PandoraPartyProject

SS詳細

パピリオが瞬くような、

登場人物一覧

日高 天(p3p009659)
特異運命座標
日高 天の関係者
→ イラスト

 あの日。父が多額の借金を抱え首も回らぬようになったあの日に――幻想で大々的に開催された奴隷市場で手枷を嵌められ私は絶望していたのだ。
 父が此れからも笑っていられるために。父だって、好きで拵えた借金では無かった。商売人にはそうした波は有り得たことだった。ただ、父はその波濤を乗り越えるだけの策を有しなかっただけ。
「アリエーテ……、だが……」
 父は愛娘を売りに出すほどに落魄れては居ないと言った。だが、母を思えばこそである。ラブラドル家の末娘であった母がフンスリュック商会の現状を実家に知られたならば縁など容易に切られてしまう。少女は両親のために己の身を奴隷へと落した。その際に捨て去ることとなったアリエーテと言う名前も、新たに名付けられた家鴨アナトラの名さえも。少女にとっては両親との決別に他ならなかった。
「アナトラと楽しく過ごして貰える者を、と。傭兵に依頼を出していたのだが……此方がその依頼を受けてくれたイレギュラーズの日高 天殿だ。
 此れからアナトラは彼に仕え、彼に護って貰いながら日々を過ごしなさい。何、使用人であれども私は君を孫のように思っていてね。こんな老いぼれの余生を共にするよりも、色々な経験を積んできてくれた方がずっと良い」
 アナトラを買い取った老貴族ウィンゲートは不憫な奴隷の娘の素性を知っていたのかも知れない。使用人としてではなく、貴族令嬢のように振る舞うことを許し、天へと護衛役を依頼した。アナトラは自身の知識を活かし、天を支えると決め、天は仕事として彼女を保護し、共に過ごすこととなったのだ。

 そんな――そんな日から幾許か。賑わう幻想のマーケットの中を可愛らしい使用人用のワンピースを着用したアナトラが進む。
 バスケットには本日のディナーの材料と、明日のモーニングの準備を詰め込んでいる。長く伸ばした銀髪は動きやすい長さに切り揃えられた。傷ましくも思えた手枷の後は付け袖で器用に隠して居る。何処からどう見ても愛らしい貴族の令嬢とその後英にしか思えないだろうと天はその背中を静かに追いかけた。

