SS詳細
静謐な殺意
登場人物一覧
夕暮れ時、三つの命が忽然と消えた。男はいつものように女に向かって後ろから斧を振るい、逃げようと戸に手をかけた二人の幼子の首に矢を射る。血が吹き、幼子は重なり合うように倒れ込んだ。
「駄目ですよ。外に出てしまっては……君達はお母さんと一緒にいなくちゃ!」
男は愛想笑いを浮かべたまま、
「ね、お母さんもそう思うでしょう?」
男の髪から女の血が滴り落ちていく。男は目を細め、両手をパンと鳴らし、何事も無かった様子で夕食の準備に取り掛かった。
「皆さん、待っててくださいね。今から山菜を天ぷらにしますから。今日は客人が、多いですからね!」
男はまた、愛想笑いを浮かべ、包丁を握り締めた。
志屍 瑠璃(p3p000416)は一人で山を歩き、下手くそな地図に目を落とした。ローレットに届いた一件の失踪。依頼人の男は失踪者の父であり、夫だった。青白い顔で男がローレットに駆けこんだのは星が瞬く頃。男は目についたチンチラの情報屋に縋りつき、「妻と息子たちが山に行ったきり帰ってこない!!」と泣き叫んだのだ。それから、情報屋はすぐに瑠璃に依頼をし、親子がいるはずのR山に瑠璃は足を踏み入れている。
「この山で多分、合っているとは思いますがいただいたのがあの地図ですからね」
瑠璃は鮮血に似た瞳を細め、ゆっくりと息を吐き、山道を歩く。冷え冷えとした空気に木々の青い香と大地の匂いが混じりあう。瑠璃は額に浮かんだ汗を黒色のハンカチで拭い、
「おや……」
鹿が一頭、岩の上に立ち瑠璃をじっと見つめ、すぐに消えていった。
「山には無害な動物ばかりではないですからね」
硬く湿った土に獣の糞が散らばり、しっかりとした足跡が地に大きく刻まれている。親子は熊や猪に襲われたのかもしれない。そう、彼女達は熊よけの鈴すら持っていなかったのだから。
「それか遭難した可能性もあります。それでしたら、あとは彼女達の無能を叱るばかりです」
祈るように呟く。それならいい。生きていれさえすれば、もう一度、愛する者に会えるのだから。
「……」
ただ、それが儚い夢だと知ったのは、風の匂いが不意に変わったからだ。眼鏡の奥の紅い瞳を細め、眉根を寄せたまま、瑠璃は音を立てずに近づく。やっぱりだ。
「残念ですが遅かったようです」
死臭がし、肉片が散らばっていた。髪の毛と剥き出しの骨と布切れが地面から顔を出していた。土の色が変わっていた。獣か何かだろう。掘り起こされた跡があった。瑠璃は屈み、両手を合わせ──
「私にあなたたちの最期を教えてください」
引きずり回され、残された肉片は死者の臭いを纏っている。女は二人の子供と
「じゃあ……奴を……誰か! 誰でもいい……殺してください! 私じゃ殺したくても殺せません……お願いだから……妻と息子たちの敵を! ああ、お願いですから……」
痩せ細った男が唾を飛ばし、ぽろぽろと涙を流している。
エイデンは若くとても親切な男だ。にこにこと笑い、犬のように人懐っこい。だから、森の中を通る街道の脇で、脚を痛めたのか座り込む
「大丈夫ですか? あっ、違いますね……こんな時はどうしましたかって聞くべきでしたね」
エイデンは笑い、頭を掻いた。顔を上げた女は真っ青な顔をし、ヘーゼルの瞳をエイデンに向け、ブルーの美しい髪を揺らしている。エイデンは目を細めた。女はエイデンが好きなボブカットだった。
「ええと、あたし……山歩きってやつをしてたんだけど、脚挫いちゃってさ」
女はぺろりと舌を出し、「いててて!」と顔をしかめた。
「それは大変でしたね。あの、嫌じゃなければ僕が貴女を背負います」
「えっ!? いいの!? あたし、超重いんだけど!」
