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花と星
登場人物一覧
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幻想王宮内修練場。普段は訓練の音で満たされる筈の場が、静寂に包まれていた。
息を呑む音すら聞こえてきそうだ。中央、相対する二つの影の一つはリゲル=アークライトである。銀色に輝くその剣を両手で握り締め、眼前にいる相手へと集中を。
一寸たりとも目を離す事は叶うまい、何故ならばその相手は。
「では、参ります」
シャルロッテ・ド・レーヌ。幻想近衛の頂点にして花の騎士。
一言、述べた次の瞬間には。
「――ッ!」
消失。瞬きの後にはもはやそこにおらず。
いたのは――己が右、斜め下。
振るわれる剣撃がすぐそこに。反射的に割り込ませた己が剣に衝撃が走り。
「ふッ――」
故に跳んだ。衝撃に対し抗うのではなく、受け流す故の選択。
空を舞うは約二秒。跳んだ距離はおおよそ七歩程度の距離感か。それは速度と共に込められたシャルロッテの膂力に対する、受け流しに必要な『長さ』である。七歩分の距離、そして距離に比した滞空時間の短さはそれだけ彼女の一撃が重いという事の証左であり。
――いやちょっと待て。今のは速度の一撃という訳ではないのか?
空中。跳んでいるリゲルの思考が行きつくは先の攻撃の分析だ。
と言っても時間をかけて思考している訳ではない。彼が成したは高速にして、直感の領域における『過程理解を飛ばした結論到達』である。瞬時の判断が必要な場においては『あれがああだから、こうなる』ではなく『こうなるから、あれはああなのだ』という逆算が行われる事が多々ある。
何の違いがあるのか? ほんの僅か結論への到達が早い事になんの意味があるのか?
「お、ぉお」
二秒。滞空終了と共にリゲルの足が地へと着き。
そこへ振舞われる花の騎士の三閃。上、左、右の順に来る先と同じくした速度の閃光。狙われし頭部、下手をすれば頭の骨を砕かんとする一撃の羅列――それを。
リゲルは弾くのだ。銀剣の軌跡が、花の煌めきを寸で喰い止める。
成したのは『結論』を先んじて理解したからだ。花の騎士の初撃。あの速度で振舞われる一撃に彼女はどれ程の力を込める事が可能なのか? 理解せず、先の攻撃をただ速度に特化した一撃――とだけ思っていたのならば、弾くに足る力を己は込められなかったかもしれない。
式は間違っていてもいいのだ、答えが間違ってさえいなければ。
致命的な間違いさえ犯さなければ――戦いと言うのは続けられるのだから。
息を吐く。引き締まる全身。構える銀剣、己が矜持。
花の騎士――彼女と接した機会は決して多くはない。
しかしそれでも。幻想国王フォルデルマン三世の側近、近衛の長という立場にありながら傲慢や横暴にあらず常に国家の安寧と、より良き未来を想う――高潔なる騎士の姿。そんな姿に、抱いた感情は『憧れ』で。
「――」
手に届かないモノだとどこかで思っていた。あるいは触れる事が出来ないモノだと。
しかし今彼女は目の前に在る。偶々ではあったが『とある理由』からこの機会を得て。
都合四度の交差を乗り越え、未だ己もここにあるのなら。
「は、は」
更に今少しばかり『共に在れる』だろうかと。
「――参ります」
次はこちらの側だとリゲルは紡ぐ。守勢ばかりは本意でなく故に地を蹴り往くのだ。
今の己の全力をもって――花の騎士に挑む為に。
振るう剣、一で横薙ぎ。一歩後退せしシャルロッテが見定め回避する――が。
「むッ……!」
二の軌跡が突き走る。後退したその判断を見逃さず、リゲルが踏み込んだのだ。
距離は空かない――否、彼は空けさせない。
突かれる一撃。横から斬撃を加え、その穂先を逸らす。甲高い金属音が修練場に響いて。
「ぉぉおおお……ッ!」
だが終わらぬ。三、四、五の閃光が続きシャルロッテを逃さない。
左、上、右下から。銀の輝きは幾度弾かれようと決して衰えず、むしろその速度を増していき。