 ――私は使用人です。その様にお遣い下さい、ご主人様。

 堂々とした彼女の意思に反するのは天にとっても本意では無い。彼女が使用人として買い出しに出るならば、護衛も兼ねて荷物持ちを買って出た天はさて如何した物かとその整った横顔を眺めて居た。天にとって、10も年の離れた少女との関係性の詰め方は教科書を読もうとも理解出来る物ではなかった。
 学生時代から女っ気の無い青春を送り、職場さえもむさ苦しい兄弟だらけであったのに今更、『異世界の美少女』という生き物と友好的な関係をどう築ける物か。
 しかも、相手は此方を「ご主人様」と――
「ご主人様。どうかなさいましたか?」
「あ、ああ、いや……アナトラ。他に何を、購入するんだ?」
 首を傾いで此方を眺める色違いの眸。可愛らしく微笑んだアナトラに天は上の空であった己を律するように咳払いをし、柔らかに問い掛けた。出来るだけ優しい声色で、怯えさせないように。そう心がけていることが彼女にも伝わっているのだろう。怯えた様子もなく、彼女は「そうですね」と考えるように唇へと指先をやる。
「……ご主人様は何がお好きですか? ご希望が無ければ明日の朝食はフレンチトーストにしようかと思ったのですが。
 シナモンシュガーはお嫌いでしょうか? シナモンシュガートーストでも良いかもと。少しばかり悩んでしまっていたのです。……私が悩んでいたから、ご主人様も上の空、だったのでしょう?」
 彼女の悪戯っ子の様な仕草に天は肩を竦める。やれやれ、こうしたやりとりでは何時だって少女の方が上手なのだ。
 バスケットの中にはディナー用のシチューの材料が詰め込まれている。ここから先は自身らの好きな物を少しずつ購入する為の時間なのだろう。
 天はどう応えようかと頭を乱雑に掻いてから「アナトラが好きな方で良い」と返す。声音は出来るだけ怖がらせないように、優しくだ。
「じゃあ、シナモンシュガートーストにしましょう。フレンチトーストはまた後日」
 決定しましたと大きく頷いて微笑んだ彼女に、そうして笑ってくれるだけ打ち解けたのだろうかと天は躍る様な歩みを見せる少女の背中を追いかけた。ワンピースのスカートはふわり、ふわりと宙を踊る。石畳を慣れたように歩いたその様子を見るだけでも彼女にとってはマーケットも幻想も、慣れ親しんだ場所である事が感じられた。
 煩雑としたマーケットを器用に歩く彼女の代わりに荷を背負って天は歩き続ける。馨しいスパイスを並べた露天の傍らで、ぴたりと足を止めたアナトラは「シナモンシュガーとバターを林檎に……というのは如何でしょう」と此方へと問い掛けた。彼女がそうして全てを問い掛けるのは『使用人』が主人に許しを乞う動作であることを天はよく理解していた。それが心の距離が近付いたという意味合いでは無い事も、重々承知の上で「良いと思う」とだけ応じる。
「どう致しましょうか。私の好きな物ばかりですね? ご主人様のお好きな物も購入しておかねば……」
「いいや、構わないさ。ウィンゲートさんから出資金は貰っている。これはそもそもアナトラがウィンゲートさんから貰う賃金だろう?」
「まあ。奴隷にそのような……ふふ、けれど、嬉しく思います。ならば私のお買い物に付き合って下さいませんか?」
「え? あ、ああ、いいぞ。何を買うんだ?」
「それではご主人様、林檎を選んでは下さいませんか?
 私は一つ。ご主人様は二つ。どれが甘いかを後で試してみたく思います。私の方が甘かったら明日のランチがフレンチトーストで」
「……やるか」
 彼女の可愛らしい我儘だ。フレンチトーストもシナモンシュガーも何方も好きな少女が決めきれないと此方に判断を委ねてきたのだろう。
 バスケットを握りしめて赤くなっていた指先を労るようにその手から奪い去れば不思議そうに見開かれた二つ色の瞳が可笑しそうに細められる。
 全く、彼女の言うとおりだ。奴隷相手に。この様に気遣うのもどうかしている。
 だが天にとっては女性への扱いは此れが正解であった。商人の差し出す林檎を目利きして悩ましげに唸るアナトラの後ろ姿を見るだけで、天のかんばせには柔和な色が乗る。
 さて、流石に朝食のトーストの後に昼食もトーストは勘弁頂きたい。出来ればと選んだ林檎の答えはまた帰宅してからだろう。
 1つと2つ。分けて袋に入れて貰ってからバスケットへと詰め込んだ。バケットや野菜だらけで一杯一杯だと悲鳴を上げたバスケットを片手で支えながら天は「買い物はこれで終了か?」と問い掛けた。
「はい。ウィンゲート様のおつかいも終了致しましたし、食事の準備も此れにて完了です。ご主人様は何処か寄られたい場所はありますか?」
「俺は……」
 ふと、目にとまったのは銀色の石を当てはめた美しいブローチであった。彼女の艶やかな髪にも似たその色に、何時かそうしたアクセサリーを送ってやるのもいいだろうかと考えてから天はゆっくりと頭を振った。
「……なら、帰ろう。荷物は俺が持つ。アナトラは……林檎を持っていてくれ」
「こちらの林檎で御座いますか?」
「明日の食事の賭け事だろう。俺が不正をしないように大事に持っていて欲しい」
「まあ。不正をなさるおつもり……も、ないくせに。ご主人様は時々可笑しな事を仰います」
 そう言ってから破顔する。ジョークを交えれば笑ってくれる彼女が自信を嫌っていないことを感じ取って天は安堵した。
 まだまだ彼女との距離は遠い。それでも、少しずつでも歩み寄ることが出来るならば其れで良いのだと天は満足げに石畳を行くアナトラの横顔を見詰めていた。
 奴隷であった少女と、傭兵でしか無い自分。
 雇い主は全く別の相手。それでも、奇妙な関係性で或る彼女と自分の間に存在する関係性を表す言葉が悪い物でなければいいとだけ願いながら。
 天はのんびりとその背中を追いかける。
 揺らいだ銀の髪が美しく波を打つ。結わえた髪飾りが影を落してから「ご主人様、荷物は重たいでしょうか」と首を傾いだ彼女に首を振った。
「どうしてだ?」
「だって、私の後ろを歩かれます」
「……いや、重くは無いよ。横を歩くか」
 彼女を護る為に。そう言う護衛としての立ち位置ばかりを考えていた天は目から鱗が落ちた。アナトラにとっては隣を歩いても良い存在であったことが嬉しい。
 ゆっくりとその小さな背中に追い付けば満足げに「不正をされては困ります」と揶揄うように色違いの2つ色が見上げてきた。
「ああ」
 嘘だと、その眸は笑っている。楽しげな彼女の傍らをゆっくりと歩きながら言葉少なに天とアナトラは家路を辿る。
 少しだけアナトラが遅れだしたのは歩幅の違いだろうか。合わせなければと足を止めれば、立ち止まったアナトラは林檎の入った袋をぎゅうと抱き締めて首を傾いだ。
「ご主人様、次も買い物にご一緒して頂けますか?」
「……アナトラが良いなら」
「……ふふ、可笑しな方。淑女は厭な相手にはその様な誘いは致しませんよ」
 彼女の揶揄うような微笑みは何時だって上手だ。それがアナトラ――『アリエーテ』の本来の性格なのだろうか。
 天は肩を竦めてから「そうだな、それなら喜んで」と彼女と歩調を合わせてゆっくりと隣を歩き出す。
 今度は、どちらかが老いていくことも無いように。他愛も無い談笑を重ねて心を寄り添わせるようにゆっくりと。
 気付けば柔らかな陽光は燃えるように大地を焦がし始める頃。街並みに漂い始めた心地よいコンソメスープの香りに誘われるように二人は石畳を進んだ。

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