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グラスの音色
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「あっー……ねっみ……」
――泥の狭間に埋もれている気分であった。
瞼を開く。コルネリアの目覚めはソファーの上で行われた。
……どうしてソファーの上で寝てしまったか。よく覚えていないが――依頼をこなし、ようやく明日から休暇が出来そうだと。久しぶりの連休が来たのだと、疲れ果てた体を飛び込ませる様にソファーに預けた様な気が、する。
それをしたのがいつだったか。まぁ過ぎ去った過去はともかくとしても横目で時計の針を見据えれば……おぉなんと夜に差し掛かろうとしているではないか。
これはまずい。いや、疲弊した体を労わる為にこのまま惰眠を貪るのも悪くはない、が。
それではあまりにもつまらない――とにかく眠気覚ましに体を動かす。
背筋を反らし腕を伸ばして。
外へと赴き軽く散歩でもしようか――と、視界の片隅に映ったのは。
「んぁ、あれは……」
鏡だ。後ろ姿が見えただけだが、間違いない。
顔を微かに下に向けているのは――なにか雑誌を読んでいるからか。一体何をと覗き込んでみれば、それはなにやら若い男女が着飾った姿が掲載されている――いわゆる今時の若者たちを題材にした雑誌物。
何を着るのが最先端だの、どこへ往くのが今の旬だの……
――さすれば。途端にコルネリアの脳髄に光が走る様に『思いつく』ものだ。
口端釣り上げ背後より鏡の方に己が腕を回せ、ば。
「よぉ鏡ぃ、明日暇ぁ? 暇だなぁ? ――ならアタシとデート行こうぜ、決まり!」
「――はっ? デートぉ……?」
彼女の肩に腕を回して囁く様に襲撃すれば――逃がさぬとばかりに言葉を紡いだ。
その表情はまるで獲物を見つけた獣の様に。
一方の鏡は一体何事かと、コルネリアの言に微かに思考を巡らせた様だ、が。
「ふむ、いいですよぉ。でも……その代わり、誘ったのはコルネリアちゃんなんですから。
エスコートしてくださいねぇ」
その思考による隙間も正に刹那の事。
鏡もまた笑顔を見せながら――コルネリアのデート提案を了承するのであった。
そして、当日。
再現性東京――練達内に存在するその一角で、コルネリアは鏡を待っていた、ら。
「ねぇねぇお姉さん。もしかして暇なの~?
ならさ、すぐそこに喫茶店あるんだけど、いかない? 知り合いの店でさ――」
「はぁ……? あ、そっすか。ははは……」
なにやら軽薄そうな男共が寄ってくるものだ。
一体誰なのだお前らは。あまりに馴れ馴れしいぞ――隙あらば体に触れてこようとするその手を柔らかく手で弾くのは、優しさと言うよりも面倒くさいだけか。されど男は強く拒絶せぬ様子に逆に調子に乗る始末。
(うぜぇ……騒ぎになんのも面倒だがぱぱっと脅して散らすか……っと?)
段々と距離を強引に縮めてくる様子に限度を迎えんとしたコルネリアが行動せんとして――
瞬間。片方の男の腕が締め上げられる。
ぎ、から始まる小さな悲鳴が聞こえたと思えば、その原因は。
「おっとぉ、ゴメンナサイお兄さん達。
今この子の時間は私だけのモノなので、他をあたってくださぁい」
――鏡である。
にこやかなる表情――しかし振るう力は辛うじて『加減している』と言える寸前。
そのアンバランスさが故にどことなく恐ろしさを醸し出し。
もしも。これ以上に聞き分けが無い、その時は――
「ひ、ひぃ!! す、すんませんした!!」
であればと男たちは散っていくものだ。
一人は腕を抱える様にしながら、まるで蜘蛛の子散らす様に――
少し力を込めただけでこの程度とは……まぁあんなどうでもいい輩共はともかく。
「なぁに早速声を掛けられてるんですかコルネリアちゃん。
私と一緒に行くと言っておきながら、ガードが甘いんですねぇ」
「ちげぇよ! あれはあのアホ共が勝手に寄って来ただけだよ!
