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Forgive me,I was so delicious.
登場人物一覧
白の館は本の蔵。
潔癖にも度が有り過ぎる程に真白を纏った此の世界に於いて。立ち昇る湯気は、無意味だ。
唯、紅茶を淹れるには無骨な疵に塗れ節ばった女の白い手は、驚く程に繊細な指遣いで、神経質に、美しい水色を出す事に余念が無い。此の強い腕に抱き留められて、其の優しい指で撫で上げられたら屹度。好い加減に頭が痺れて
白の館は本の蔵。
白い羅紗に白の房を並べた
白の館は本の蔵。
暖炉の前のソファには雪白で煌々と光を弾き返す美しい長毛種の女の愛猫が我物顔で丸まって、ぷう、ぷう、と寝息を立てて居て。
女の好みは複雑な様で判り易くて、紅茶には焼き菓子を。珈琲にはチョコレイトを、と心に決めているらしい。『娘さん』と呼ばれるアッシュが、
白の館は本の蔵。
今日のお茶請けは紅茶の風味に合うシンプルなクッキーと、少し背伸びをした
白の館は本の蔵。
『お茶にしようか』と目を細めて云う、此の時のヘーゼルの優しい声と
白の館は本の蔵。
「へなちょこさん、気付いちゃったんだよね」
「何を、ですか」
「娘さんにお茶の淹れ方を伝授すれば――今後、役に立つ時もあるだろう、と。花嫁修行ってヤツ」
「詰まり、楽をしたい、と。そう云う、事、ですね」
「厭だなあ、此れは純粋な好奇心だよ。娘さんがどんなお茶を淹れるのか、って云う興味さ――其れに、」
白の館は本の蔵。
「此処、本屋だし」
参考資料なら腐る程在ると、そういう事らしい。
――
―――
娘は、思考も、嗜好も、凡ゆる意味で真っ新な白い
そうして始まったヘーゼルに寄る紅茶談義は、聴いてみれば独占するのが勿体無い位に中々に興味を唆られる語口。以前に、アフタヌーンティーの作法を教わった事はあるけれど、此の御人は本屋の主なだけに――否、尋ねれば背表紙まで全て真白の本棚から的確な書物を迷いなく引っ張り出すのは正直狂気染みて居たものの――師と仰ぐには此れ以上に適任な人物も早々に居ないに違い無かった。
束ねた羊皮紙に、
必要な物は、先ず何と言ってもティーポット、其れを二つ。硝子製の透明のものと、白い陶器のもの。
普段は白い方しか見た事が無かったが所謂セカンドポットと云う物で、茶葉をお湯に浸けた儘ではお茶は直ぐに濃くなり渋みも出てしまう為に、何時でも丁度良い濃さで飲める様にファーストポットから移し替えるのだそうだ。
此れだけでも、手が掛かっていたのだと舌を巻く。其れから
水汲みはお湯を沸かす直前にティーポットの倍以上の水を薬缶にとっぷりと、勢い良く注ぐ。水の中の空気が抜けてはいけないから、汲んでから時間が経った水は基本的には御法度だ。そうしたら火に掛けて、温度計を見ながら沸騰しない位、或は沸騰した瞬間位に火を止める。
「唖々、でも。娘さんの様な猫舌には、85度から95度位でも良い」
「……むう」
「そう膨れなさんな。渋みの少ない舌触りの丸い感じのお茶を目指すなら、其の方が香りも立つのさ」
「なる、ほど?」
「好きだろう、そう云うの。ミルクティーには向いてないが、より高級な茶葉なんかに良くある」
『此方の缶なんかがそう』と爪紅を差した指が示すが、哀しい哉、何れも全て同じ白い缶で見分けは付かない。
興味本位で『ちなみに、おいくらですか』とヘーゼルを見上げると、『ではお耳を拝借』と実に悪戯めいた貌で屈んで、
「えっ……」
「何もそんなに驚かなくても」
「私のお小遣い、一ヶ月分……? いえ。ローレットのお仕事を足しても、足りません、ね……」
「うん。だからね、娘さんの舌は相当に肥えてる自信があるよ」
「なんてこと……」
「まあまあ、さて。次が肝心」
茶器を沸かし途中のお湯で温めるのは重大任務。冷えた茶器ではお湯を注いだ時に直ぐに温度が低下してしまう。其れを防ぐ為にも本番のお茶を注ぐ順番で茶器にお湯を移し、其れ等を充分に温め乍ら素早く茶葉の剪定を済ませたなら、火を止めてポッドに茶葉を入れお湯を注ぐ。
「何故透明かと云うとね、上手い事作れたお湯なら――ほら、こう」
「上から、ふわふわ。沈んで……! ぴょこんって、また浮いてます!」
「そう、茶葉が広がるのを見るのも、此のジャンピングを見るのも愉しいだろう」
『色々な茶葉の抽出時間の大体の目安も覚えられるしね』と、ぽこぽこ踊る茶葉を見守る事凡そ3分未満。
