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私の世界
登場人物一覧
●
運命の出会いは、予め定められていたものだった?
きっと、答えは
いくつもの分岐点があろうとも、導かれるように必ずそこにたどり着いた。
風に木々がさざめいて、擦れる葉の音が止まなかった。
ガラス細工のように精巧な作り物の世界の片隅の空。
燃えるような夕暮れの下。
目の覚めるような、夜の始まり。
むせかえるような、甘い芳香の中……。
一瞬だけ風が吹いて、さらさらと『西王母』楊回(p3x002501)の、絹のような長い髪が揺れた。
「っ……」
その気配に、とくりと、『虚ろな夢』ミュルミュール(p3x002902)の心臓は高鳴った。
ふるりと、全身がその名前を呼んでいる。
夕の陽と、美しい銀色が混ざった淡紅銀色の髪がたなびいた。
「フルール……」
……いいえ、そこにいたのは愛おしい女の子。
「フルール!」
名前を呼べば、女性の姿はゆっくりと「本来」の姿に戻っていくのだった。
「ああ、ああ……可愛いフルール……」
ようやく、見つけた。
ミュルミュールは、懸命に腕を伸ばした。
「ルミエールおねーさん……待っていたわ。おねーさんなら、きっと、見つけてくれると思っていたのよ?」
とろけたジャムみたいなミュルミュールの声に、鈴を転がしたような少女の声が応える。
フルールからは、どうしようもなく甘ったるい香りがした。
美味しそう、と、どうしようもなく溶かされた本能が告げていた。
同時に、強く不安になる。
誰かにとられてしまわないだろうか。
「ねぇ、こっちに来て?」
永遠に籠に閉じ込めたいと願い、ミュルミュールは心のままに両腕を回した。
「ふふ」
フルールは、ミュルミュールの腕の中でくすぐったそうに身じろぎする。そのまま、重力のままに押し倒す。ミュルミュールの髪が、フルールの頬にかかった。
あやとりをするように、赤い糸を手繰り寄せるように。両方の手の指を絡めて、そのまま、影が重なる。
「フルール……」
「うん、そうよ」
ほんの少しだけ、舌っ足らずな声。
しどけない吐息が漏れて、唇が濡れた。
ミュルミュールの胸に、愛おしさがこみ上げてきて、感情に鮮やかな色が付いた。
ひらひらと、桃の花びらが落ちてきて、少しだけ逢瀬の邪魔をする。人差し指で、ゆっくりと少女の頬をなぞった。
もどかしくて、愛おしかった。
「ねぇ、ルミエールおねーさん」
今は、鼓膜を揺らすその声だけが、ミュルミュールの形を保つための核だった。
「もう一度、私の名前を呼んでみて?」
「――っ」
フルールは少しだけ意地悪だ。
こんな状況では、名前を呼ぶのすらままならないのだから。
口づけを再度かわしながら紡がれたことばは、二人の唇の間で、泡のように弾けて消えた。
……桃の木の群れの中、甘やかな香りが漂っていた。
●
行っておいで、月の落とし子。
Rapid Origin Online――
それはもう一つの現実。それはもうひとつの混沌。それは、もうひとつの世界。
そして、ミュルミュールにとっては……。
『介入手続きを行ないます。
存在固定値を検出。
――不明なエラーが発生しました』
「ッ……」
世界が、込められた因子に耐えきれなくて揺れる。
無機質なシステムメッセージ。僅かに崩壊する世界。混濁する意識と、混じり合うテクスチャー。
「……何か、変だわ。ねぇ、ルクス……」
ミュルミュールの伸ばした手は、むなしく空を切った。そこに、期待していたぬくもりはない。 いつも、離れることなくルミエールに付き従っていたルミエールの半身、ルクスの影はどこにもない。
ミュルミュールはかきむしるように胸を押さえた。
魔法使いのムスメ。
――
R.O.Oの世界にとって、ミュルミュールは異質だったのだ。
眷属として分け与えられた力。この世界にコンパイルされようもない情報が、不自然に共鳴し、ミュルミュールの中で、異物のようにうごめいていた。
塗りつぶされることのない、黒いインクを垂らしたようなはっきりとした自我……。
例えようの無い違和感。
茨が突き刺さるような痛みがあった。
いや、それよりも、もっと耐えがたいのは――。
「ルクス、ルクス、るくす……」
半身の狼の名前を縋るように口にし、”彼”がいない事に気がついて……同時に、ミュルミュールは魂の飢えと焦燥に蝕ばまれる感覚を自覚した。
この世界が嗤うのは、きっと、何かの試練。
いつもの通りであれば……『永遠の少女』ルミエール・ローズブレイドならば、もっと、上手に、取り繕うことができた。
無邪気な少女は、柔らかいドレスに身を包み、理性できちんと蓋をしている。
狂おしくもだえそうな感情は、愛おしく、リボンでラッピングして。
見かけよりもずっと長生きした大人の姿で、微笑むことができる。
この世界を愛してる。
ねぇ、そうでしょう、ルクス?
