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九重葛の夢花
登場人物一覧
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暗がりの灰暗を橙の蝋燭の灯火が照らす部屋。
掃除の行き届いた和室の窓には色硝子がはめ込まれている。
和洋折衷。大陸から流れて来た異国の文化を吸収し、激動していく時代。
諦星(たいしょう)の幕開け。
「ブーゲンビリアには小さな棘があるのだ」
遮那の手の中には赤色やピンク色のブーゲンビリアの房があった。
ヒイズルの言葉で『九重葛』と呼ばれるその花は見目美しく華やかな色彩を見せる。
この鮮烈なる色を持って花言葉は『情熱』や『魅力』『あなたしか見えない』となるらしい。
「棘ですか?」
ブーゲンビリアには、成長する過程で花に成れなかった花芽が固くなり棘になる性質がある。
「だからこそ、こうして色鮮やかな花を咲かせるそうだ」
厳密にはこの色鮮やかな部分は花では無い。花水木と同じように苞と呼ばれるものだ。
遮那の琥珀色の瞳は熱を帯び、正純を見つめていた。
目の前に差し出された赤色のブーゲンビリアを手に取った正純は、遮那と花を交互に見遣る。
正純は眼前の少年の事を幼い頃から知っていた。
代々続く星を奉る社の家系である小金井家の巫女は、天香家の女官として迎え入れられる
十三の時に天香家に迎えられた正純は、遮那を弟のように可愛がっていたのだ。
それがこの所どういう訳か、以前とは違う切なさと輝きに満ちた瞳で見つめられるようになった。
原因なんてものは考えもつかない。
ただ、それは近くに居る『女』というもの内、自分が一番距離が近かっただけの話しなのだと正純は視線を逸らした。
遮那には許嫁の朝顔が居る。親同士が決めた事とはいえ、何れ彼女が正妻となるのだろう。
それに友人である鹿ノ子は遮那の事を想って居るだろう。義妹の瑠々とて幼いながらに遮那へ想いをむけているのだ。遮那が未だ彼女達の事を『女性』としてみていなくとも、何れその時が来る。
だから、この真っ直ぐで熱の籠もった瞳は彼女達にこそ向けられるべきなのである。
自分自身の心など――
今日もまた、勉強で分からぬ部分を聞きに来たらしい。
遮那のお目付役としての役目も担う正純は、様々な知識や学術を修得している。
ヒイズルの文明開化の波に、真っ先に順応したのは、大陸の文化を知っていた正純だった。
遮那にとって正純は自分の知らぬ世界を知っている先生――否、ヒーローだったのだろう。
男児の好奇心は憧れとなり、恋心へと変化する。
憂いを帯びた切ない瞳。
ブーゲンビリアの花が目に止まった。
言い淀むように、唾を嚥下する音が聞こえる。
遮那は緊張しているのだろう。
何に。
なんて問いかけるべくもない。
だが、聞きたくなんて無いのだ。言わないで欲しい。その言葉を。
伝えないで。――答えなんて決まっているのだから。
「正純……私は、其方の事が好きだ」
琥珀色の真っ直ぐな瞳は射貫くように正純を見つめる。
それが酷く自分を追い詰める獣の視線に見えた。
何で、その言葉を伝えるのだろうと、逃げ出したい衝動に駆られる。
それは『崩壊』の言葉ではないのか。
今までの関係を崩す、諸刃の剣だ。聞きたくなんて無かった言葉だ。
「……ありがとうございます。しかしながら、遮那様それは勘違いです」
「勘違い、ではない。私は其方の事が好きなのだ。勘違いという言葉で片付けて欲しくは無い」
少し怒った様な表情に後悔をした。
「ごめんなさい」
息を吸い込んで吐く。
言わなければならないのだろう。それを遮那も望んでいるのだ。
「…………私は、遮那様の気持ちを受入れる事は出来ません」
