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どこへいくの
登場人物一覧
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最近、視線を感じることが多くなった。
路地裏に繋がる建物の隙間。視線の届かない物陰。空いた扉の隙間。そういったところに何かが潜んでいるような、何かが覗いているような、そんな感覚がまるで抜けてくれないのだ。
見られている。だが、自信過剰なのではないかと思う自分もいる。それに、暗い方向に考えるのは良くないのかも知れない。もしかしたら、身の回りにいる異性の誰かが、自分のことを好いて追いかけているだけかも知れないじゃないか。
馬鹿な妄想だとわかっていても、そうやって気持ちの安定を図っている自分がいる。しかしそうやって誤魔化していても、どうにも心を苛んで仕方がない。
「それでさあ、昨日バイト先に来た女の子が可愛くってさあ。色黒系っていうの?」
友人と、帰り道。この季節は日が沈むのが遅く、もうこのような時間だと言うのに、太陽は空を照らしている。といっても、とうに西日のそれではあったが。
物陰に視線が行く。そこにいるのではないか、あちらにいるのではないか。そんな気がしてならない。ノイローゼ気味だとわかってはいても、気になって、気になって。
「ついついスコーンを1コ多く出しちゃってさあ。こっち向いて、ありがとうございます、何ていうんだぜ。なあ、聞いてる?」
「おわっ。えー……ごめん、なんだっけ?」
「そんなの社交辞令だろ。ムリムリ、お前に目なんかないよ」
「ンだよ、わかんねえだろ?」
友達と三人、連れ立って道を行くというのに、彼らとの会話もろくに聞こえていないと来たものだ。
重症だ。どこかで診てもらったほうがいいのかも、しれ、ない。
いた。
建物の隙間。そこにいま、何かがいた。こちらをじっと見つめて。じいっと見つめていた。いつから。わからない。だけど見られていた。
わからない。あれが何かわからない。目的が何かわからない。ただずっと、ずっと自分のことを見ている。呼吸が荒い。胸が苦しい。自分の立っているこの場所から、現実感が薄れているような気がするのだ。
「な、なあ、今いたよな。なんか、そこにさ……あれ?」
自分は一体、どれほどそうしていたのだろう。いま一瞬のつもりであったのだが、数十秒か、数分か、そのようにしていたらしい。友人二人は話に夢中で自分に気がつかないまま、少し遠くまで歩みを進めてしまっている。
「なんだよそれ、薄情なやつらだな」
もう一度隙間に目を凝らしてから、ふたりの後を追う。日が沈みかけているせいか、向こう側がどうなっているのか、まるで見えやしなかった。
走り友達を追いかけるその背を、顔を出したそれが見つめていることには気づかずに。
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家の近くの曲がり角でふたりに手を振る。この瞬間はとても寂しい。言いようのない穴が、胸にぽっかりと空いたような錯覚を覚えるのだ。
遠くで黒い鳥が鳴く。どこからともなく虫の声が聞こえてくる。もう少しすれば夜の時間。一日が終わり、生まれ変わるための時間になる。
体を傾けて、家の方へ。振り向いてそこに、いた。
柱の陰。こちらを見ている。じっと、じっと見ている。発見されたことに気づいたのだろう。踵を返そうとするそれに、思わず声を荒げた。
「おい、逃げンな!!」
駆け出して、道を塞ぎ、正面に立った。見ればどうやら、少女であるらしい。小さな、色黒の、女の子だ。
なんだか腹が立ってきた。こんな見ず知らずの女の子に、自分がビビって、不安になって、気を病んでいたなんて考えるだけで馬鹿馬鹿しい。
あから続く言葉も、感情に任せたままのものだ。
「なんで俺を付け回すんだよ!? 俺に何のようだ!!?」
指をさして、見下ろす視線で。
しかし少女は落ち着き払い、あまつさえ笑みまで浮かべた顔で小首をかしげてみせる。可愛らしい仕草だが、今はそれすらも腹立たしい。
「いえ、用事があるわけではないのですが、気づかないままだとどうなるのか、興味があったものですから」
なんだか飄々としていて、上から見られているように感じた。もう我慢の限界だ。自分でもわからない何かを喚き立てながら、少女に掴みかかる。掴みかかろうと、した。
「…………は?」
しかし突き出した腕は彼女を掴むこと無く通り抜け、勢い余って道に転がり込んでしまう。どうしてか、自分は少女をすり抜けてしまったのだ。
「な、なんだよ、幽霊か!?」
「あー、バレてしまいましたか。じゃあもうこの観察も終わりですね。でも、最後にお聞きしていいですか?」
「な、なんだよ。こ、こっち来るんじゃねえよ!!」
「大丈夫ですよ。もう、誰もあなたに近づきません。とっくに、気づかれてもいませんし。ねえ、どうしてそんなにも、胸に穴が空いていて、まだ生きてるって思うんですか?」
少女の姿をした何かが去っていく。言葉の意味がわからず(分かってはいけないような気がして)、夜がとっぷりとふけるまで、ただその場でガタガタと震えて過ごすことになった。