ルクスはルミエールと分かちがたい半身だ。
時には、どうしようもなく正反対で。
お互いがお互いのつり合いをとる錘のよう。
そして、彼がいないのであれば――。
(見えない……)
バランスを失って、ミュルミュールはぐらりと傾いた。
せきがきれたように自覚する。
このパンドラの箱の底には、底知れない強欲が詰まっていたのだと。
飢えている。
砂漠の、乾いた大地のように、ミュルミュールはずっと飢えている。
一滴じゃ足りない。
もっと、もっとと、身体の底がうずいた。
足りない。
これっぽっちじゃ、ちっとも足りやしない。
何かが欲しくて欲しくてたまらなかった。
けれども、何に?
ここには包む殻がない。お洋服がない。贈り物の装いがない。そうであれば、どうして自分を抑えられるというの?
境目がない。
自分がどこまでも永遠に広がっていきそうだった。
ミュルミュールは”欲しい”、と、強く思った。
灼けるような渇望があった。
でも、欠けているのが、何なのか、それが何かもわからなかった。だから、何をしたら良いか分からないし、とうてい埋め合わせようがないのだった。
ミュルミュールは渇望の波に揺られながら、電子の海をふらりふらりと漂っていった。
世界を巡りながら、誰かを探している?
どこ、どこなの。
どこかにあるはずだった。
どこかに……。
ふわふわと、世界を渡り、満たされなくて――。
永劫にも思える情報が、潮のように満ちては引き、満ちては引き……。
ふわりと、知っている匂いが漂って……。
欲しい、と、本能が叫びだした。
(いた)
みつけた。
狂おしく咲き乱れる桃の木々の下。
ミュルミュールが見つけたのは愛らしい少女。
ううん、この世界では。私の前で、大人のフリなんてしなくていいのよ。
私の、わたしの、可愛いフルール。
●
愛おしい人。
ねぇ、おねーさん。
”こっちの世界”のおねーさんを見たときにね。
私、わかってしまったのよ。
一目で恋に落ちるように。
――どうしようもなく。
ルミエールおねーさんが何を求めているのか、フルールにはわかってしまったのだった。
「んん……」
名前を呼ばれて、溶け合う。一つになる、文字の通りに、”まざりあう”。不明瞭に揺れる柔らかなミュルミュールの唇は沈み込むようにして、境目がなくなって、互いの体温を自分のモノだと勘違いする。
Melting Love――抵抗なんてするはずもなかった。
ふう、と息継ぎのために離れて、ようやく、別々の存在だったと思い出しながら、今度はもう少し長く潜ろうと思って深く深く息を吸った。美しいミュルミュール髪の毛の先がほんの僅かに、火花を閉じ込めたように燃え上がって、ぱちぱちと。きれいだった。
他人の中に、自分を見いだしているみたい。
(まざりあうって、こういうことかしら)
呼吸するための胸の上下のリズム。脈打つ鼓動。指先の仕草。一つ一つに穏やかな波があって、それがある瞬間になるとゆっくりと噛み合った。
自分にはないもの。
もしも、おねーさんがひとつになることを望むというのなら、フルールは別にそれで良かった。じぶんで、寂しさが埋まるなら良かった。
同じ欠片で埋まれば良いな。
同じ痛み、同じ望み、同じ親愛――ピースの一つ一つの違いを確かめるようにせーのでみせあって、ときどきは違って、だいたいはよく似ている。
「おねーさん」
「なあに?」
待ってあげる、という優しさと、待ってしかあげられない、という身勝手さ。
欲望に浮かされて、ミュルミュールのとろりとした瞳が焦点を結んだ。いつもより余裕のない表情。
「ん……」
「だめよ、じっとしていて」
「おねーさん? くすぐったいわ」
「ごめんなさいね。でも。離してあげられないの。
ずっとずっと、フルールちゃんを探していた気がするの」
「そう?」
うん、知っていたよ。
とぼけたふりで、フルールは知っていた。エラーが出て、おねーさんがどこかにいなくなってしまったときは、ほんとうにびっくりしたけれど、同じくらい、おかしいくらいに「理不尽だ」と思った。
じぶんが待っているなら、おねーさんは来てくれる、いや、来るべきだと思った。
その通りになった。
物語は理不尽で、時に残酷で、みんな仲良くすればいいのに、と思っている。
だからあげる、全てを捧げる。気分のままに、一つになった。二つの座標が一つになって、R.O.Oの世界は小さなエラーを起こした。もう崩壊する世界も、こわくなんてないの。吐き出される警告は、ちょっとのスパイスだ。
この世界では、何が何でも自由自在だった。
大人になったり、子供になったり、時には入れ替えたり……。
ふたりは、着替え遊びのように、倒錯した立場を取り替える。より相手が分かるように。わかり合えるように。
「大人ってこんな感じかしら? どう思う? おねーさん」
「とても可愛い。でも、どうして意地悪するの? 私は、いつものフルールちゃんが好きよ」
「ねぇ、どこにも行かないで?」