自分の言葉で無いように聞こえる。
どこか胸の奥で何かが軋んだ。
「どうしてもか」
「ええ、有り得ません」
悔しげに涙を浮かべ、それでも零さぬよう唇を噛みしめる遮那。
「分かった。だが、今夜だけ。この一夜だけで構わぬ。其方の恋人になっても良いか?」
――明日からは只の遮那と正純に戻るから。夜が明けるまでは。
遮那は正純の金色の瞳を見つめる。懇願するように、繋ぎ止めるように。
鼓動が高鳴る。
期待だとか嬉しさだとかそういう類いのものではない。
この『最後』の言葉を、突き放してしまえば、琥珀色の輝きに陰りが見えてしまうのでは無いか。
そんなもの誰も望んでいない。曇らせたくない。
何故なら正純にとって遮那は傍で見守るべき大切な主君だ。
皆から愛されるべき存在だ。
本来であればその遮那が一夜の恋を願う相手が居たのならば、大人になったのだなと送り出しているところだ。貴族として生まれたからには正室の他に側室を設けるのは当たり前なのだから。
熱い視線を向けられる先が、自分でなければ。
突き放せればどんなに良かったのだろう。
正純にはそれが出来なかった。
輝きが失われる事が怖かった。
眩いばかりの遮那が大好きだったから――
一夜の恋は深く刻まれ、忘れ得ない思い出となる。
「私は貴方の傍に居ます。けれど貴方の『隣』は私ではありません」
紫黒の髪に触れて唇を落とせばそんな言葉が正純から零れた。
「分かっておる。されど、この想い、一夜の夢として胸にしまっておくぐらい構わぬだろう?」
一夜の夢。
ブーゲンビリアの花を想ったのは、何方だったのだろう。
――――
――
「……純、正純」
「ぁ、遮那様?」
長い睫毛をゆっくりと上げれば、心配そうに自分を見つめる遮那の顔があった。
その頬に指を添えて「もう朝ですよ、遮那様。早く戻らないと長胤様と蛍様が心配して……」と口に出したところで心臓が跳ね飛び意識が覚醒する。
「あれ? 此処は、あれ……ちょ、ちょっと待ってください」
「どうしたのだ? 正純」
心配そうに顔を覗き込む遮那のかんばせは幼さを残し、その肩に乗る使い魔の望も首を傾げていた。
さっきまでの憂いと切なさに満ちた男の顔ではない。
純真のままに真っ直ぐ前を見て進んでいる、よく知っている遮那の顔だ。
此処はカムイグラ。天香邸にある遮那の執務室だ。ヒイズルの正純の部屋ではない。
正純の背に冷や汗が伝う。
「私を待っていて眠ってしまったから、疲れたのだろうと其の儘にしていたのだが……其方が涙を流していたので心配になってな。悪い夢でも見たいのか?」
――夢。
ああ、夢だったのか。
なんて、なんて
「ええ、ええ。本当に、どうしようもなく『悪い夢』でした」
正純の眦から一筋の涙が零れて頬を伝う。それを遮那は懐から取り出した布で攫った。
「そうか。それは辛かったな。其方が泣いて起きる程の悪い夢か。其方も忙しい身の上だからな疲れておるのだろう。今日はゆっくりしていくが良い」
「いえ大丈夫です。明将のご飯の事も心配ですし、今日の所は帰りますね。用事はまた今度」
正純は遮那の心配そうな表情に微笑みを向けた。
誰に対しても優しく真っ直ぐで、穢れ無き魂の器。
きっとこれから、恋を知り愛を覚え、成長していくのだろう。
それが溜らなく嬉しい。その成長の過程を傍で見守ることが出来るのが幸せなのだ。
だから。
「どうか、其の儘で前を向いて居てくださいね。私は貴方の傍で見守っていますから」
決して振り向かないでほしい。
夢の様に熱い眼差しを向ける相手は、自分以外の誰かであってほしいのだ。
その『背を見守っていたい』のだから――
おまけSS『ブーゲンビリアには小さな棘がある』
これはR.O.O 2.0イベント『帝都星読キネマ譚 現想ノ夜妖』が始まる少し前のお話である。