PandoraPartyProject

SS詳細

嘘つきはいない

登場人物一覧

タイム(p3p007854)
女の子は強いから
烏谷 トカ(p3p008868)
夜霧


「あれ、もうそんな時間なの?」
 隣に立つ少女が、素っ頓狂とも言える声をあげたのは、無理からぬことであった。
 山の天気は変わりやすいと言うが、夜が早いというのは聞いたことがない。此処に着いたのは、昼を過ぎた頃だったと記憶していたが、そんなにも、無我夢中になるほど、自分たちはあの老婆の話に聞き入っていたのだろうか。
 遠くに見える太陽は既に沈みかけて、空の一部を橙色に染め上げている。それが東に視線を向けるにつれ、紫の様相を帯び、色は黒に黒に近づいていく。
 隣で、どうしよう、という顔を見せている少女。きっとこちらの反応を待っており、それに委ねるつもりなのだろう。しかしどうにもこうにも、やるべきことはひとつだった。
「とにかく、下山しないことには始まらない。幸い、迷うような道でもなかったし、まっすぐ麓の村まで帰ろうか」
 別に、深い考えがあったわけではない。帰り道に立ったのだ。帰らなければ意味がない。それだけのことなのだが、こちらが方針を示したことを喜んだのだろう。ひとつ大きく頷くと、彼女はこちらの歩調に合わせて歩き始めた。
 日が沈んでいく。夜が深くなっていく。世界が暗くなっていく。それは先程まで聞いていた老婆の話を、否が応でも思い起こさせた。


「おや、お客さんなんて、珍しいこと」
 その木造の家屋を見つけたのは、本当に偶然だった。
 咲き誇る花々に目を惹かれ、歩きに続けば山の中腹を過ぎた頃、ぽつんと建ったその一軒家を、ふたりして見つけたものだったのだ。
 その一軒家には看板が立ててあり、文字は掠れて読み取ることには苦労したものの、どうやら薬品店であるらしいということがわかった。
 建物自体は相当に古いものであると伺えたが、周辺の雑草は綺麗に取り除かれており、裏手には畑が覗いている。顔を出している花に見覚えはなかったが、此処がどうやら、そのようなものであるらしいと、合点はいくものである。
 扉を開くと、戸の上部に備えられたいくつかの金属片がぶつかって、小気味良い音を奏でた。客の来訪を知らせるための仕掛けなのだろう。待つとも言えないほどの少しを経て、奥から現れたのはひとりの老婆だった。
 なんというか、イメージにそぐわなかったのを覚えている。このような所に一人で住んで、薬品の取り扱いなどしているものだから、偏屈な魔女のような人物を想像していたのだ。鷲鼻で、奇妙な色の液体をかき混ぜていれば完璧だったろう。
 それがどうだ。背はきっちりと伸び、皺の深い顔に、にこにこと人の良い笑みを浮かべている。言葉ぶりもどこかゆっくりで、しかし苛立たせるようなものではなく、むしろ気分を落ち着かせるような、温和な音をしていた。
 隣に立つトカも同じことを考えていたようで、ふたりして、思わず目を合わせては、見張らせてしまう。
 はっと、失礼な態度をとっただろうかと慌てたが、老婆は気に留めてなどいないようで、にこにこした顔を崩しはしなかった。
「ここいらでしか採れない草花を使ったものが多いから、物珍しさもあるだろうけれど、あまり遅くならないうちに、帰ったほうがいいわ」
 その言葉には違和感を覚えた。珍しく訪れた客に対し、早く帰れとはどういうことだろう。老婆の物腰からも、少し突き放した物言いに聞こえたのだ。
「ここいらは遅くなると、あっちと近づいてしまうからよ。それにほら、今日は月が見えない日でしょう?」
「あっちってなんですか? 死後の世界?」
 思わず聞き返してしまったが、老婆はゆっくりと首を横に振り、否定の意を示す。
「あれがお化けなんてものなら、どんなにいいかしら。いいこと、もしも遅くなってしまったら、みっつのルールを覚えておくの。いい? しっかり覚えておくのよ」
 老婆はそれを一度しか言わなかったが、その丁寧な音調のおかげか、耳にはすんなりと入り、頭にもしっかりと残ったものだった。
「『引き返してはいけない』『返事をしてはいけない』『気づかれてはいけない』。あれに見つかってしまったら、見つかっていないふりをするの。麓の村に戻るまで、しっかり前を見て帰るのよ」
 老婆の忠告に従い、見学は最小限にとどめて、陽の高い内から帰路につくことにした。
 そうした、つもりだった。

