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初夏、模擬戦、君の部屋。
登場人物一覧
――そうかぁ。どんな結果であれ、僕ぁユメーミルちゃんの決定を尊重するよ。
円満な終わりを迎えた模擬戦。その勝敗にデート権利が関わっている事は彼女にとって大いに不服ではあったが、一応は穏便に事を終えようと考えた。それが如何したことか、負傷者を多数出す結果となり渦中の彼も怪我を負ってしまったのだ。
元を正せば彼の所為ではあるが、それでも責任の所在が自分にもあるのではと考えずには居られない。バスケットに薬や替えの包帯、フォレ・ロンスを詰め込んでタイムは黒狼隊の屋敷を急ぎ足で歩いていた。
ドゥネーブ領に存在する黒狼隊の宿舎で彼が休息をとっていることは聞いている。あれだけの怪我だ。彼も今日は大人しく部屋で休息をとっている筈だ――約束なんて、していないけれど。
「夏子さんいるかしら?」
扉に向かって、いつも通りの声音を心がけた。タイムの目元は赤く腫れて、声も僅かに掠れてしまっていたけれど。それでも『いつも通り』でなくては彼に余計な心配を掛けてしまうと気を落ち着けて掛けた声に帰ってきたのはゴトゴトと音を立てた室内の慌ただしい気配だ。
「夏子さん?」
「ややっ、タ、タイムちゃん!」
「……入るね」
ゆっくりと扉を開ければ慌てた様子でベッドから飛び起きた夏子が常の様な――いや、それよりも少しナンパな気配を滲ませて――笑っている。
タイムは彼が自由に動き回れる程度の怪我で在る事にほっと胸を撫で下ろしてからバスケットをテーブルの上に置いた。比較的に持つが少なく片付いている室内には土産物の山が出来上がっている。非常食と酒が乱雑に置かれているテーブルと、部屋の片隅には彼らしい『大人』の絵本。それでも、其方をタイムに見せないように心がけたのか適当な服が被されて居たのは彼の気遣いだ。
「……えーっと。元気……、じゃないよね。えへへ……。模擬戦、お疲れ様。ゴメンね、めちゃくちゃにしちゃって」
女の子が男の部屋に一人で、しかもちょっとしおらしい。そんな期待も滲んだ空気感で夏子が声を掛けるより先に、タイムは指で髪先を弄びながら、何処か困ったように目を伏せる。
「……これ、お詫びとお見舞いを兼ねて果物。この辺りで採れる有名な大粒の苺。美味しそうなの選んできたの。
それから傷の手当用の替えの包帯にいろいろなおくすり……買い物するのも一苦労だと思って。ここに置いておくから」
「あ、あーー、うん。ありがとう?」
心は『アチラ』側である。どちらかと言えば男の部屋に一人でやって来たタイムに対して下心が滲んでいるのだが。
「他に不便してることはない? 何かあればやるから言ってね。それともお部屋を勝手に弄られるのは好きじゃないかしら?」
「いやいやいや。何かあればって? やったー、じゃあ……」
夏子のテンションは大変なことになっていた。『男の部屋に単身でやってくるとかソレってOKなのでは?』『遂にか~!』『男 夏子、据え膳食わぬはなんとやら!』と頭の中をグルグルと駆け巡った夏子は「ついにセッ……」と身を乗り出したが俯いたタイムに気付きぴたりと止る。
――……アレ? なんか随分元気がないのでは?