「輝き――ますか」
シャルロッテは呟く。彼の内に秘められしは熱か、外に放ちしは輝きか。
リゲルの銀閃は、ああ眩しいものだ。これ程実直に確かな強さを秘めた剣を受けるのは久しい。賊の刃は軽く、確たる重さが無く――交えようともその剣に何の意味も感じた事は無いが。
リゲル=アークライト。彼には強さがある。
芯があると言い換えてもいい。彼の様な者と刃を交わすのは――
「心地が良いですね」
別に戦いが好きだとかそういう訳では断じてないが。
「曇りが晴れるようですよ――この国では些か心配事が多すぎて、心を洗う暇もない」
「心中、お察し申し上げますッ!」
リゲルの一閃。上段から放たれたソレは確かにシャルロッテの身を捉えるが。
「何、これも……責務の一つであれば」
一撃に手応えは無く、空を切る。
いやむしろ剣に伸し掛かった『重み』があるぐらいだ。見えたその光景はシャルロッテがリゲルの剣に足を乗せている場。身体を捻り、最小の動きで剣を避けて即座に『踏みつけた』のか。
信じ難い。『それ』に掛けて良い時間は一秒ですら長すぎる。全ての行動が連続した動作でなければならず、迷いや躊躇が一片たりとも入り込まぬ精神力が無ければとても成せまい。
しかし彼女は成した。上から掛かる圧に、剣が想定よりも下に沈む。
「くっ――!」
彼女の右腕が動く。踏みつけた体勢のまま剣撃を繰り出す気か。
沈んだ剣を諸共持ち上げる――は間に合わない。圧を振り払うにかかる一瞬が致命となろう。では武器を手放すか。否否それこそ詰み、だ。地に完全に落ちた武具を拾う隙など彼女は与えるまい。
されば手段は一つ。
「お、とっ?」
潜り込む事、だ。上段から斬撃を放った体勢は些か前のめりであり、リゲルが後方へ飛び退く事は間に合わない。であれば逆に前方下部へと沈み込む。
急激なる脱力。膝の力を抜くだけで、全身の位置が動くのだ、がそれも一瞬。次に上半身だけを前へと進ませる様に。さすればシャルロッテが放とうとした斬撃は、彼の頭部を掠めるだけの形となり――
「――!」
身体を回す。独楽のように。
低い体勢で行わるソレは『上』から押さえつけられていた剣に『横』の勢いを成す。外れる拘束。半回転、後。円の軌道を描いて放つ一撃がシャルロッテを襲って。
「お見事」
されど衝突する。彼女の剣とまたもや、だ。
弾く勢い。利用して、そのまま互いに距離を取れば。
「……くっ、中々届きません、ね」
幾度も振るう剣閃だが、それらを決して彼女は届かせない。寸でで必ず止める。
何もかもの判断が早いのだ。先のリゲルの円軌道における反撃も恐らく『潜った』のを見た時点で後の行動を想定したのだろう。外れた己が剣を、勢いそのままにぶつけてきたのだ。
決して負わぬ致命。あらゆる状況から最善を模索する防御的な戦い。
それがフォルデルマン三世を守護せし者の戦い方としての一つであった。
「私の敗北、それが実質的に――陛下の身に危険を及ぼす事に繋がってしまうのなら」
倒れぬ存在として在り続けよう、どこまでも。
いつ如何なる時であろうとその自負と矜持が油断を許さない。
「成程、お強い訳です」
構え直すリゲル。手合わせを申し込んだ時から、元より勝つのは難しいだろうと思っていたが。
「ですがだからこそ――この機会を得る事が出来た事、本当に幸運だと思っています」
そう『だからこそ』意味があるのだ。
もしも『花の騎士』が容易に勝てる相手ならばそもそも仕合をここまで切望する事はなかった筈だ。内に生じている憧れと言う思いは、相手が上だからこそ。この趨勢はむしろどこかで望んでいた通りでもあるのだ。
「強さを求めますか」
構え直すシャルロッテ。紡ぐ言葉は優し気に。
「人それぞれ、求めるモノですが……貴方のそれは――何の為にですか?」
「……さて、何の為でしょう」
国の為か。
愛しい人の為か。
それとも託された想いの為か。
ただ。強くなければ誰かを護る事も出来ないし、何かを果たす事も出来ない。
強さを求めるならばそれを強欲だと――あの冠位は笑うだろうか?