はぁ……まぁいいや。とにかく今日は一日付き合ってもらうのだわ」
「えぇ――ふふふ。今日は一日、コルネリアちゃんにお任せしましょうかぁ」
鏡は己を待っていたコルネリアへと言葉を紡ぐものだ。
そうだ。今日と言う一日は彼女の為に取っているのだから、と。
さて始まりに少しばかり余計な邪魔はあったものの――頭を掻きながらコルネリアは約束通りエスコートとばかりに先導する。まずもって入るのは――おっとこれは衣類の店、か?
「おや、ここは――」
「あぁ。なんとなくだけど鏡ってこういう所あんまり来なさそうだから……
物は試しに、ってな。アンタさ、顔良いんだからきっとなんでも合うだろうし」
アパレルショップ。入ってみれば、おぉより取り見取りの服が様々。
まじまじと見据えてみればなんとも可愛らしいモノに溢れているものだ。
いやそればかりという訳でもない、か。動きやすそうな――というよりもスタイッリュに纏まっている、可愛さよりも格好良さを前面に押し出している衣類も幾つか見受けられるものだ。『んー……鏡なら、こっちも良さそうね』とコルネリアが展示品を指で撫ぜて。
「コルネリアちゃん、もしかしてこういうの好きなんです?
ふふ。あーんまり誰かと一緒にこういう場って言うのは無いんですが……
他人の色に染められるのもたまにはイイですねぇ」
「色に染められるってぇ大袈裟な……いや、まぁ。好きか嫌いかで言えば好きだけどさ。
……しっかしアンタ何を着せようとしても似合うわね。こっちはどうよ?」
さすれば試着室にて試すあれそれ。
再現性東京は練達であれば、衣類も最先端が揃っているものだ。そしてそれらを着こなす鏡の素材たる才覚や凄まじい――ジーンズにシャツという簡単なだけの組み合わせだけでも様となり。アクセサリーや帽子など小物を組み合わせ、あの雑誌に載っていた流行の服に合わせても――これまた絵になる。
まるで着せ替え人形の如く。一つどころか二つ、三つ四つ五つと試して……
「…………おっとぉ!? しまったここで時間を使い潰す訳にはいかないのだわ!」
「ふふふ。コルネリアちゃん、実に楽しそうでしたねぇ。ああもう行くのですかぁ?」
――そうしていれば想定よりも時間を使ってしまっていた! 抱える紙袋は、選んだ中でも鏡に特に合いそうな代物を見繕ったつもりなのだが……いやしかし違う違う。ここだけで終わりにするつもりではないのだ。
次なる道へとやや歩の速度を速めて往く――
衣類の次は、鏡にとっても縁深き場へと誘おうと思考していて。
「――って訳で刀剣の美術館だ」
そうして辿り着くは先程とは趣の異なる場。
曲がりなりにもデートならば、鏡の興味のありそうな場所も、と。
「ははぁ。各地の刀剣が集められてるんですねぇ」
「あぁ。東に西にとあっちのこっちのが、な。鏡にはコレが良いってのがあんの?」
「さて。刃は斬れればなんでもよく、斬れない刃でなければなんでも――といった所ではありますけどねぇ。でも、美しさが分からない訳じゃないですからぁ」
ウィンドゥの中に収められし『ヨーロッパのロングソード』なる代物を見据える鏡。おぉ向こうの方を見れば『日本刀』なる空間もあるではないか……東に西にと集めているのは間違いない様だ。尤も、その基準は再現性東京らしく混沌世界ではなく異世界基準の様だが。
ともあれ――鏡にとって得物にこだわりがある訳ではない。
鏡にとっては形云々よりも如何にソレが優れているかが重要だ……が。
かといって彼女は無頓着と言う訳でもない。
そもそも刃として優れているモノは純粋に『見る』刀剣としても――素晴らしい。
「ま、刀ってのは使わないと持ち腐れではありますけどねぇ」
これははたして使われる機会はあるのだろうか。
ウィンドゥの中で一生を終えるか、それとも――
「ふふ。縁があるやらないやら……さて、じゃあ行きましょうかぁ」
「おっ? もういいのか?」
「ええ。それに今日は私の事よりも……コルネリアちゃんの事が見たいですからねぇ」
『刀・桐丸』なる美しき一刀を眺めていた鏡――だが。
一周した所で鏡はもうよし、とばかりに心を定めていた。
満足しなかった訳ではない。ただ、今日と言う貴重な一時は……『可愛らしい』彼女の為に。
「ええ――今日はもっともっと、見たいんですよ」
矛盾した、歪な自己認識を胸に宿している――コルネリアちゃんを。
彼女を見る度鏡は背筋が微かに震えるものだ。
壊してあげたい。けれど大事に守ってもあげたい。
あぁ――本当に可愛らしいコルネリアちゃん。
「まったく、いい趣味してるのだわ」
「ふふ――で、次はどちらに?」
その意図を知っているのか知っていないのか。
いずれにせよ合わぬ『嗜好』がある事は理解しているコルネリアは吐息を一つ。
零しつつも次は既に決めている。そう次は――!
