SS詳細
Polaris
登場人物一覧
●群れの長
――アンタは、どうだ?
ルナは無言で、ラグナル・アイデ (p3n000212)に問いかける。
アンタは、群れの前に立つものとして。弱みを見せられないと、血反吐を吐くような思いをしながら、それでも、砂を踏みしめたことはあるか?
――アンタにとって、
●身の丈に合った依頼
「ああ、これはダメだな。俺向きじゃない」
ラグナルは依頼書を放り投げた。
ヴィーザル地方の魔物の掃討依頼。難易度は
ラグナルが無造作に戻した依頼書を、ルナは乱暴に手にとった。
「もっと手軽な挑戦がいい」という気持ちが透けていた。
アイスドレイクの狂王種の退治依頼だ。
確かに、難易度は相応。
しかし、よく読んでみれば、野外での掃討戦である。雪原ともなれば、地の利もある。……うまく連携をとり、ほかの仲間たちの手を借りるのであれば、決して無茶な難易度ではない。
「自分にはこれくらいがお似合いだ。そうだろ? そうだな、もっと気軽な配達の依頼とか……」
あきらめたような、皮肉気な笑みが気にくわなかった。
『どうする? いっそ、牛乳配達屋にでもなるか?』
狼にしか理解できない音で、ルナは問いかけた。
狼は
ラグナルの狼たちは、自分たちは「やれる」と、全身で訴えている。自身がみなぎった毛皮。今にも駆けだせるだろう、はつらつとした脚。
号令さえあれば、すぐにでも獲物をしとめて献上して見せる心意気を感じた。
だから、ルナは憤る。
……無駄にするな、と。
「アンタだったら、楽勝なんだろうけどな」
――ラグナルの羨望のまなざしに、ルナは唇を噛んだ。
恵まれたアンタなら、立派なイレギュラーズ様なら……。
ふざけるな、と毛が逆立つ。
(その目は、なんだ)
ルナは聡かった。
言われずとも、気が付いてしまう。
ラグナルの期待に。自分に、誰を見ているのかについて。
ルナは、一族の長の家に生まれた。
けれども、その人生は恵まれていたとは言い難い。
黒い毛並みは、不吉な毛並みとして蔑まれた。
ルナは、生まれてから、常に蔑みの目や嘲笑の言葉を向けられてきた。
ただ、庇護を受けるだけの存在ともなれず、だからといって、鈍感にもなり切れず……牙をむくには、群れを愛していた。
人との距離の取り方。生き方、自分がどう思われ、何を求められているのか……どうふるまえばよいのか、ルナにはよくわかっていた。
依頼を受けたルナに導かれるように、ラグナルは依頼を受けていた。
追いつけなくとも、追いかけたいと思った。
●どこまでもすれ違う影を追う
ルナは雪原を駆けていく。
コークのような美しいきらめきが雪を踏みしめた。
一飛び。獣の脚がばねのようにしなる。
(ラグナル、テメェの進むべきはコッチじゃない)
待ってなどはやらない。見失うようならそれまでのこと。……だが、狼たちはそれほどやわじゃないと知っている。かすかな痕跡をたどってついてくるだろう。
そうでないのなら、力不足だ。……出直すべきだろう。
視界の遠く、かすかな空の下に狼たちの姿が見えた。
(俺は長にもなれねぇ溢れ者だ)
それでも一族の長の血筋、その末席として、安易に名を捨てることもできず。
手を汚せば一族の名に傷をつけ。
簡単に命を落とせば一族の長たる血の価値を墜とし。
かといって名をあげれば要らぬ不和を呼ぶ。
ラグナルは必死にルナについていった。
消えかけた心の中で、すべてを手に入れようとする若さがくすぶっていた。
……ルナが、自身のうちに閉じ込めたものだった。
欲張れば。多くのものを得ればいつかより多くのものを失う。
不必要に傷つけず、傷つけられず。
独りで生きることにも上手くなった。
(だがラグナル。
てめぇが俺に向けるソレはなんだ)
長として生きるのであれば、――群れを導くのであれば。
(生きてようが死んでようが構わない。
だが生きても死んでも「族長の血」と「長足らぬ不吉な毛色」の呪いはついて回る。
んなもんに縛られた俺に、血迷った目を向けるんじゃねぇよ)
(俺は、アンタと同じようにはできない)
(そりゃあ、そうだ)
だから、二つの影はすれ違う。
てめぇは長の器だ。
狼共を与えられ、狼共も認めつつある。
(俺とは違うんだよ。間違えるんじゃねぇ)
