PandoraPartyProject

SS詳細

“ Know Then Thyself ”

登場人物一覧

ルブラット・メルクライン(p3p009557)
61分目の針


 罪人の処刑、特に火刑は晴天の日に執行される。
 心地の良い風が吹く、天から慈悲あめが降らないよう調整された日は、これから行われる儀式の悍ましさに反してひどく穏やかであった。
 深く地面に根差した一本の杭。その足元に乾燥した薪や藁が積まれていく。
 広場はごった返した見物人で祭りの騒ぎである。
 罪人の死を望む者、悼む者。怒りを覚える者、喜ぶ者。信仰を深める者、嘲笑する者。
 娯楽に飢えた民衆が広場に集まり長閑な待ち時間を笑顔で過ごしている。平穏の皮を被った血生臭さが、彼らの好奇心と道徳心で燃えていた。
 神を信じる者にとって火刑とは恐怖の象徴だ。
 審判の日が訪れようとも肉体が無ければ復活できない。そうして魂となった存在は現世に戻れず、火と硫黄の池たる永遠の地獄ゲヘナで焼かれ二度目の死を迎える。
 もっと単純に言ってしまえば、火刑は苦痛に満ちた処刑方法の一つだった。
 人の七割は水分だ。それを燃やし尽くす火力を、薪や柴には期待できない。
 一瞬で終わる斬首が慈悲ならば火刑は死に際に行われる最後の拷問である。
 そして観衆は今日も罪人の苦痛を嗤い、神の正義を祝おうとしていた。
 其の罪人を異常だと人は言う。其の罪人は自ら火刑を願ったと人は言う。
 元は医者であった、悪魔憑きであった、科学者であった、貴族であったと人は言う。
 全てが噂である。だが罪人が火刑に相応しい異端ひとであると民衆が納得するのには充分な理由であったのだ。
 白く柔らかな足が砂を踏むたび悲鳴のような歓声があがる。
 金と地位と名誉を剥奪された罪人に残されたのは知性と人格だけであった。なので信仰心に従い火刑を選んだ。
 それがどんなに他者から奇矯に思われようとも構わなかった。
 堂々たる行進。
 数多の命を奪ったおやかな手首には荒縄が巻き付き、罪人の着る白布が風をはらんで帆布のようにはためく。死出の花道を歩んできた白き罪人に対して顔を隠した漆黒の処刑人は緩慢な動作で舞台を示した。
 杭を見上げ、罪人は悠然と微笑む。
 伸びた白髪が肩を撫で、眩い日差しが眼球を焼いた。
 雲一つない空を一羽の鳩が横切る。
 空が、青い日だった。

「旦那、旦那ってば」
 空は青いものである。
 その色は不変の摂理が如く、世界を渡っても真上に在ると罪人は知っている。
「ルブラットの旦那!」
 名前を呼ばれ白装束の意識は急速に現実時間に焦点を合わせた。
 声をかけてきたのは教会横で早刷りの新聞を売る子供である。何用かと、未だそばかすの残る幼い頬を見下せば馬車の通りが減った大路を呆れたように示される。
「馬車、来てないよ。早く渡ったら?」
 誰もいない道の上に一人ポツリと取り残された姿は少しだけ哀愁に似た風を漂わせた。
 歩みを再開させた豪華な白い外套に少年が並ぶ。片や白鳥のような優雅さで、片や雀のような気忙しさで足を運ぶ二人を通りの人々は愉快そうに眺めている。
「旦那は今日もローレット?」
「そのつもりだ。ところで私に何か用かね」
「無いよ。旦那が迷わないように見張ってる」
「無用な心配は結構。ギルドまでの道筋は覚えている」
「そうかなぁ。今日の旦那、最初に会った時みたいにボーっとしてるんだもん」
「ほう?」
 唐突にルブラットが立ち止まると、少年もまた歩みを止める。
 何度も頷くルブラットの声には純粋な驚きが含まれている。鴉に似た医者の仮面が空を見上げた。
「成程、なるほど」
「どうしたんだよ。急に立ち止まって」
「今日はやけに懐旧の情が湧くと思っていたのだが漸く得心がいった」
「そうなの?」
「今日は空が青い」
「ふーん?」