「ふふ、それは嘘ですね。女性は軽いですよ、誰でも」
エイデンは言った。そうだ。女は軽い。だから、一番に殺したいと思う。男は重くて大きくてとても邪魔だ。まぁ、子供だったらどっちでもいいけど。思い出す。一週間前の親子も、エイデンにぴったりだった。また、殺したい。叫び声も血も涙も絶望の表情も、エイデンには心地好い。そして──この女はいったい、どんな声で泣いてくれるのだろうか。エイデンは笑う。女の為に素敵な穴を掘らなければならない。
「それ、嘘! あなた、愛想笑いしてるけど!」
「え? そうですか? う~ん、きっと
「あら! 嫌な癖ね。でも、良かった、あなたに会えて……」
女は大きなリュックを背負い、にこりと笑った。
「それは良かった! じゃあ、少しだけ背負いますね。山小屋はすぐ近く、ですから」
エイデンは女を背負い、首を傾げた。何だろう、女が重い。見た目はとても細く、斧がすっと通るくらい柔らかそうなのに。リュックに沢山の荷物が入っているのだろうか。エイデンはよろけぬよう慎重に歩いた。山小屋がいつもより遠い気がした。
「到着しました」
エイデンは女をそっと降ろした。
「ありがとう!」
女は頷き、木の椅子に腰かけた。
「待ってくださいね、今からお湯を沸かしますから」
頭にタオルを巻き、エイデンは汗ばんだ顔で笑う。全てが儀式のように思えた。
たらいの湯に足をつける女。
「あったかくて気持ちいい! もう、普通に歩けそう!」
「それは止めてください、悪化しちゃいますから」
「ふふ、冗談だよ。てか、あたし、何だか眠くなってきた……」
女が欠伸をし始める。
「あら、そうですか。疲れたのでしょうね。大丈夫、寝てください。僕は少しやることがありますが……気にしないでください」
エイデンは女から見えない位置で斧をゆっくりと研ぎ始める。静かな時間が流れ、気がつけば一時間以上経っていた。エイデンは斧を握り締め、眠たそうに身体を揺らす女に忍び足で近づく。
「一週間前の二人の子連れの母親も、そうやって殺めたのですか?」
背を向けたまま、女が不意に口を開いた。エイデンはハッとし咄嗟に斧を背に隠した。
「殺める? へへ、何のことですか? 僕はただ、貴女をびっくりさせようと近づいただけなのに……」
エイデンは笑う。
「ああ、その笑顔、知っていますよ。子供に矢を射かける前にも浮かべていましたね」
振り返り、じっと男を見据える女。エイデンは喉を鳴らし、目を見開いた。表情は別人のように冷たく、鋭い針のような殺気がエイデンに突き刺さる。身体が震え、冷たい汗が流れる。エイデンは笑い、斧を振りかぶった。全てを無にしたかった。だが、エイデンより先に動いた者がいる。
「!?」
女の目が紅く輝き、光条がエイデンの胸を呆気なく貫く。エイデンは瞬時に崩れ、手から落ちた斧がエイデンの右足に喰らいつく。肉が裂け、花火のように赤が散った。悪人の死はやがて、誰かの救いになれるだろうか。
「……変装時の私はとても好みでしたか?」
女はエイデンを見下ろし呟いた。変装を解き、懐から取り出した眼鏡をかけたその顔は、ローレット・イレギュラーズの
おまけSS『その後』
「なぁ、エイデン・ベールの記事読んだか?」
「うん、読んだ! あの殺人鬼、100人以上殺してるって話だよね……」
「ああ、恐ろしい話だよな……寒気がするよ」
「本当に……ただ、もういないんだよな、殺人鬼の野郎は」
「そうだな、志屍瑠璃が一人で始末したらしい」
「いやぁ、ほんと良かった……悪人が一人死んでさ。今度、彼女を見かけたら飯でも奢ってやりてぇなぁ!」
「え、どうだろう。そもそも、見つけられるかな。彼女、変装してんじゃね?」