「……想いの総てを欲と捉えるのならば」
捉えさせておけばいいだけの話でもある、か。
伏せる眼。心臓の鼓動が近くに聞こえる。
この戦いは己一人だ。太陽の輝きは隣に無く、月下の眩耀も遠く、慈愛の恩寵も……
されど。
だからこそこの場にて『リゲル=アークライト』という一個人が浮き彫りになるのだ。
「――」
ここに至るまで。まだ二十にも満たない人生であるけれど。
「それでも」
培ったモノを出すのみだ。
「決めに、参ります」
「――受けて立ちましょう」
ただの手合わせ。されど全力を伴うならば、己が『積み上げ』たモノの価値を問うのだ。
抜く手は無く。勝てぬかもしれぬとは思っても、負けに往こうとは思わない。
静寂。整える姿勢が、運足の始まりとなりて。
――跳ねた。
直線だ。それは言うならば――流星。天を往く煌めきの如く。
激突する。袈裟斬りの形で投じた初手は、激しい金属音を鳴り響かせて相打った。
されど止まらない。いや止まれないと言うべきか。
既に果たした幾度の打ち合い。その渦中にて見せた己の全力たる剣筋は、既にシャルロッテの瞳の中に収まっている。『次』を渡せば『その次』は無いのだ。彼女に見極められ打ちのめされるのみ。
ならば渡すな。
「ッ……!」
腕を振るえ。
身を竦めるな。
速度を上げろ。
「ぉ、ぉおおお……!!」
呼吸は止めた。肺を膨らませれば身体が鈍る。
瞬きは止めた。一瞬の暗闇すら邪魔だから。
銀の閃光が増える。一が二に、二が三に。三が四――五・六・七・八・九。
「早いッ……!」
激突の音と間隔が狭まっていく。花の騎士が防に徹す。
しかしそうなった彼女に穴を穿つのは難しい――その上向こうは一瞬の隙でもあれば突いてくるだろう。防御に徹するというのは必ずしも追い詰められているという事と同義ではないのだ。
止まれない。
過ちは犯せない。
しかし過ちを恐れてはいけない。
「――ッ、ォ――ッッ!!」
無呼吸連動作に段々と体が悲鳴を上げ始める。
彼は常に前へと踏み込み続け花の騎士を自然と押し込める程の勢いとなっているが。
「正に流星の如く、ですね……!」
彼女は言う。それは身を滅ぼす前進だと。
天を這い、身が砕け。消えゆく間際が『流れ星』だ。詰まる所今の貴方。
「死間際の――断末魔です!」
「違う!!」
全力で振るった斬撃の圧が花の騎士の身体を揺らがせる。仰け反る上半身。振動せし剣。
この修練場におけるリゲルの放った至大至高の一撃だ――あぁ、つまりそれの意味する所は、彼の輝きが失われてなどいない事。
何故だ。
死は終わりだ。着地せし極点だ。無茶な事をすれば、無理を走れば誰もがいつかそこに落ちる。
なのに彼は今なお前へ進んでいる。高みへと至っている。それは何故――
「信じて、いるのです!!」
空を駆ける流星の輝きは暗き破滅への道では無く。
かつて幼き少年が夜空を見た時、夢を魅せた……何よりも美しい灯火。
確かにそこに在った――『生の咆哮』なのだと信じている。
落ちるのではなく砕けるのではなく。
一筋の世界で己が全てを出している。煌めかせて――いるのだから!
