PandoraPartyProject

SS詳細

The most wonderful perfume is

登場人物一覧

ノア=サス=ネクリム(p3p009625)
春色の砲撃
ノア=サス=ネクリムの関係者
→ イラスト

●胸が高鳴る、あの匂い

 それは、今より幾度か季節を遡った頃の、とある夏の日のことだった。
それは、今なお『姉』への思いを内に宿す、とある少年の話だ。

「あづぅい……とけるぅー……溶けて消えちゃうぅ……助けてぇゼノぉ……」
「そんな簡単に生き物は溶けて無くならないだろ」
「私は限界が来たら溶けるのぉ!」

自身の住処としているこの場所で、桃色の髪をソファーに這わせるように横たわり、暑さに唸っているのはノア=サス=ネクリム。
そしてそんなノアの言を、彼女と似た髪色をした少年、ゼノ=サス=ネクリムが、さらりと受け流した。

「ゼノ、今夜のご飯はさっぱりひんやり、冷たいものにして……」
「夜になれば、結構涼しくなると思うけど」
「いいのー、今日はそういう気分なのー!」
「あっそう……」
「それにしても、本当にあづい……このままだと私死んじゃうわあ……」
「それ、毎年言ってない?」
「今年は格別にヤバいって意味よぉ!」

普段から雑に生き過ぎている姉の面倒を見ているのはこの弟だ。この程度のワガママならば慣れたもの、頭の中ではてさてどうしたものかと、今夜の献立を組み合わせる。どうせ姉がこういう事を言う時は、大概ちゅるっといけるものにしろという意味に等しいのだ、主食は素麺で良いだろう。けれど素麺だけでは栄養価に欠けるから、何か小鉢を付け足しておこう。この姉の事だから、今夜はおかずも熱いのは嫌だと言うだろうか。だったら、冷しゃぶにレタスでも添えて……。
そう考える内に、ガバっとノアが起き上がった。

「ああもう限界っ! シャワー浴びてこよっ」
「ああうん、それがいいんじゃない? そもそも最初から脱げば良かったんだよそれを。なんでこんな日にそんなの着てるのさ」
「じゃあゼノ、これ『お願い』ね」

いうが早いが、ノアは自らの身体を隙間なく包んでいたボディースーツ、その胸元に手を置いて。胸から、腰から、そして脚へと、色白い柔肌を、曝け出す。
そう、彼女の身体は今、文字通り『一糸まとわぬ姿』となったのだ。

「ちょっと姉さん!? こんな所で!?」
「いいのいいの、どうせ私達しか居ないんだから。じゃ、行ってきまーす」

ペタペタ素足を鳴らし、ノアはシャワールームに行ってしまった。居間には、ゼノと、ノアの着ていた衣服だけが残された。
全く勝手がすぎる。もし仮に、ここに他の男がいたならばどうするつもりなのだろう。

ーー尤も、姉が他の男の前で脱ぐだなんて有り得ないけど。

 さて、彼女の常套句たる『お願い』=今回はこれを洗っておけという意味なのだろう。別にモノが綺麗になる過程そのものを見るのは嫌な気分もしないし、洗うのは別に構わない。構わないのだが、服くらい自分で洗い物のバスケットにでも入れてきて欲しい所だ。しかし姉から直々にお達しが出た以上は仕方あるまい。
この抜け殻を見れば誰もが彼女の性格を察するであろう、そのくらいに雑に脱ぎ捨てられたそれを拾い上げる。

外から入った温い風が、レースのカーテンをふわり揺らす。それと共に、ふわっと漂うあるモノが、彼の鼻腔を侵す。
それに胸が高鳴り、ゼノは縫い付けられたように動けなくなった。
遠くで一瞬、豪雨のような強い水音、そして「冷たっ!」と叫ぶ姉の声が聞こえた。

いつもなら一応は様子を見に行く所だろう。それでも、ゼノはその場を動かない、否、動けない。だって、自分を侵すものの正体を確かめなければ。
手にした物に更に鼻を押し当てる。この衣服に染み付いた、皮脂の臭い。これを着て何か仕事をしてきたのだろうと思われる、湿った汗の香り。
浴室から聞こえる音は、一定のリズムと強さに変わった。そこに聞き覚えのある鼻歌が混じってくる。

 今頃姉は宣言通り、シャワーで汗を流しているのだろう。その身体を伝う温水を思い浮かべる。シャワーなら流れ出たお湯が、姉の額や髪を濡らして、胸元の谷間を通り、背筋を降りて、足元まで滴り落ちていく。彼女の香りを洗い流して。臭いを何もかも、全て奪い去って。……何とも、勿体無い。
けれど、このボディスーツはどうだ?
鈍く浴室の明かりを跳ね返す光沢。手に吸い付くような触感。何よりも、これを纏っていたのは間違いなく姉なのだと、匂いが実感させてくる。

 脂ぎった男の臭いは嫌いだ。特に何日も清拭すらしないような、獣臭い男は最悪だ。
植物の香りは好きだ。ラベンダー、薔薇、ミント……種類も好みも人によって色々あるけれど、少なくとも芳香剤だのによく使われるタイプのものならば、嫌いなものを探す方が難しいくらいだ。
空腹時に漂ってくる、何か美味しそうな食べ物の匂いだなんて格別だ。昨日も肉の焼ける匂いを嗅ぎつけて、姉がキッチンまで飛び込んできた事を思い出す。あの時のノアの顔と言ったら、実にだらしなく口を開けていて、何とも言えぬくらいに無防備で。