「――競馬だ!」
熱狂の渦。その中央では数多の馬が走る――そう、これが競馬。
地を揺らすかの様な錯覚を得る声の数多は希望と絶望が入り混じる戦場……
その、中で。
「なるほどこれが競馬場……え、どの子が速いかなんて分からなくないですかぁ?
あの――ひょっとしてこれって運任せ?」
「まさか! 天気やら足場やらなるたけ情報集めて考えるのよ。見なさい、次の。右から三番目のゲートに入ろうとしてる馬の顔を。アイツら結構感情が顔に出るってーか、ありゃあ今日はやる気ないって顔してるわ……あぁまぁとにかくね。あらゆる情報を下に運を潰して、その上で純粋な『運』の要素だけを残すのよ――そうしたら最高に、って。
うぉー! 行け――!! 刺すのよ、そこだわ――!!」
そして熱狂の渦の中の一人たるやコルネリア。
競馬はギャンブル――だけど。ギャンブルなんて運要素無かったら面白くもなんともない。だけどあらゆるをかなぐり捨てて初めから運だけに全てを任すは愚か者のやる事。
情報を集め。考え。思考を巡らせ『あれが勝ちやすい』と判断し。
最後は己が直感を信じて――全てを投じる。
それがこの熱意を生み出しているというのか。あぁ、そして。
「あ、あぁ、ああ――! やったわ!!
見なさいよ鏡どーよ! これがギャンブルってヤツなのだわ――!!」
「ええ。おめでとうございますねぇ、コルネリアちゃん」
握り締める券。
そこに記されし数字がゴール順と一致した時――
全ての疲労を跳ね飛ばす至福が訪れるのだ。
コルネリアの勝利。思わず隣にいた鏡に勢いよく頬を付け合わせ抱擁する――
「しゃあ! これで全ての帳尻は整ったわ!」
「――んっ? どういう事なのですぅ?」
「ふっ。鏡は気にしなくていいのよ……それより、そろそろ日が暮れてきたわね」
同時。見上げれば既に昼時は超えて、夕暮れの領域へと到達しようとしているか。
「じゃあ締めの時間ね――ディナーといきましょうか」
故に。最後を締めくくるは食欲を満たす一時にて。
周囲の建物に光が灯され始める中――向かったのは夜景を一望できるレストラン、だ。
アパレルショップを回った際に整えた衣類を着こんで。
「今日は楽しかったですねぇコルネリアちゃん……でも一つ聞いてもいいですかぁ?
競馬って、負けたらこのディナーどうなってたのです?」
「そんなの決まってるでしょ? ――頭を掻いて誤魔化してたわ」
案内され、一席に着席す。
その言の真実ははたしてどうか。コルネリアはどうなるにせよ予算を残していた気もするし――そうでない気もする。まぁ『こう』でなかった未来は訪れなかったのだから、なんにせよ良しとしておこうか。
それよりも。食前酒として運ばれてきたのは――芳醇なる香りを宿す葡萄酒か。
すっきりとした白い色が美しく。互いにグラスを指先にて手に取れば。
「――で? 今日はこれでお終いですかぁ? フフフ」
「んー? なんか一波乱でも期待してた、かぁ? たまにゃ悪かねぇだろ、こういうのもさ」
今日と言う一日を想起して――紡ぐ。
あちこちを巡った。己だけではいかぬ場所へと行ったし、共に過ごした時が確かにあった。
それ以上が必要か? ならば――そうだ。
「んー……まぁでもそうね。この後帰って部屋で飲み直すとするか。付き合えよ?」
「おやここでも飲んで、まだ飲むんですかぁ?」
「こんなの『飲んだ』内には入らないものよ」
では、ご要望にお応えしてもう暫く己らが生を重ねるとしよう。
彼方まで見える、美しき夜景の光。地上の星々たる煌めきを見据えながら――
グラス二つ。微かな音色を響かせた。