「こ、こだァ――ッ!」
握り締める剣。真一文字に薙ぎ払うその一閃は微かに見えた勝機へと。
防御の隙間がついに現れたのだ。岩の如く感じた彼女の防衛領域に開いた針の穴。
見逃さない。通すに難しだろうがそんな事は知った事ではない。此処にあるのだ、だから!
「ぬ、ぐッ――!」
シャルロッテは感じていた『これ』は当たると。
むらがあるだけなら偶然であるのなら。弾いて終わったただそれだけ。しかし『これ』は違う。
ここに至るまでの道があった――紡いだ末に生まれた一時、必然の一撃。
針の穴は通ったのだ。
鳴り響く。その音は花の騎士の、剣を弾く音。彼女の手から唯一の武器が手放された――瞬間。
首筋に差し込まれる圧。刃物ではないが、何かがリゲルの喉を抉る様な感覚がして。
意識が、暗転した。
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「――はっ!?」
リゲルは跳び起きる。それは意識した訳ではなく反射行動だ。
声と共に肺に空気が送り込まれる。されば確認するは現在の状況だ。
剣を弾いた所までは覚えているのだが……
「はっはっは――中々やるじゃあないかリゲル!
正直シャルロッテにすぐ負けてしまうんじゃないかと思っていたんだが!」
と、そこへ紡がれる言葉がある。聞いた事のある声色だ……というかまさか。
「こ、これは陛下! このような姿勢で失礼を……」
「ん? 別にいいさいいさ! それよりどうだった私のシャルロッテは――強かっただろう!」
幻想国王フォルデルマン三世その人だった。
リゲルは即座に姿勢を正す。だが立とうとすれば脳髄に揺らぐ様な感触があったため、傅くかの様に片膝を付け首を垂れて。
「はい……流石は花の騎士と謳われる方と申しましょうか……」
「お褒めに預かり恐悦です」
そこへ更に。フォルデルマンのすぐ背後から件のシャルロッテの声が聞こえた。
「まさか剣を弾かれるとは……故、やむなく最後は手刀で一撃を。ただ些か深く入ってしまったようで……」
「全く駄目だぞシャルロッテ、リゲルは君を手伝った恩人ではないか! そんな彼に対して」
「元々へーいーかぁーが、まーたー城下町に内密に出かけるとかいう事をしなければですねぇ~?」
ブチ切れ寸前モードの怒りの騎士、もとい花の騎士。
そうだ、意識が途切れてから些か混乱気味だったが色々と状況を思い出してきた。元々はリゲルが幻想の城下町を出歩いていた際、まーた脱走した陛下がいたのだった。そうしていたら激おこシャルロッテと遭遇。今度は追う側として支援したら『何か御礼は出来ませんか?』という話になって……
「――この度は貴重な機会を頂き、ありがとうございました」
「いいえ。剣を弾かれるという事態に至った以上、今回の手合わせ。
貴方の勝ちと言えるでしょう。リゲルさん」
「さて、それは……」
どうでしょうか、と言葉をリゲルは紡ぐ。別にシャルロッテが手を抜いていた……とは思わないが、では真実の意味での『全力』であったかと言うと否であろう。彼女の戦運びはあくまでも修練の範囲だったのではと、どことなく感じる。
尤も生死の応酬を望んだ訳では決してないし――肉薄は出来た。
少なくとも一蹴される様な事は無く。切り結んだこの機会は、無為ではなかった。
「またもしご縁がありましたら……もう一度と、申し込んでも?」
更なる修練の果てに。何かの縁を紡げたならば。
「無論です――またの機会がありましたら」
また再度と、シャルロッテも言葉を繋ぐ。
たった一度でも結べた縁があるのならもう一度もいつかあろう。
うんうんだったら私もまた城下町に、と呟く陛下をそれとなく睨む花の騎士を視界に――リゲルは未来に想いを馳せていた。