SS詳細
夏の始まり
登場人物一覧
「ねぇ夏子さん。浴衣を買いに行かない? その、一緒に」
始まりはタイムのそんな誘いだった。
「なんていうのかしら、エキゾチックな雰囲気があっていいなあって」
浴衣を見て夢見る少女のように笑ったのもタイムなら。
「折角だもの。夏子さんの浴衣、わたしが選んでもいい?」
好奇心を乗せた瞳でそう聞いたのもまた、タイムだった。
こうして二人出掛けた高天京。とある大きな呉服屋の、浴衣の吊るされた一角で。二人の
◆夏子の浴衣
頭一つ分高い男のひとの体へ、白魚のような手が次から次へ布をあてる。白茶黒の三毛柄、赤と黒の龍柄、黒と黄色の虎柄、明るい青を使った空柄。金魚が泳いでいたり花が咲いたりと、体は忙しなく柄を変える。
「ちょっと派手すぎるかしら?」
タイムの呟きを耳にしながら、「これも着てみてくれる?」と試着室までご案内。
人形遊びされる人形ってこんな気分なんだろうか、なんて夏子の心の声は届かない。いや、きっと届いていても気にしない。だって彼女は今、とっても楽しそう。
(女性に好き勝手されるのも悪くないな)
と、まぁ、n度目の着せ替えを味わいながら、なんとなく絆されるように思うのもまた仕方のないことと言えようか。
派手めな柄と大人っぽい柄と、二択まで絞ってうんうん悩みながら。結局彼女が選んだのは、暗めの色合いの落ち着いた柄。
23歳、遊びたい盛りには些か背伸びしたデザインにも思えるが、着てみるとなるほど確かにしっくり来る。とはいえありきたりの紺一色なんてつまらない。
深い紺色にうっすら入った
木下駄はこげ茶、鼻緒は黒。扇子は深い紺色、こちらも端にほんのり瑠璃色のグラデーション。
紺をメインカラーに、蘇芳のアクセントを乗せて。瑠璃色のグラデーションは主張こそ激しくないが、落ち着いた中に鮮やかさを思わせる。
「夏子さん、着てみた感想どう? なぁにその顔~」
やっぱりこっちの落ち着いた、大人っぽいののほうが好きだわ。試着室から出てきた彼にそう満足そうに頷いて。
「僕ぁ派手な方が好みだけど、タイムちゃんがそう言うならこっちかなー」
いまいちピンとは来ないけど、じゃ次は僕の番ね、と。今度は夏子が、いつもの通りへらりと笑ってみせた。
◆タイムの浴衣
どんな浴衣を選んでくれるのだろう、高鳴る胸のまま振り返った先には店外を見る夏子。
視線を辿るとどうやら向かいに鎮座するは水着売り場……水着売り場? 高天京に? 訝しむ目には空に泳ぐ海洋の旗が映る。どうやら国家間交流はうまくいっている様子……などと、そんな真面目なことは微塵も考えていないだろう夏子の頬を掴んでぐい。今日はこっち~、とばかりに浴衣へ向き合わせる。僕の番は水着の番ではないのです。
浴衣より水着の方が良いんだけど。風に吹かれれば飛ぶ程度の言葉が飛び出す口はそのままに、かけられた浴衣をばらばらばらと見流して。
どんなのが似合うかな~、普段かわいい系だしなあ。いくつかタイムの体に当てようとして、さらりと体を離す彼女にまたへらりと笑う。
「せっかく浴衣だし? 普段と違う感じで、こんなのどうかな~」
着てみて着てみて、と試着室に押し込まれ。着ていた服を一枚一枚床に落として、持たされた浴衣に袖を通す。外で待つ彼に見せる前にと姿見の前で乙女のチェック。
(ふぅん、夏子さんが選ぶのってこういうカンジなんだぁ。ふぅん~)
自分の好みでは選ばないデザインに、夏子が選んでくれたというだけで緩む頬。
やだな、こんなにまにました顔じゃ外に出られない。ああでも、早く見せたい。なんて言ってくれるかな。ドキドキする。それにそれに、このままじゃ暇を持て余した彼がまた節操の無さを発揮してしまうかも。それはちょっと、なんだか、むぅ。
そんな
明るい
帯は浅葱色から薄浅葱へグラデーションの献上柄。不器用さんにも嬉しい作り帯。木下駄は黒、鼻緒は海松色。裾には薄い生成色ながらシースルーの生地が端をぐるり。ふくらはぎの下の方が見えるラインになっている。
柔らかい白を表す生成をメインカラーにブルーカラーで清涼感をプラスして。反発しやすい海松も、浅葱や瑠璃と同じだけの掠れ具合で統一感。
「どう? どうどう?」
くるっと回ってお披露目する姿は可愛らしい夏模様。普段選ばない色合いも、自分が選んだ彼の浴衣となんだかお揃いっぽい。きっと絶対そんなこと、夏子は微塵も考えていないだろうけれど。
その証拠にほら、小声で「う~ん、意外と良いお尻」。幸いにもちょっとしか聞こえなかったけど、「なになに?」と聞けば両手で失礼なジェスチャー。
「ん~、かわいらしいラインだな~と思ってね~」
でもなんだか今は気分が良いので、へらりと笑った笑顔と素敵な浴衣に免じて許してあげるのです。
◆約束
すっかり長居した呉服屋からの帰り道。浴衣の入った袋の重みを手に感じながら、「そういえば、」と今思い出したかのように。
「えっと、夏にはお祭りもあるのよね」
ちらりと横目でいつもと変わらぬ夏子を見上げる。
「その時は、この浴衣を着てまた一緒にお出掛けしよう? ね?」
なんだかいつもよりも熱い頬は照らす夕陽のせいにして。
「夏祭りか~。なんだかんだあんま行ってなかったなぁ」
これはきっと、イエスの答え。
「ふふ、やくそく~!」
どうせ彼はロマンスだとかアバンチュールだとか、そんなことしか考えていないんだとしても。きっときっと、楽しい一日になるに違いないんだから!
おまけSS『デザイン解説』
◆夏子
メインカラー:深い紺(#001A43を濃くした色)
サブカラー:白藍(#D4ECEE)、瑠璃(#004898)、蘇芳(#7E2639)
微かなグラデーションで涼しさをプラス。
浴衣の生地色自体は変わらず、細い縞の模様が白藍から瑠璃へのグラデーション。
扇子は浴衣の生地と同色で、端の方だけ瑠璃のグラデーション。
◆タイム
メインカラー:明るい生成(#F7EFE3)
サブカラー:浅葱(#00A5BF)、瑠璃(#004898)、海松(#596327)
サブカラーは水彩のように掠れ気味で、爽やかさの中に清涼感をプラス。
裾の下の方にシースルー生地のラインを作ることでデザインに特別感。
◆お揃い部分
・瑠璃色の差し色
・帯の献上柄
・裾の透け感