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命の灯火
登場人物一覧
陰鬱な血液が滴るように脳髄を浸食する呪いは頭蓋に激しく響いた。
其れは誰かの無念を切り取って屍の如く忌まわしき呪いへと変えたもの。
辛き慟哭。誰かの届かぬ想いはやがて穢れとなる。
「……っ、ぅあァ!?」
苦しみと痛みに叫びながら九野 深杜は目を覚ました。
痛む左目を抑えて辺りを見渡せば見知らぬ景色。
薄明かりにオレンジ色のランプが揺れて、手には暖かなシーツの感触があった。
「大丈夫ですか?」
柔和な声に視線を上げるとヴァールウェルの心配そうな顔が覗き込んだ。
深杜の額に浮かんだ汗をタオルで優しく拭い、落ち着かせるように背を撫でるヴァールウェル。
「ぁ……ヴァールウェル? こ、ここは」
張り詰めていた息をようやく吐いて、深杜は視線を漂わせる。
「此処は私が使ってる宿の部屋です。だから安心してください」
「そ、か。そうだ。私、ヴァールウェルと一緒に帰ってきたんだ」
温かい風呂と美味しい食事のあと、子猫のように寝てしまった深杜をヴァールウェルはベッドに寝かせていたのだ。
深杜はギストールの街から『手違い』で仲間のイレギュラーズの領地へと運び込まれていた。
彼女の呪いの影響での仲間の領地に魔物が攻めて来たのを力を合わせ撃退したのだ。
深杜や他のゼノポルタの奴隷は豊穣へと帰る事を拒み己が居たいと思う場所で生きて行く事を決意する。
領地に大切な人と残る者。そして、少女はヴァールウェルの傍に居る事を望んだ。
「……そう、か。夢か。良かった」
「悪い夢でも見たんですか?」
深杜の白くなってしまった髪をゆっくりと撫でていくヴァールウェル。
「うん、すごく苦しんでる夢。悔しくて悲しくて、届かない想いに縛られてる夢」
「深杜の中の呪いの影響でしょうかね」
「多分……その悔恨が無理矢理切り取られて、呪いのカタチにされたんだと思う」
かつて誰かが感じた慟哭を『何者か』が強大な呪術へと変幻させた。
その悔恨が深杜の中にも残滓として渦巻いている。
憂うように視線を落とす深杜の前に湯気の立ったマグカップが差し出された。
その中には薄緑色の番茶が満たされている。
「おや、流石迅香。気が利くじゃないですか」
「鬼人種なら下手な紅茶等より、番茶の方が落ち着きますからね」
番茶であればカフェインも少ないから夜に飲んでも問題無いという配慮なのだろう。
素直にマグカップを受け取って深杜は番茶を舌の上に転がす。
懐かしい故郷の味に安堵の溜息が漏れた。
ヴァールウェルは深杜を背中の翼で包み込み緩く風を送る。
優しく香る陽だまりの匂いに深杜はヴァールウェルに寄りかかった。
「ゆっくりおやすみなさい。僕が居ますから。安心してください、ね?」
「ん……」
マグカップをサイドテーブルに置いて、船をこぎ出した深杜をヴァールウェルは優しく見つめる。
「あの、ゼノポルタの男の子。こっちには調査の為に来ていたと言ってました。仲間の話しから察するに彼の主は天香の当主――天香・遮那さんなんです。もし、彼の助力があれば深杜の呪いを解く方法が見つかるかも知れない」
ヴァールウェルの呟きに迅香も同意する様に頷いた。
豊穣で掛けられた呪いであれば現地の者に聞く方が情報を得られる可能性が高い。
今は藁にも縋る思いで情報が欲しかった。
――――
――
ヴァールウェルは遮那の従者であるゼノポルタの少年から受け取った書簡に視線を落とす。
――『紫屍呪』と名付けられたその呪いは、錆びついた一振りの刀が刺さる錆塚峠から広がった。
何者かが錆塚峠に巣くう剣巫女の荒御魂に呪術を施したのだ。
遮那はその荒御魂を鎮める為に動いているらしいが、『紫屍呪』自体は解呪出来るとの事だった。
荒御魂の穢れに飲まれ苦しんでいた別の精霊を鎮めた時に体得したのだ。
「深杜が『手違い』で運ばれたのは、本当にそうであったのでしょうか」
「どういうことですか? ヴァールウェル様」
「何者かが錆塚峠に巣くう剣巫女の荒御魂に呪術を施した。その呪術は深杜に掛けられているものと同じものだった。そして、何者かが手違いで深杜を仲間の領地に運び込んだ。不可解だとは思いませんか」
偶然などでは無い組織的な動きに見えてならない。
否、偶然だなんて悠長で楽観的な考えは破棄すべきだ。
――深杜が実験に使われていたのだとしたら。
仲間の領地に運び入れ、『紫屍呪』の効果を試していたのだとしたら。
其処に深杜の命という『猶予(あそび)』は残されているのだろうか。
心臓を冷たい手で撫でられた様に身体の芯が震えた。
ヴァールウェルは金瞳を見開き、隣に座る深杜を抱き上げる。
「……ヴァールウェル?」
「今すぐ出ます! 急がなければ……深杜の命が危ない!!」
嫌な予感がするのだ。
深杜燃ゆる命の灯火が消えてしまうような。
不確かな焦燥感。
どうか、どうか。どうか――
間に合えと、ヴァールウェルは宿を飛び出した。