● 
「ねえトカさん、そんなに時間、経ってたっけ?」
 自分の少し後ろを歩くタイムの気配を感じている。
 陽はとっくに沈み、月が出ないこんな日は、星明かりだけを心もとない街灯として進むしか無い。
 思っていたよりも時間が経っていたことを、彼女は今も気にしているようだったが、とてもそんな気にはなれない。
 くらい。暗い。ただの闇を恐れているわけではない。彼女は気づいていないのだろうか。暗闇の奥にずっと存在を感じている、得体のしれない何かのことを。
「あれ、トカさーん? 聞こえて……ひっ。これ、あ、違っ、えっと、振り向いちゃだめ、返事しちゃだめ、反応しちゃだめ」
 いいや、どこか抜けているようでもタイムは聡い女性だ。暗闇に潜むなにかの気配を感じ、また、さっきの老婆の言葉を自然と結びつけるだろう。
「ねえ、こっちを見て」
「…………!!」
 心臓が跳ねたような気がした。口を必死に手で抑え、思わず何かを発しそうになる自分を食い止める。この声はタイムにも聞こえているのだろうか。
 返事をしてはいけない。老婆の言っていた通り、これは確かに、幽霊などではない。彼女は気づかれるなと言った。そのとおりだ。気づかれたら、こんなものに気づかれたらどうなるかわかったものではない。
「ねえ、聞こえているんでしょう?」
 幸い、視界には入ってこない。目の前に立たれていたら、知らんぷりを決め込むことなど出来やしなかっただろうが、この何かは、自分の前に回り込もうというつもりはないようだ。
 おそらくは、ルールが向こうにも適用されるのだと考えられる。『振り向くな』。逆に言えば、振り向いてもらわねば、その何かはヒトの視界に入ることが出来ないのだ。
「ねえ、聞こえているんでしょう?」
「こっちを見て」
「こっちだ、こっちだよ」
「そっちじゃないよ、こっちが正解だよ」
 意識して、反応を返さないように努めていたら、声が増え始めた。
 集団にまとわりつかれているような錯覚に陥る。物陰から呼ばれているようであるのに、耳元で囁かれているようにも感じる。
「だめよ、そっちは違うわ」
「ほら、こっちを向いて」
「引き返そう。今ならまだ間に合う」
「ねえ、私はここよ」
「どうして振り向いてくれないの?」
 耳を塞ぎたくなるが、それも許されてはいない。反応をしてはいけないのだ。その声を、聞きたくないから耳をふさいでしまっては、聞こえているのだと気づかれてしまう。
「そっちじゃないの、だめ、そっちに言ってはだめ!」
「ねえ、こっちよ! 私を見て! 私の声を聞いて!」
「違うの、そっちじゃないの! どうして、聞こえてないの!?」
「どうして、どうして」
「じゅぶる、うじゅうぐじゅる」
「だめ、どうして、どうして……」
 おかしな、声ではない奇妙な音まで混じり始めた。同時に、肩になんか、粘性のある重みがこびりついたような気がする。それは衣服を抜け、肌に染み込んでくる。振り払っていまいたい、削ぎ落としてしまいたい。
 だめだ。反応をしてはいけない。いけないのだ。
 耳をふさぐことも叶わず、あらぬ方向に顔を背けることも叶わず、ただ道を、麓までの道を歩き続けた。


 聞こえていない。
 どうして聞こえていないの。
 私の声を聞いてほしい。私の言葉が届いてほしい。
 手を伸ばしているのに、袖を引いているのに。
 私の声が届いていない。
 私の声が届いていない。


 木々の合間を抜けて、視界がひらけた、その時だ。
 わあっと、途端に明るくなった。
 先程までの夜が嘘かのように、太陽は元気よく輝き、光という恩恵を惜しみなく注いでいる。
 夢を見ているのだろうかと、一瞬、自分の脳を疑った。だが照りつけるそれが肌を焼く感覚。首筋を汗がたどり、背中がじっとりと濡れていく不快感。それらが昼間の夏を現実のものだと教えてくれる。
 ならば先程までの夜のほうが嘘で、この昼が正しいのだ。
 ほっと、ひとつため息をもらした。視界がひらけたおかげで、見れば麓の村も、もうそこだと言えるほどには近く、視界に収まっている。
 安堵の気持ちが強い。きっとひとりでは耐えられなかっただろう。終始、後ろにきっちりとついてきてくれる彼女の気配を、存在を感じていたからこそ、抜け出すことが出来たのだ。
 今更になって、心臓が早鐘のように何度も何度も存在を主張しているのを覚え始める。
 嗚呼、怖かった。そんなことをふたりで思い返せれば、いい肴になるだろうか。
「あ、やっと村が見えてきた! もう安心ね!」
 賑やかさを感じる、明るい声。それにどれだけ助けられただろう。
「ああ本当に、やっと帰ってこれ―――誰だお前」
 そこにいたのはタイムではなかった。
 ヒトかどうか、いいや、生き物かどうかもわからなかった。終始小刻みに震えており、枯れ枝が絡み合ったような突起の先に、そこだけまるで人間のような手を生やし、こちらの裾を掴んでいる。
 わかっている、もうわかっている。だがそれを認めたくない自分がいる。
 自分はまだ、麓の村に、戻っていない。
 嫌悪感を覚えて、慌てて振り払えば、それは目のようなものをこちらに向けて、そこに空いた無数の穴を、笑みのように歪めてみせた。

  • 嘘つきはいない完了
  • GM名yakigote
  • 種別SS
  • 納品日2021年07月27日
  • ・タイム(p3p007854
    ・烏谷 トカ(p3p008868

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