「およよ 随分いたれりつくせりの……や、部屋は特にこだわりはないし良いけど」
「ならお台所借りちゃおっと。苺すぐ出すね。どれくらい食べる?」
バスケットを手に台所を借りるねと微笑んだタイムの背中を見送りながら夏子は彼女の元気が無い事、そして目元が赤いことに気付いていた。気付きながらも、同棲している化のようなシチュエーションに「え……? 何……? 僕、まさか死ぬの……か……???」と現実逃避を禁じ得なかったのだが――
台所のシンクに流れる水音を聞きながら夏子は頭を悩ませた。どうして彼女がしょんぼりをしているのか。それから、どうしてお見舞いに来てくれたのか。そもそも、世話を焼いてくれている所から違和感ばかりなのだ。
「夏子さん、はい。苺。適当に準備したけど足りなかったらまだあるから」
「へ、へー……タイムちゃんが選んでくれたの? いいよね、ドゥネーブの苺。フォレ・ロンスは絶品だって有名だし」
「うん……」
――き、気まずい!
夏子は俯いてしまったタイムを眺めて息を飲んだ。夏子は現段階で彼女がどうして気落ちしているか判別が付いていないのだ。
「「あの」」
顔を上げたタイミングは同時、夏子は「あ~しまった~!」と思ったがいつも通りににんまりと笑ってから「どうしたの?」と問うた。
「あ、夏子さんが先で」
「いやいや、良いよ。タイムちゃん。どうしたの?」
「……ええと……ほんと言うと今日はここに来るか結構迷っちゃった。あんな姿見られた後だし……」
「『あんな』?」
「……模擬戦駄目にしたの、どうしてって聞かないの?」
模擬戦、と呟いた夏子はようやく思い当たる。女盗賊ユメーミル・ヒモーテとのデートを賭けた模擬戦だ。
その怪我を見舞いに来てくれたことは分かったが、彼女にダメにされたとは思って居なかった。
「あんな姿……? 模擬戦駄目にした……? やちょっとあんまり覚えてないな……
なんか想定してたより重すぎる攻撃でてんやわんやだったんよね。模擬戦ってあんなわやくちゃするモンだっけ? ってずっと思ってたんだよなー」
味方の攻撃が重たかったとからからと笑った夏子を見てからタイムは「ち、違うの」と慌てたように声を張って――徐々に凋んでいく。
しおらしく俯いてしまったタイムに夏子は首を傾ぐ。模擬戦で的になった夏子が怪我を負ったことを謝罪している訳ではなさそうで。さて、如何したことか。
「だ、だからデートを……つ、潰して……」
ごにょごにょと呟いたタイムに夏子は「ん?」ともう一度不思議そうに首を捻った。
「……え? 潰したの? 何故そんな事を?」
そういうものでしょ、と笑う彼にタイムはぐ、と息を飲んだ。
――……デートなら、わたしとしてよ。夏子さん。
――もちろん、タイムちゃんとも喜んでデートするよ。
あの時の約束は、反故にはしてないが未だに擦れ違っている。『私だけ』と『私も』。
その違いさえ埋められない事が少しもどかしくはあるけれど、夏子はユメミールとのデートに関しては何の未練も抱いてなさそうで、ほっと胸を撫で下ろす。
「何でもない。……覚えてないならそのまま忘れてっ」
ふい、とそっぽを向いたタイムをまじまじと見てから夏子は可笑しそうに笑った。
「なんかふててるんだか拗ねてるんだか。見慣れない表情しててカワイっスな」
「も、もうっ」
微笑んで居る顔も、少し怒っている顔も、泣いている顔だって、沢山の表情を見てくる機会は逢った。それでもふてくされて拗ねたようなこの顔は見慣れなくて可愛らしい。
女のコの拗ねている顔は存外に良いものだと再確認しながら、夏子はテーブルの上に置かれていた苺を手に取った。
「良く分からんけどキゲンなおそ? ほぉら あーん」
唇をつんと付いた苺に「これわたしが持って来たのにっ」とタイムが非難の声を上げる。一度、苺がそっと離れてゆく。
「食べない?」
おいしいよ、と揶揄う声にタイムはむうと唇を尖らせた。美味しい事なんて、選んできた自分が一番知っている。
色々と気にしていたのに、と彼に聞こえないように呟いてからタイムはそっと彼を見上げて袖を引いた。
「……食べる」