堅実に一撃。
自身への衝撃と引き換えに喉笛を噛みちぎれたチャンスだったが、ルナは引いた。
今は踏み込むべきではない。
堅実に。崩れないように。
――ルナは、もう歳にして三十を数えた。
毛並みの色の違う、狼の一頭が一頭をかばう。
よく似た姿。血を分けた兄弟なのだろう……。
直系の兄や両親が自分を愛そうとしてくれていたことも分かっているし、クソくだらない「不吉な毛色」だなどという話も、そうやって自分を冷遇した連中への憎しみも、忘れたわけではないが、今更燃え上がることもなく。
(最善をとってきた)
そうした方が次代の群れの長を決めるにあたって、兄弟で争い群れが二分することもなかったというのも事実だと理解し、納得するに十分な時を生きた。
むしろ連中ももういい歳だろう、と、懐かしく思うことすらできるようになった。
狼たちは団結している。
毛色の違う子ども1匹受け入れることもできない奴らの器が小さかった。そんな連中だ。
(老い先短いしばしの時くらい、部族の中で精々安穏と生きればいいさ)
心は凍り付いて動かない。
怒りも、憤りも、忘れてしまったかのように――。
「倒せた……」
ラグナルは呆けたように呆然としてへたり込みそうになるが、最後まで油断するな、とルナは手本を示す。ラグナルは慌てて笛を吹き、狼を集めた。
目の前を横切る黒い影に、いつだって目を奪われる。
(きれいな毛並みだな)
と、ラグナルは思うのだが――。
所詮自分は”特異”。運命座標にすらそう言われ、諦念は強かった。
(ラグナルにとって、ルナは特異だった。輝く毛並み――手本のような)
特異運命座標。
ならばなぜもっと早く喚ばなかったのかという、空への怒りも、ラサの太陽のように燃え上がることはなく、砂漠の月のように冷たく心の中に沈んで。
今は吹きすさぶ氷雪が心身を冷やす。
(追いつけたら)
オオカミの鳴き声が響き渡っている。
血が沸き立った。
ラグナルには理解できた。あれが「手本」だと。ああなるべきだと。
ルナは否定する。引き離すことで。
群れを去ったくせに部族のことを考えている、「長の血」。
それが熱く燃え上がるほど、若くもなく、されど、凍り付くほどに老いてもいない。
(アンタみたいになりたい)
違うだろう。……アンタが目指すべきはそうじゃない。
どこまでもすれちがって尾を引いて、けれども遠くにあるのは白黒反転した夜空のような漆黒の一等星。
それでも、ラグナルはあこがれた。
あの漆黒の獅子に追いつけたなら、きっと違う光景が見れるだろうと。
(俺がアンタみたいだったら)
(否、間違うな)
獅子は引き離す――遠く遠くへ。雪原に点と散る、かすかな闇を頼りに、ラグナルは背を追おうとする。
おまけSS『見栄っ張り』
「はいはい、飯の時間な。って……あれ?」
あちこち別の方向に行こうとしていた狼たちが急にピン! と耳を立て、急に物わかりが良くなる。
ルナだな、これは、とラグナルは察する。
ルナが近くにいると、狼の群れは、急にきりっとしだすのである。なんでだろうか、おっかながってるようでもないし……とラグナルは考えて、「あ、これ、見栄を張ってんだな?」と気が付いた。
最初のうちは群れを抜けて、あっちについていきたがったらどうしよう……、なんてことを思ってビクビクしていたのだが、狼たちは、ルナのことを憧れの先輩とみなしているようだ。
一番若い狼に、お前も頑張れよ、というように前足を乗せられた。
ラグナルには、期待されている兄がいた。
温和で優しく要領の良い兄だ。
兄の前でも狼たちはよく見栄を張っていた。いや、これは……見栄を張るというか、「頑張ろうとする」というか。
だから、ルナにぴしっとする狼を見ると、兄を思い出すのだった。
「ぜんぜん似てねぇなー」、と思ったものだけれど、強いところだけはそっくりだ。
なんというか、もう、いっそ、丸パクリしてやろうと思っても全然その領域に届かないのだ。
ふと感傷を感じるとき、たまに懐かしい気持ちになる。けれども、ルナは傷の舐め合いを拒否するように、するりと抜けていくのだった。
そしてラグナルもまた、ルナの前では背伸びした依頼を受けたりなどしてしまっていて……。
「ああ、俺も見栄張ってるわ……」と思うのだった。