風邪を引かれては困るからな。なんせ、貴重な協力者だ」
「まぁまぁ。明日辺り雪が降るでありんすかぇ?」
畳に置かれた襦袢を引き寄せた伽羅太夫は自分の肩にそれを羽織る。
「……」
「冗談でありんす」
「いや。其方ぐらいだ。私にそんな風に冗談を言ってくれるのは。少し胸に来た」
その言葉に伽羅太夫は遮那の頬へ指を這わした。
「わっちと主さんは主従やありんせん。冗談の一つぐらい訳もござりんせん」
「分かっている」
遮那は頬に添えられた手に親愛の印を落す。
伽羅太夫は立ち上がり、着物に袖を通した。緩く仮帯を結び、押入れの前に膝を付く。
するすると開けられた押し入れの中から伽羅太夫が出して来たのは一つの長い箱。
厳重に封印された箱を伽羅太夫は机の上に置いた。
「これが、言われていたものでありんす」
「そうかこれが……『廻姫』か。随分と時間が掛かったな」
固く結ばれた組紐を一つずつ解いていく遮那。
「砂嵐の『クロウ・クルァク』の元にあったものでありんす。用心しなっせ」
「クロウ・クルァク……蛇神だったか。だが、ここまで運んできた者も居たのだろう? そいつは無事だったのか?」
遮那は長い距離を移動してきた箱に手を置く。
「ええ、『運び屋』のユーマ・スカルという者が持ってきんした」
中身を開けるような事はしなかったのだろう。その青年は無事に役目を終え何処かへ去ったという。
遮那は箱に張り付いた呪符を剥がし、蓋をかたりと開けた。
禍々しい邪気が蓋の隙間から流れ出し遮那の首元に巻き付く。
「……っ」
伽羅太夫の青き瞳が見開かれ、咄嗟に自分へ駆け寄ろうとするのを遮那は制した。
「問題無い。タイム」
「でも」
琥珀の瞳を伽羅太夫に一瞬だけ向け、箱の中から剣を取り出す遮那。
妖刀『廻姫』と天香遮那の契約の儀。
交わされた言葉は伽羅太夫には分からなかったが。
後に伽羅太夫はその光景を『この世で一番美しいものだった』と語った。
――――
――
「琥珀様は、どうしていますか?」
伽羅太夫――タイムは親友の小金井正純の黄金の瞳を見上げた。
煉瓦造りのモダンなカフェーの向かいに座る正純は普段の巫女服とは違い、お洒落な袴と着物を着ていた。
一方のタイムも遊郭で着るような豪奢な着物ではなく、流行のモガの装いだ。
こうして二人は『何の垣根もなく』話す事がある。
ティーカップを手に口元に持って行けば、紅茶の良い香りが擽った。
「琥珀様はどうかしらね。元気そうではあるけれど、何か思い詰めている様子よ」
大っぴらに『天香遮那』の名を出せない二人は、彼の事を『琥珀』と呼ぶ。
タイムの言葉使いも廓詞ではなく、普通のもの。
この正純と過ごす穏やかな時間は伽羅太夫ではなく、只のタイムで居たいから。
「そうですか。何をしようというのでしょう。私は、心配でなりません」
失踪してから早数年。もう二十一になって居るだろうか。
正純はこうしてタイムに遮那の近況を聞く事でしか、彼の所在を知る事が出来ない。
歯がゆそうにする親友に「大丈夫よ。何か考えがあるのだわ」と慰めの言葉をかけるタイム。
「貴方から聞いていた琥珀様は、真っ直ぐで優しい人。最近は少し茶目っ気が出て来たかもだけど。それでも貴方が信じた彼に違いないわ。だから、私も彼を信じてる」
何かを成すには、犠牲が着いて回る。
それはタイムも正純も十分に知っているのだ。
ああ、けれど。
街灯の影に見えた蠢く何かに恐怖を覚えた。
この晴れやかなる光の帝都に。忍び寄る影の気配をタイムは感じる。
どうかどうか。
親友の心が穏やかで居られますように。
彼の心が健やかでありますように。
そう願わずには居られないのだ。
自分が居る事で紡がれる未来があるのなら。
全身全霊を掛けて、手を伸ばすから。
だから、タイムは奇跡を願うのだ。
運命を変える『誰か』を――