 物語の始まりは時計の針を少しばかり巻き戻した先、ルブラット・メルクラインが混沌の舞台へ降り立った日まで遡る。
 この冷静な旅人の頭が『自分はいま路地裏で倒れている』と現状を認識するまでに数十秒の時間を要したのは珍しいことであった。
 それほどまでに混乱していた。起こした身体に不調は無く、汚れた手には火傷一つ怪我一つ見当たらない。
 空中神殿で出会ったシスター。彼女の存在や言葉が夢で無いとするなら、此処は先ほどまでルブラットが見下ろしていた大地という事になる。
 散乱したゴミ捨て場と思わしき場所から光の射す方へ、ふらり幽鬼のように歩き出す。
 先ず眩い太陽の光が、それから賑やかな喧騒と街並みが旅人を出迎えた。
 人面のロバが荷馬車を引き、獣の耳や鳥の羽を生やした人間と思わしき存在が談笑している。五感から得られる情報が多いのは、知らない言語や意味が手に取るように理解できるからだ。
 ルブラットは戸惑った。
 天国にしては俗であり、地獄にしては平穏すぎる。
 この世界に自らが訪れた意味を神からの試練なのだろうかと考え、頭を振る。眩暈に似た混乱は酷くなる一方だった。
 ルブラットは視界の端に見覚えのある建物を見つけ、縋るように足を速めた。尖塔に掲げた十字架の前で呼吸を整える。胸元で切った十字を訝し気に見つめる道端の視線が恐ろしかった。此処こそが砂漠で見つけたオアシス。奇跡を信じて扉を開く。
「新しい信者ですか?」
 そして、絶望した。
 笑顔で語られる未知なる神の存在。罪を赦し、酒を飲み、遥か高みから人の世を賭けの対象にする神々。
 故に我々の人生は見ていて楽しいものにしなければならないのです……。
 ルブラットは期待していたのだ。此処にも神はいるのではないだろうかと。だが、結果はどうだ。存在していたのは似ても似つかぬ下賤な教義。故に猛烈な違和感が、疲労が、理性を削り取っていく。
 緋色が瞬く。悪魔が囁く。彼らを■してしまえと誘惑する。
 ルブラットは教会を後にした。教会と呼ぶのもおこがましい建物に背を向け亡霊のように街を彷徨う。
「なぁ」
 考える。自分が気づいていないだけで、自分も此処に居る者と同様、かつての自分とは異なる存在に成り果ててしまったのだろうか?
「なぁ、そこのあんた! 助けてくれよ」
 見下せば汚れた雀色の髪が見えた。そばかすの目立つ子供だった。
「refuso(断る)」
「でも、あんた特異運命座標なんだろ!?」
 今度こそ、ルブラットは少年を見た。二つの驚きが胸を占めている。一つは目の前の、学も教養も無いであろう少年がラテン語を瞬時に解した事に対する驚き。もう一つは自らを指し示して何の戸惑いも無く『特異運命座標』と言う未知の名前で呼んだ事に対してだ。
 疲れた眼差しを子供に向ける。栄養状態は良くない。服装や清潔状態から言って孤児だろう。彼が消えても誰も気づかない。そんなちっぽけな存在。
 そんな泣きそうな存在にルブラットは手をひかれていた。風船のようにふわふわとした足取りで街を歩く。如何してそうしようとしたのか、ルブラットにも分からない。疲れ果て思考を放棄していたのかもしれない。
「冒険者を連れてきたよ!」
 辿りついたのはスラムの外れ、灰色の石が崩れて風化した教会であった。所々に雨避けの襤褸布がはられている。先ほどの豪奢な教会とはまた違った意味でよく目にした建物だ。深く信仰心を傷つけたばかりのルブラットは思わず足を止めた。
 これ以上、神への冒涜を目の当たりにしてしまえば、こんどこそ。
「ほら、こっち」
 雀色の子供に再度引っ張られ、ルブラットは無感動に中を見た。中には子供が数人横たわっていた。浮腫みと発熱。嘔吐の痕も至る所に見受けられる。ルブラットは手近にあった剃刀を掴むと、迷う事なく眠る子供の二の腕に刃を滑らせた。
「おまっ、何するんだ!?」
「瀉血だ。これは恐らく毒を盛られたな。ふふふ、止血帯と蛭、それから棒も必要だ。持ってきたまえ。本来ならば星図も必要だが期待はしないでおこう。私の知っている運行と異なる可能性が高い」
「は?」
「ラテン語は知っている癖に四体液説は知らないのか? ふむ、まあ安心するがいい。私は特に腕が良い」
「あんた医者なのか?」
「そうだな」
 無機質にルブラットは頷いた。
「冒険者か医者かの二択で言えば後者だ。礼は結構。後で特異運命座標とやらの情報を貰えればそれで良い」

