登場人物一覧
- 眞田(p3p008414)
輝く赤き星
●The loneliness includes me unawares.
神の教え等無くとも土塊は遅かれ早かれ罪に手を染め、倖せに満ち溢れた楽園から追放されていたのだろう。形こそ創造主を模していても、人は呆れる程に愚かで、戻れない事を思い識った頃にはもう遅い。
仰ぎ見る大型LEDビジョンは三面シンクロで、そこそこに可愛い顔を揃えたアイドルグループが歌い、良く効くと触れ込みの新薬の宣伝に、御涙頂戴の映画の広告が打たれていて、時折何処かの誰かの訃報だとかを報せる。脳髄をぐるぐると掻き回される様に目紛しくて、忙しくて、然し心は虚ける許り。
街を覆う生温い空気迄、其の場所は良く出来ていた。少し歩けば喫煙所があると云うのに忠犬の周りに吐き捨てられた屍の様な無数の烟草の吸い殻、目を合わせたら執拗に追いかけ回して来る居酒屋のキャッチ、何か琴線に触れたのか交差点を俯瞰するコーヒーショップの二階の飲食スペースでは頻りにスマートフォンのシャッターが切られ、109の『カリスマ店員』に憧れた若い女達はド派手に粧して練り歩く。
金を衒らかす賎しい男、其れに縋り春を売る女――直ぐ其処の交番のお巡りさんは余りアテに為らない。
羽振の良い五本指には些か驚いたが、次の瞬間には如何でも良くなった。恐らく、坂を越えた先のホテル街へと時化込むのだろう。相手が居るか居まいかは此の際不問に伏すとして、彼の一帯の退廃的な佇まいは嫌いでは無かった。何もそんな所も似せなくてもとは想ったものの、人が人である以上必要不可欠なのかも判らない。
――吸い込まれる者。
――吐き出される者。
無限に繰り返される人の営みに於いて青年は何時だって孤独だ。
駅の中は何時も何処かが工事中で、絶えず改装を続けていた。ぐるり、ぐるりと方向を変え乍ら歩くのは方向感覚が狂って答えの出ない思考に取り憑かれている様で正直な所、気味が悪いの一言に尽きる。飛ぶには不充分な虫籠に放り込まれた虫みたいで、其れを何処かで誰かが見て楽しんでいるんじゃないかだなんて悲惨な妄想に駆られる所まで、こんなにも己が見て来た東京の一風景にそっくりなのに何処かが違って居て、明確に此処が違うとは云えない惑いに怖ぢ、胸を抱いては記憶を模索り歩く日々だ。
此の臆病な旅人の回帰願望と労とで出来た驕りの街に、愁ふる虚空は息苦しい曇天の鈍色。前に一度抱いただけの関係の娘だとか、講義の合間に烟草を吸いに行けば良く貌を付き合わすだけの関係の彼奴だとか、似た様な姿を見つけてはつい手を挙げてしまいそうになるのが嫌になる。
凡そ、一年程経ったか、其れでも未だに此の感覚には慣れず、臆病で寂しがり屋な性根がつい人と感覚を共有したくて何時も誰かを探していた。そして誰にも話さず此の想いは、秘匿しておきたいと望んでいた。
もし、此の場所での時の流れが元の場所と同じなら。己は二十三になっている筈で、元居た世界では如何して居たかが気に掛かって、もう何本目かも判らない烟草に火を点けて。
大学は単位をきちんと揃えて――自分の事だ、屹度卒業に丁度足りるだけしか取ってないに違いない――其れで、柄にも無く卒論なんてご立派な物を書いたのだろうか。進路については、何処かに勤めている姿が微塵も思い浮かばずに考えるのを止めにしておく。
悪い所ばかり挙げて憂いていても仕方が無くて、少し良い所を挙げるとするなら、小路の煙草屋が再現されて居たのには助かった。
其れから少し寂れた楽器屋ではヴィンテージブランドのファーストモデルに似た茜色のソフトレザーのブーツが目玉が飛び出る程お安く、波際に漂着したかの様に等閑に置かれていたものだから正気を疑った。『お洒落は足元から』とは良く云うが、ドラマーと云う生き物も足元には結構拘るものなのだ。
――紫煙が、重たい夜空に溶け切れずに漂っている。
終電の時間を過ぎれば、軈て暫しの暗闇が訪れ、熟睡に夢現が往来せしめると同時に更なる無秩序が蔓延る仕組みになっているのだ、此の街も。怒号に嬌声、相剋の騒擾に恐怖なく、恥ぢらいなく、泪にしとと、あな嬉し。欲望と云う名の花瓣が咲くのを見届けて。青年は甘味くも無く、楽しくも無い烟草の燈火は絶やす事をせず、歩き出す。
肺を満たした『わるい子』の象徴を甘そうに吹き出し、裳裾を其の香ばしい霧で掩って唯、外に廻る。七月の闇に於いては輪郭は曖昧で朧ろ、湿り気の多い空気に己を暈し、寝ねず、人識れず――黒猫は消えた。
- Only a very little,My God――.完了
- NM名しらね葵
- 種別SS
- 納品日2021年08月15日
- ・眞田(p3p008414)