「おねーさんがそう望むなら」
「はい、きっとこれが似合うわ」
「そうかしら」
「うん、思った通り、ぴったりね。ねぇ、くるって回ってみて?」
「こう?」
「上手ね。それなら、次は」
手のひらをとって、くるりとダンスする。一回転するともうどちらがどちらなのかわからないくらいに、二人は溶け合っていた。指先は沈み込んでひとつ。たったひとつ。離れたくないと言わんばかりにぎゅっとにぎりしめて。
心地よさと吐息と、衣服と、熱。仲良しの女の子達みたいに、二人は全てを交換する。
けれどもやっぱり、いつものあなたが良いな、と思って、結局、さいごは元の通りに戻っているのだった。
●
「ごめんなさい、激しくしすぎてしまったみたい」
「ひどいよ、おねーさん」
「もうしない、ね?」
「ほんとうかなあ」
じっとじと目で見つめるフリをして、それからふわっと破顔した。
……とても柔らかい、ガラス細工みたいな身体だ。理不尽でピーキーな危ういバランスの世界。なんにでもなれる世界。この世界では、幾度となく「やりすぎてしまう」こともあった。
積み木遊びのように、いろいろなことを試して、世界の半ばに落っこちて、そんなときはサクラメントで待ちあわせる。
少し気まずいけど、少し恥ずかしくて、ほわほわしている。
フルールは、おねーさんは優しいから、迎えに来てくれると知っている。ぷいと目をそらして、「ごめんなさい、何でもしてあげる」と言ってくれるまで拗ねた振りをする。
「それじゃあ、頭を撫でてくれる、おねーさん」
「意地悪」
ちょっと背伸びして、簡単には撫でられてあげない、と言って、けれども結局は頭を差し出して、撫でて貰うことになる。
喪失の欠片って、いったいどんなかたちをしているの?
忍び寄る、意地悪な好奇心。
フルールはそっとサクラメントを離れることもあった。離ればなれになったふりをして、こっそり離れて様子をうかがってみると――ミュルミュールは面白いくらいに動揺する。絶望的な表情を浮かべて、あちこちを探し回る。
わざとゆっくり、遠回りして歩んでいけば、半狂乱になって、抱きしめて、「もう二度と離さないわ」と、泣いてしまう顔が少し愛おしくって、そんなときはひどくされるけれど。でも、それだって構わないのだった。
瓶に詰めて、リボンをかけて、ぎゅうと詰め込んで、独り占めにしてやりたいと思う。
(ああ、この子と一つになればこの飢えも少しは満たされるかしら……?)
失うことも、恐れなくて済むのだろうか?
「おねーさん」
フルールが手のひらをミュルミュールの胸に当てた。
その肌は、お洋服ではなかった。曖昧なミュルミュールの存在はふるりと揺れる。
一瞬だけ全部満たされたような心地になって、一瞬だけ大人びた視線が問いかける。
混ざってみる?
溶け合う。沈み込むように、文字通りにひとつになる。ミュルミュールの境目はあいまいでふわふわ。体温はぬるい風呂のように心地よくて、春の日差しのようにあったかかった。
ゆりかごにゆられるような、心地よさ。
こうしていると、もう言葉は要らなかった。あたまのなかのことばが、ふわふわと溶け合って、何も言わなくてもじっとしていればお互いが分かるのだった。
●
(狂っている)
ミュルミュールは思った。
大切な大切な、私と同じぐらいにイカれた子。
傍に寄り添う半身もこの世界にはおらず、相反する鏡はそこにはなく。
意識が蕩け、ぼんやりと漂うような気分。
形を確かめるたびに思い出す。
世界を愛している、というシンプルな答えを思い出す。
この世界では、新しい形になる。姿を変えて、
頬を寄せ合ってあたらしい形を確かめて、それ以外の時は拡散してしまうようで、なにもしないで、うつらうつらとそのまま眠る日、だってある。
愛しくて。愛しくて。愛しくて。
けれど、少しも足りなくて。
(愛した全てを飲み込み、一つになれば
この飢えも満たされるのかしら……?)
それでも、愛おしい声が鼓膜を揺らすとき。
自分の名前を呼ぶとき。
ささやかないじわるをされるとき。
……二人でよかった、と思うときもあって。
ここは誰の世界?
ここはみんなの世界。
いいえ、あなたこそが世界。
あなたが私の世界。
おまけSS『「大人ってこんな感じ?」』
「大人ってこんな感じ?」
少し大人びたアバターの姿は、とても可愛らしくて、きちんと面影があるからまたずるい。
「知らないわ。誰だったかしら?」
「もう、冗談よ」
「ふふ」
ちょっと背伸びして、ぽきりと果樹から桃をもいでくれた。
「おねーさん、喉が渇かない? 食べる?」
「ええ、いただくわ」
あげる、と桃を差し出されたけれども、手を伸ばさないのはわざとだった。
たまには甘えたって良いでしょう?
こちらの私は、ずいぶんと強欲みたいなの。
もう、仕方ないなあ、と言う顔で、そっと皮を剥いて、果実のしたたる桃を口元に寄越してくれた。
「ん、甘い」
「甘い」
果汁を拭って、ぺろりと舐める。