「さ、茶漉しを乗せてセカンドポットに移し替えて」
「は、はい。……あち、あち……ふう。でき、ました」
「そうしたら、後はティーコジーを被せておいて楽しい
「……此れは、成功例、ですか?」
「茶葉がああいう風になるのは、新鮮な水で、且つ空気が抜けていない証拠だからね、成功さ。――けど、」
「けど?」
「まあ、抑も茶葉が美味しい良いものなら、失敗してもそう不味くは成らない」
「み、身も蓋もない……」
――
―――
「……――と、云う様に。茶葉には産地、農園、そしてグレードが書かれて売っている事が多い」
「最初のふたつは、判ります……けど。グレードって、美味しい、美味しくない、なのですか?」
「そんな事を云ったら、皆『近年にない出来』とか『此処数年で最高』とか『今世紀最高の出来栄え』とか書くだろう。グレードってのは、お茶の葉の部位と加工後の形の話さ」
其れに、ブレンドされた茶葉の場合其の二つが書かれて無い事も多いから、より良く情報を特定した物が欲しい時は気を付けるんだね――なんて前置いて、紅茶を一口飲んで女の言葉は転び出て留まる事をしない。
「詰まり、普通の樹木の枝と葉と同じで、一つの枝でも新芽程柔らかい。尖端から順に茶葉の部位によって名前が付いているんだ。所で娘さん、オレンジ・ペコーって飲んだ事あるかい?」
「あ、はい。オレンジ味の……紅茶。すっきりしていて、甘くて美味しかった、です」
「ふふ、そうだと思ったんだ。其れは大きな間違いさ。騙されている」
「え、ええ……?」
羊皮紙に枝を描き、葉を付ける。其処に更に名前を書き足して、
↓1:
↓2:
↓3:
↓4:
↓5:
「一つ目は更に
「ええ……? じゃあ私が飲んだのは……なんだった、んですか……?」
「単にオレンジ味のフレーバーティーさね。昔茶葉にオレンジで香りを付けていたとか、訛って伝えられたとか、……単なる勘違いとか。――そんなこんなで、間違いを着飾って独り歩きしてしまった結果、オレンジ・ペコーと云うオレンジ味の紅茶が在る、と思っている人間は多い」
「そんなあ……」
「まあ、まあ。ひとりで茶葉を買いに行く前で良かっただろう。『オレンジ・ペコーを下さい』と伝えても情報の不完全性が生じる。それか『あっ……』と察せられてフレーバーティーの場所へ連れて行かれるか、だ」
「酷い、そんなの生き恥晒しです……」
――→
『何か、美味しいの』と云うのがヘーゼルが科したお遣いの内容である。
「ヘーゼルさん、相変わらず、意地悪……です」
どうせ、此処等の『美味しいの』なんて、大体はあの白い館に揃ってるに違い無い。だから、試されている。そして其の『美味しいの』には正解は恐らくは存在しなくて、『自分好みの淹れたい茶葉を買って来い』と解釈して良い筈だ。
幾ら使っても良い、と渡されたお財布はずしりと重くて、人の前に出る仕事の為の
スン、と鼻を抜ける、瑞々しい若草の爽やかな春の香り。其の在り処を探して辿り着いたのは如何にも気難しそうな一見さんお断り、と云う風貌の集団で、『山から降りて来たばかりのバイヤー』とでも称するのが良いか。近寄って来たアッシュには見向きもせず、然して彼女も臆する事無く茶葉を見極める。
「『最初の二週間こそ格別』……茶園で厳選、された。
――ほう? 一寸は話の判る嬢ちゃんだな。
「ふっくらした
――なんだい、誰かの入れ知恵にしても勤勉だな。でも駄目だ、子供が買える額じゃねえぞ。
「……大丈夫です、お金は、有ります」
――はは! 仕方無ぇ。其の財布の主さんには『DJ-1の
――
―――
「――昨年伸びた葉が混じる事もあるからして、『DJ-1』が必ずしも最も良いお茶であるとは言い難いが」
随分と軽くなった財布を面白可笑しそうに振ってから、女は『むきになってしまいました』と居心地悪そうに膝の上で小ぢんまりと座る少女の髪をまるで動物がする粗雑なブラッシングの様な手付きで梳いた。
「其れにしたって滅多に手に入らない逸品だ。大体は出来上がった時点で行き先が決まっているのだもの。其れで娘さん、そっちの包みは?」
『
「私、のお小遣いでは、これ位が限度……でした、が。あの、此れ、ヘーゼルナッツと、チョコレートの風味のついた、デザートティー、らしくて」
「ふんふん」
「デカフェ? とか、で。時間を気にせず飲める、んですって」
「うんうん」
「……――うん。所で娘さん、今日、泊まって行くよね?」
「はい――……」