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罪の在処
登場人物一覧
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声が聞こえる。目が視えずともわかるのは長年共にしていた奴等だ、間違える筈もない。靄がかっている視界は自分が瞼を開いているかも判断ができず、もしかしたら寝ていると思われているのだろうかと口を開こうとするが唇が上手く動いてくれない。
「––––」
やっとの事で声が出たと思ったらなんだか周囲が騒がしくなってきた気がする。うるさいな、なんとかして喋ったんだから静かにしてほしい。あいつ等に届けないといけないんだ、大丈夫、心配いらない。早いところ俺達の勝利を村で待っている皆に知らせようじゃないかって。
あぁ……でもやっぱり無理みたいだ。身体も動かず、何も見えず、声だけが聞こえる。
自分ではっきりわかるなんて嫌だなぁ。シスターさん、シスターさん、どうか、俺を助けて。この苦しい今から。
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「んで、討伐対象ってのはどこに?」
村から数刻歩いて到着した林道を歩きながらコルネリア=フライフォーゲルは隣を歩く青年に声をかける。
「えぇと、確かこの奥に進んだ所を見たって……なぁ?」
青年が振り返って後ろをついてきていた若者達に確認をとっている様子を横目で覗きながら心の中で溜息をつく。狂暴化した魔物の討伐依頼と聞いて引き受けたは良いが、想定より疲れそうな事だと思考する。
「目撃された時間と周囲の様子をもう一度教えてくれるかしら。依頼書には巣穴まで発見はしていると載っていたのだけれど」
ターゲットは小型のげっ歯類を彷彿させる外見をした魔物。被害は喰われた家畜が数頭。味をしめた魔物が再度人里に降りて家畜と人間を襲ってくるかもわからないので討伐してほしいとローレットに届けがあったのだ。
暇をしていたコルネリアが引き受け、村に赴き此方を迎えたのは若い男で組まれた自警団と呼ばれる者たち。休憩がてら詳細を聞いてみれば、得られたのは依頼書と僅かに食い違う虫食い状態の情報。
「あぁすまない、それはさっきも言ったが此方の不手際だ。毎年行われている害獣駆除の資料と混ざってしまったんだと思う。一番多かったのは夕暮れ頃の––」
耳を傾けつつコルネリアは悩む。ここまで不確定な事が多いのならば一度引き返してローレットに増員要請を行うべきかと。この様子だとターゲットの外見特徴等も当てにならなくなってきているのだ。
不明はそれだけでリスクが生じる。ただでさえ隣を歩く青年に加え、後ろの若者たちのお守りもしなければならない今、このまま進むには万全の態勢とはとても言えない。
「……一旦村まで撤退、終わらせたいのならアンタ等自警団は村の護りに専念、ローレットへ増援要請を薦めるのだわ」
「だめだ、これ以上払える蓄えは村には無い。今回を逃してはいつ討伐できるかわからない。申し訳ない、今回の非礼はなんとか時間をかけても返す。絶対にだ」
予想はしていた返事に舌打ちしながら更に言葉を重ねようと歩みを止めて青年に向き直る。それに気づいた青年達も足を止めてコルネリアの顔を見た、その時––
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「右に跳べぇっ!」
察知できたのは影から赤い眼光を覗かせていた何かに気づいたコルネリア。青年に思考する余裕も与えないように大声で簡潔な指示を飛ばす。それでも行動に移せたのはコルネリアに意識を向けていた事と、運。
木々の影、青年の背後から飛び出し突撃してきた影は依頼書に記載されていた通りの小型……ではなくもう一回り大きい中型のネズミに似た獣。
「死にたくなきゃ目ぇ離すんじゃねぇぞ。攻撃なんかしようと思うな、とにかく持ってる得物でもなんでも盾にして防ぐ事だけを考えろ」
此方の様子を伺っている獣を視界に収めながら青年達に声をかける。奇襲でパニックになっている彼等がここで使い物になるとも思えないが、ここで下手に逃がしても標的になる可能性が高くなるだけだ。
ガトリングを構えて一人離れている青年の方へにじり寄る。彼を己より後方に退かせられるだけで戦闘難易度は幾分か下がる。やがて呻り始めたそれは警戒から襲撃、我慢を切らして狩りの時間へと移ったのだろう。
獣の眼が青年の方へ向いた瞬間。コルネリアは引き金を引けば銃声と火薬の匂いと共に弾丸の雨が土を穿ち弾痕として残る。咄嗟に跳び退いた獣が脚をバネにしてコルネリアの方へ牙を剥いて突撃する。撃ち方を止め、振り子の動作で向かってくる獣を銃身にぶつけて殴り飛ばせば此方と敵にも間合いが出来上がる。
「生きてんのか、生きてるよな、そのまま下がってろよ。ただし眼だけは逸らすんじゃねぇ」
正面を向きながら青年達の生存確認を行う。息は切れ、いまだ恐慌状態にはあるが全員分の息遣いは感じられる。死者が一人出れば切れかけている理性の糸も千切れてパニックになるだけだ。