「ちょっとゼノー、まだ洗濯してなかったのー?」

はっとして振り返れば、シャンプー終わりの湿った髪、そしておろしたてのバスタオルだけでその身を包む姉が居た。汗の臭いと引き換えに鼻に伝わってくるのは、一昨日ゼノが詰め替えたばかりの、シャボンの匂い。自分が用意したあの匂いに、姉が包まれている。
その事実が、ゼノの胸を更に高鳴らせた。

「あっいや……姉さんが上がったら、俺もシャワー行こうって思ってさ」
「そうなの? 一緒に来たら洗ったげたのにぃ」

慌てて言い繕うゼノを、ノアが疑る筈もない。冗談とも本気ともつかぬ笑いともに『じゃあ行ってきな』とポンと背を押され、シャワー室へ吸い込まれる。

 何故自分は、咄嗟にああ言ってしまったのだろう。いつもなら姉の言うとおり、さっさと洗濯を済ませてしまっていただろうに。『自分で入れなよ』と文句を言いながらも、別にその日常を良しとしていただろうに。何故、今日に限ってあの場から動けなかったのだろう。
『俺もシャワー浴びてくる』……本当はそのつもりはなかったのに、ああ言った手前。すぐに戻ってきては不審がられるだろう。姉に頼まれていたのだから、この衣服だって、洗わない訳にはいかない。

名残惜しそうに、姉の服を洗濯機に入れ、自分も着衣を脱いでから、そこに入る。

開ければむわっと漂う湯気は、先程まで姉がここを使っていた証左に他ならない。水の滴るボディタオル。保湿効果を謳ったボディーソープ、そして少しお高めのシャンプー&コンディショナー。全て姉の使ったもの。
失われたと思った姉の匂いが、鼻腔を抜けて肺を満たし、その胸を膨らませていく。

……ああそうだ、姉はここに居たんだ。ここで汚れた身体を洗って、俺が用意した香りに着替えて、そのままの姿で戻ってきたんだ。

とにかく今は、シャワーで余計な汗を全て流して、姉と同じボトルで不要な匂いを、全て洗い流すのだ……!



「……おかえりー……って、ちょっとゼノ、顔赤いけど大丈夫!? シャワー浴び過ぎたんじゃない?」
「……俺は、平気だよ」
「本当に? 水、飲んできた方がいいんじゃない?」
「……そうする」

キッチンまでふらふら歩き、ガラスのコップいっぱいに水を注ぎ、ぐいっとそれを飲み干す。
コップ一杯の水は、驚く程速やかに火照った顔を覚ましてくれた。……そもそも湯の浴び過ぎで、こんなに顔が赤い訳ではないのだ。ああでも、だけど。
……この日から、この時から、姉を見る弟の目に熱が宿った事に、彼女は気付いているのだろうか。

「ゼノー、今日のご飯はなあにー?」
「……素麺と冷しゃぶでいい?」
「やったぁ〜私は胡麻ダレね〜」

人の気も知らないで、姉は無邪気に喜んでいる。バンザイをした表紙に、タオルがポロリと開ける。

「ひゃんっ」
「……せめてシャツくらい着てきたら? もう髪とかも乾いただろ」
「ううっ、そうする」

ペタペタという足音と共に、姉は室内を駆けていく。

ーー全く、俺の前だからいいけれど。他のやつの前でああいう無防備な姿になるのは、やめてほしいな。

大きな溜息をつき、吐き出した分の空気を再び吸い込む。自分の体は今、姉が使ったものと同じシャボンの匂いに包まれている、けれど。
……いくら姉と同じものを使ったとて、自分も同じ匂いにはなり得まい。

「たーだいまっ」
「わっぷっ」

突如、ゼノの背中を柔らかな衝撃が襲った。その正体は、ノアの豊満な胸だ。風を連れて帰ってきた彼女の髪から、ふわり、狂おしいほどに愛おしい『あの匂い』が漂った。

「……いい匂い」
「でしょー? というかゼノも今同じ匂いだけど。私のセンスもなかなか悪くないでしょ」
「……買ってきたのは俺だけど?」
「『買ってきて』って頼んだのは私なんだからね」
「でも姉ちゃんさ、『どれにするかは任せる』とか言ってなかったっけ……?」
「それは言わない約束でしょー」

そう言って、姉はただただ明るく笑った。

……ああ、神様なんて、本当に居るかも分からないけれど。本気で信じるつもりも無いけれど。どうか今だけは、姉さんの笑顔も、匂いも、全部俺だけのものにして。

ーーじゃないと俺、アンタを八つ裂きにしちゃうから!

そうして、少年は一人静かに情念を燃やすのだ。
そして一度燃え上がったその思いは、いくらでもシャワーで流そうと、幾ら他に好ましい匂いに包まれようと、けして消し去れるものではなく。

……それから季節が巡って尚、少年の心を支配しているのだ。

おまけSS『The most charming face is』

●胸ときめかせる、あの表情

……見た? あの子のあの視線。
……気づいた? あの子のあの態度。
……分かった? あの子のあの感情。

ふふ。ふふふ。うふふふふ!

ああ、なんてかわいいの。
なんてかわいい顔で私を見ているの!

ーーいいわ、もっと、もっと。私だけしか見られないように、貴方を変えてあげましょう!

そうやって、弟すらも知らない顔で、女は薄ら笑うのだ。
ノアに最も近しくて、しかしノアならざる女が、一人静かに笑うのだ。

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