 ギルド『ローレット』は幻想国を拠点とする巨大な冒険者ギルドだ。『特異運命座標』を支援しており、召喚されてきたばかりの特異運命座標たちの保護もローレットが行う事が多い。
「井戸に毒を盛られた、ですか」
「俺たち孤児は体の良い実験動物だからな」
「犯人の心当たりは」
「ある。そいつを殺して欲しい」
 子供にローレットまでの道案内を頼んだルブラットは、ちょこんとソファに座り情報屋と子供(ヨシュアと言うらしい)の会話を聞いていた。人を殺傷する毒物の試験に人間を使うのは合理的。何でも屋だから殺人依頼を請け負うのも当然。この世界の常識というものをルブラットは吸収しつつあった。依頼が成立したのか子供が立ち上がる。
「帰るのか」
「うん、皆を助けてくれてありがとう旦那。この恩はいつか返すよ」
 すれ違い様に簡単な挨拶を済ませたルブラットは影のように受付へと近づいた。
「お待たせしました。ルブラット・メルクライン様ですね。此方がギルドの登録番号になります」
「質問がある」
 発行されたギルド証をまじまじと見つめていたルブラットは純粋な声色のまま小首を傾げた。
「先ほどの殺人依頼は私が受けても良いのだろうか」

 新月の夜、ルブラットは伏した男を見下ろした。
 動く事の無い身体。止まった鼓動。見開かれた眼窩と弛緩しきった舌。
 毒には毒を。
 興奮で痙攣する手を持ち上げる。自分は笑っているのだろうか。分からないが死は平等だ。変わらない、何も変わらない。
「ならば、自分が歩む道筋は変わりない!」
 胸を占めるは歓喜。両手を掲げ高らかに吼え、舞踏会で染みついた仕草で弔礼を添えてやる。
「私にそれを教えてくれてありがとう」
 夜道に上機嫌な歌声が流れる。漆黒の中に瞬く星の輝きを見上げ、ルブラットはやはり知らない星だと擦れた声で呟いた。
 その拍子にルブラットの頬を伝った雫の正体を、誰も知らない。
 夜道はどこまでも続いていた。

  • “ Know Then Thyself ”完了
  • NM名駒米
  • 種別SS
  • 納品日2021年08月29日
  • ・ルブラット・メルクライン(p3p009557
    ※ おまけSS『神を愛したメルクリウス(索引)』付き

おまけSS『神を愛したメルクリウス(索引)』

“ Know Then Thyself(汝自身を知れ) ”/アレキザンダー・ポウプ

テーマ:十字路で途方に暮れる召喚直後のルブラットさん
1、時計と死
2、夢と水銀のトリックスター
  善ではないが悪でもない、性別すら曖昧な、どちらでもない両面性。

イメージソング
マーラー交響曲第五番第四楽章(『フリードリヒ・リュッケルトによる5つの歌曲』)

イメージ教会
レーゲンスブルク

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カール・グスタフ・ユング「錬金術研究」よりメルクリウスの単一性と三位一体性

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