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行列のできる店

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ハインツ=S=ヴォルコット(p3p002577)
あなたは差し出した
ハインツ=S=ヴォルコットの関係者
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 見上げれば、突き抜けるような晴天で、それだけであれば心も雲ひとつなくなりそうなものだが、それに合わせて太陽までハツラツに輝き出したとなれば感想も違ってくる。
 どこもかしこもミンミンと喧しいこの季節では、ぐっしょりと濡れた肌着の感触が、どうにも忌々しい。
 1年の25%。この季節だけは本当に、出歩くことを拒否したくなる。だというのに、わざわざ大回りをしてきたのだから、仕事が始まる前から、気も滅入っていた。
 待ち合わせ場所は美術館。クライアントの指定した時間まではまだ余裕があるはずだが、その男はこのクソ暑い中にも関わらず、律儀にも屋外で自分のことを待っていた。
 自分と同じく、よほど暑いのだろう。シャツの首元を指で伸ばし、扇(ウチワ、だっけ?)で風を送り込んでいる。
 なんともジジくさい光景だが、それを指摘してやる元気はない。むしろ羨ましい。あの扇、今度見つけたら自分も買おう。
「悪ィ、悪ィ。おまたせ。ってもまだ、約束の時間よりずっと早いんだけどさ」
 手を振りながら自分の存在を示すと、男は扇で仰いだままこちらに向き直る。
 そのまま、無言。
 こちらをじっと見つめている。
「な、なんだよ?」
 よく見知った相手だが、そんなことをされればたじろぐものだ。じっと、じいっと、視線に貫通力があれば穴が空く程に見つめてから、男はようやく口を開いた。
「なあ、やっぱ変じゃねえか?」
「何がさ」
 変ではないか。ここ数ヶ月、何度も言われている言葉だ。事あるごとに、彼はそんなことを自分に言う。まるで、何か問題を抱えているなら相談をしろと催促するかのように。
「どうして、先に事務所を出たお前さんが、俺より後に着くんだ?」
 尤もな話だった。担当しているコラムの内容をもう少し煮詰めたいという彼を置いて、先に事務所を出たのはこちらの方だ。
 何も男二人で連れ立って出向かなければならない理由もなく、なんとはなしに自分が先に出たというだけの話なのだが、先に到着したのが向こうとなれば、おかしな話になる。
 なんか買い物をしていたという風でもなく、手ぶら。この炎天下を時間があるからと、ただぶらりと歩くというのも違和感を感じる。
 些細なこと、と言ってしまえばそれまでだが、二人が身を置く世界は、ほんの少しの違和感が生死を分けるようなことも起こりうる。
 変化に敏感なのは、その道のベテランとしておかしな話ではなかった。
「―――劇場前に」
「ん?」
「劇場前に、新しく出来たアイス屋、知ってる?」
「いや、知らないな。大通りのところか?」
「そっちじゃなくて、銀行から少し道を逸れた方の」
「ああ、赤い看板の」
「そうそう、赤い看板の。あっこに出来たアイス屋、美味いらしくてさ。この熱気だろ? 食いたくなって寄ってみたの。そしたらすっげえ行列で。熱貰いに来てんのか冷気貰いに来てんのかわかんねえなって思いながら、俺も並んでさ」
「……並んだのか」
「並んだ。そんなのみると、食いたくなるじゃん?」
「いや、俺なら諦める。メアリアンを退屈させたくないしな」
「あー、それで怒ってたのか……」
「ん?」
「いや、俺の前のカップルがね」
「…………そうか。それで、食えたのか?」
「それがさあ、目の前でオーダーストップ。整理券ここまでですよーつって。ほんっともう骨折っただけで草臥れ儲けもねえの」
 その場にしゃがみこんでため息。あれには堪えた。熱気もどっと増したように錯覚したものだ。
「もうなんか、俺疲れちゃったよ。今日もうアガっていい?」
「いや、これから仕事だろ」
「そりゃごもっとも」
 苦笑して立ち上がると、男はもう踵を返して美術館に向かうところだった。
 どうやらそれで納得してくれたらしい。あるいは、納得したことにしてくれたのか。
 こちらを尊重してくれているのだろう。彼は今一歩、踏み込んだ疑問を投げかけてくることはない。だがこうやって、事あるごとに手を伸ばす機会を見せてくれるあたり、彼の真摯さを知れたようで、それが嬉しかった。
 本当に、どうしようもなかったら、頼ることにしよう。
 そう消めている。そういう線を引いている。
「問題は、どこがどうしようもないラインか。よくわかってねえってことだよな……」
「嘘つき」
「それ、俺の言い訳に言ってる? それとも、アイス食べらんなかった方?」
 耳元で囁くそれに、慣れたようにそう返す。氷菓子屋の行列に並んでいたのは本当だ。だが、自分だけなら、そんなものを待ったりしない。ねだったのは彼女の方である。
 彼女、というのは便宜上のものだ。仕草が、性格が、好みが、なんとなくそれっぽいというだけで、目も耳も鼻も口も形もまるでこちらの生物と異なるそれの、自分にしか見えない化け物の雌雄などわかるはずもない。
「嘘つき」
「わぁったよ。明日は朝から並ぶから、それでいいだろ?」
「おーい、独り言してないで、早く行くぞ。俺もメアリアンも暑いんだ」
「うーわ、特大のブーメランだよそれ」
「なにか言ったか?」
「ナンモナイデース」


「どうせなら特別展示も見てこうぜ。俺、気になってたんだよ。超古代宇宙侵略文明展」
 追加観覧料がお前持ちならな、と返しておく。
 後ろで「けちー」とぶつくさいう声が聞こえたが、そんな眉唾にかける予算はない。
 見えぬよう、こっそりとため息をついた。
 どうやらまだ、自分を頼るつもりはないらしい。
 変化が起きたタイミングはわかっている。彼があの片眼鏡をつけたときからだ。あれから、Nとなのる彼は、時折、こちらに見えない誰かに話しかけるような独り言が増え、奇妙な行動を起こすようになった。
 何もない道を譲るように身を避けたり、今日のようにおかしな回り道をしたり、そういうことだ。
 自分から言い出さなければ、こちらも無理に何かを押し付けようとは思わない。だが、彼は自分で気がついているのだろうか。
「虹彩が、昨日から虹色なんだよな……」
 螺鈿のように光る左の瞳。変化が認識のチャンネルだけでなく、肉体にまで現れているのだとしたら、侵食が進んでいると考えていい。
 あちら側の生物になりかけているのだと、考えていい。
 こっそりと、準備は進めている。彼が頼ってくれた時、自分ではどうにもならないと感じた時に、手を差し伸べることができるように。
 だが、ハインツとて、未だ打開策を見つけ出せていないのが現状だった。
 アイスクリームを食べようとしたのも、彼に憑いている何かだろうか。だとすれば、こちらへの干渉も進んでいることになる。残された時間は多いのだと、楽観視する気分にはなれなかった。
「これさー、入館料は経費でいいよな……どした?」
 はっと顔を上げると、Nが二枚のチケットを握りしめてこちらに向かってくるところだった。どうやら考え事をしている間に、購入を済ませてくれたらしい。
「いや、あー……なんでも無い。おいおい、二枚じゃ足りないぞ」
「……足りるって。いやほんとに」
 呆れ顔の彼の隣、そこには何も見えないが。きっといるであろうそれに、得体の知れなさを感じずには居られなかった。

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