此方の危険性を学習したのか既にコルネリアにしか意識が向いていない。次の一手で終わらせようと銃口を上げて狙いをつける。疲れ、極度の緊張は獣にとっても同じ事であり、金切り音のような鳴き声と同時に突進を仕掛けてきた。勢い止めの弾丸ばら撒きにも構わず向かってくるのはコルネリアの読みが間違っていなかったということであろう。
息を吐く。
引き金に指を掛け。
魔物が喉元めがけ口を開いた今。
銃口の一つから弾丸が発射される。
「––壊れろや」
G.B……自身の生命力を硬い表皮、装甲を抉る力として弾丸に纏わせて撃ち出す技法。
淡く生気揺らめく銃弾が獣の鋭く長い前歯を砕き、身体を貫通する。
痙攣しながら倒れる敵をコルネリア、そして青年達は少しの間呆けて見ていた。やがて若者の一人が恐る恐る「倒したのか……?」と呟けば、彼等の中で安堵の空気が流れ始めるのであった。
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気が緩む、これだけ張りつめていた空気の中では仕方のない事ではある。
一人、また一人がそれぞれ息を吐いていく中、他に目もくれず獣に寄ろうとするコルネリアを見た青年は彼女に礼を述べるべく近寄っていく。
依頼した自分達の不手際、邪魔になってしまった事も自覚し、イレギュラーな状況下の中で戦ってくれたシスターを労わろうと。せめて村に戻ったらできうる限りのもてなしをしようと。
「なぁシスターさん……あのさ」
背中しか見えない彼女に何してるか気になって覗こうとした時。
「……っ! くるんじゃ」
「え?」
それは一瞬であった。
気づいたコルネリアが声を張り上げ言い終わる前に。
血の溜まりに横たわっていた死骸だった筈のソレが姿を消して。
青年の意識は霞んで消えた。
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失態だ。命は奪った筈、だが獣の妄念が一歩早かったまでのこと。理解はした。だが先ずやるべきことは。
「燃えろ、Ravage」
出力を最大限に抑え範囲を狭めた火炎放射を獣だったモノに浴びせ燃やす。
転がった火達磨は直ぐに炭となりぱらぱらと風に流れて炎ごと消えていく。今度こそ消滅を確認したコルネリアは直ぐに倒れた青年の元へ駆ける。若者の一人が抱き留め、皆で声を掛けているが反応はなく、浅い呼吸のまま瞳孔が開いて生気が抜けている。
診てみれば顎下から喉に深い切傷が見られる。砕けた歯の先端で裂かれたのだろう。コルネリアが癒しの力を施すが、傷口は塞がり出血が止まったのにも関わらず顔色は青白く、ただの憔悴でないようにも見える。死者でもない青年に癒しの力が何故効かないのか。
「毒か……?」
断言はできない、だが今はそれを答えに導く時間も残されてはいない。
ぴくりと動いた身体、息も絶え絶えの彼は僅かに震わせた唇で。
「––––い……お……る」
最早聞き取れもしない、声にもなっていない音が息と一緒に漏れ聞こえた。
若者の一人がコルネリアの方へ向き「はやく、はやく連れて帰って医者に! 傷は治ったなら町医者まで連れていけば……!」と懇願の視線を向ける。
「…………」
彼等も心の何処かでは理解できているのだろう。もう青年が保たない事を。この森林から村までの距離も何時間もかけて来たのに、更に遠い町医者の元に運べる可能性なぞ無いに等しい。それでも諦めきれず、自分達には手も足も出なかった魔物を討伐したというコルネリアなら、彼女ならまだなにかできるかもしれないと縋らざるを得ないのだ。見捨てたくないから、何も出来なかったという罪悪を認めたくないから。
「こいつの名前は」
「え……? フォ、フォルト」
押し切るように聞きだすと、フォルトを抱き上げ木に寄りかからせる。
「フォルト、聞こえるか? 意識はあるか?」
途切れる息、僅かに濁った瞳をコルネリアに向けて。
「おう、辛いか。辛いに決まってんよな」
少ない生命力を癒しの力として青年に渡しつつ語りかける。
「アンタは死ぬ、これはもう避けられねぇ。癒しの力も無ければ薬草に詳しいわけでもねぇ」
淡々と語りかける様子に誰も声なんて掛けられずに。
「専門家に見せる為に、高速で運んだり飛んだりもできねぇ。ただの傭兵でしかない」
無力は罪か、いつぞや師に問うた事がある。死にゆく養母の助けにもなれずに燻っていた想いを。返ってきた答えは。
『力が無い事が悪いんじゃねぇ。悔やんで泣いてでも這ってでも歩き続けなきゃなんねぇ。立ち止まって動かない事が罪とやらなんじゃねぇか』
「だからアタシがアンタにしてやれることは一つ」
取り出したのは護身用の拳銃。
––天にましますわれらの父よ。アタシは今も誰かの命の上に立っている。
––かれらの罪をもゆるしたまえ。アンタに願うのはたったそれだけ。
––この者の罪と憎悪と悲嘆は。アタシがすべて奪い取ってやるのだわ。
「ごめんね、アタシってば善き人なんかじゃないのよね」
森のさざめきの中、一つの音が響き渡った。
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全ての処理を終えて村から出立するコルネリアを一人の少女が見つめていた。
青年にとっての誰かなのかも分からなければ、その瞳に乗せた感情が何かを理解する事も出来なかった。
今日の道も誰かの罪の上に造られている。