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愛の囁き
登場人物一覧
しなやかな夜の獣が黄金の瞳を揺らす。
闇夜に散りばめられた幾億の星が宝石箱を転がしたように美しく輝いた。
瞳の中に落ちてくる星影は瞬きをする度、増えている様に感じてしまう。
指先に一粒掬ってみる事は叶わぬとも、伸ばした手を翳す事に意味があった。
「何、戦ってる最中に余所見してんだよ」
耳朶を擽る声。苛立ちを隠そうともしない硬水のような鋭さ。
艶やかな黒髪と燃える様な赤い瞳。
アイザック・バッサーニの黒豹の様な鋭利な眼差しが自身を射貫くのに、ネィサン=エヴァーコールは胎の奥が震える感覚を覚えた。自然に口の端が上がり頬に熱が広がる
ネィサンはアイザックの鋭い刃の様な視線が堪らなく好きだった。
「ふふ、余所見だなんて。アタシはザックちゃんだけを見てるのに」
「てめぇが先に仕掛けて来たんだからな。今回だけは容赦しねぇぜ。いい加減てめぇの行動にも飽き飽きしてたからな。ここでぶっ殺してやる」
一歩前に踏み込んで、アイザックは跳躍する。
廃教会の中で死のダンスなんてロマンチックだとネィサンは思った。
月の明かりがステンドグラスを通れば、戦場は舞踏会へと変わる。
木の床が軋む音とお互いの息づかい。至近距離から打ち出されるアイザックの弾丸を魔法障壁が弾いた。
弾かれて壁にめり込んだ弾丸にアイザックは舌打ちをする。
「お上手、お上手」
「ふざけんな! クソが!」
ネィサンの胴目がけて蹴技の連打を叩きつけるアイザック。
受け流したネィサンに靴裏を取られ、床を転がったアイザックはギリと歯を噛みしめて視線を上げる。
上体を起こそうと床に手を付いた所で、腹にネィサンの靴が載せられた。
ピンヒールはアイザックの腹に食い込んでいく。
「ねぇ。ほら、もっと鳴いてみせてよ」
「何だてめぇ。イラついてんのか? 溜ってんのか?」
「もう、ザックちゃん下品なんだから。そういうのはもっとロマンチックな雰囲気の時に言葉を選んでくれないと、ねぇ?」
「言ってろ。てめぇのお花畑な頭をこれでぶち抜いてやるからよ!」
腰に吊したリボルバーをネィサンの頭蓋目がけて解き放つ。
頭蓋に向かってくる弾丸。避け得ぬ射線。
殺意に満ちたアイザックの表情。燃える炎の様な赤い瞳。
出会った時と変わらぬ獰猛さ。そのアイザックが自分と対峙し息を乱している。
所々服は破け、肉が断ち切れた部分から血が噴き出していた。
身体は血みどろで生きも絶え絶え。
「はぁ、はぁ……」
「く、ふふ」
思わず声が漏れてしまった。
だって。仕方が無いではないか。
しなやかな黒豹が自分の手でこんなにも疲弊し弱っている。
されど、怒りに満ちた表情は変わらない。
何て美しいのだろう。愛おしいのだろう。もっと、もっとその表情が見たい。
ネィサンは歓喜に満ち溢れていた。
魔力障壁を割ってアイザックの弾丸がネィサンの頭部を掠める。
滑り滴る血がネィサンの頬を流れた。痛みと衝動。何と芳しき蜜月。
愛して、愛して、愛したい。
憎悪も屈辱に塗れた表情も。
全部。全部。全部。欲しいと思った。
「ねぇ、ザックちゃん。愛していい? アタシの手の中で息絶えて行く所を見たいの」
今、此処で愛(殺)せばアイザックは永遠に自分の物になるのだ。
月のステンドグラスが照らす廃教会で。
愛しきペットを愛する事が出来る。
全てを永遠にする事が出来る。
「はぁ? てめぇに殺されるなんざ虫唾が走る」
抵抗するようにアイザックはネィサンに掴みかった。
ブルートパーズの髪がゆるゆると靡いて床に落ちていく。
ネィサンに馬乗りになったアイザックは相手の額に銃口を突きつけた。
歯を食いしばり怒りを露わにしたその表情は、少なからず『撃つ事を躊躇っている』証拠だ。
「ねぇ……撃たないの?」
「るせぇ! 何で攻撃してくんだよ!」
本当に突然だった。
他愛の無い会話の途中。
月明かりに手を伸ばしたネィサンがアイザックを攻撃したのだ。
気まぐれな魔種であるならば、その行動は不可解なものではない。
されど、僅かながらもアイザックは『信頼』を置いていたのだ。
それを『裏切る』ような行動にアイザックはいつも以上に腹を立てていた。
少しでも信じた自分が馬鹿だったのだと。
悔しさを滲ませるアイザックの表情にネィサンは微笑みを浮かべる。
「愛しているからよ。ねぇ、もっともっと、素敵な表情を見せて頂戴?」
「……くそっ!」
ネィサンの言葉に気を取られ、アイザックは背後から迫る夜の獣に遅れを取る。
大きな爪がアイザックの背中を抉り、骨を砕き肺に到達した。
「が、は……っ」
自身の上に倒れ込むアイザックを抱きしめ額に唇を落とすネィサン。
次第に細くなっていく息に愛おしさがこみ上げる。
「はぁ……愛しいアイザック。苦しいでしょう。その表情、忘れないわぁ」
アイザックの命の残り火を味わうようにネィサンは彼を抱きしめる続けていた。
生暖かい血がネィサンの衣装に染みこんで。
解けるように一つになる。
ネィサンは全身でアイザックを愛していた。
最期の一滴まで。飲み干すように。
――――
――
「……何笑ってんだよ」
「んーん。昔の事思い出してて。ザックちゃんが、まだ今より少しだけやんちゃだったときのね。その時も死にかけてたじゃなぁい?」
アイザックが入れてくれたコーヒーを受け取って、ネィサンはくすくすと微笑んだ。
「廃教会の時か。あれは、割とマジで死んだかと思ったな」
「ふふ。神に愛されてるのよぉ。ザックちゃんは」
コーヒーの香りを楽しみながらネィサンはアイザックに視線を流す。
ウォーカーであるアイザック・バッサーニは『神に愛されている』のだとネィサンは彼に説いたことがあった。自分には無い神からの恩恵。そのお陰でアイザックは必殺の一撃を回避して見せた。
魔種となったネィサンとて、得られなかったモノをアイザックは持っているのだ。
――憧憬。嫉妬。愛玩欲。
ネィサンがアイザックに抱くのはそういったウェットな感情だ。
それでも、妖精郷の一件でアイザックが『誰か』に固執する所を見て、ネィサンの中に僅かな芽生えがあった。独占欲にも似たそれは、何と言葉にすればいいのだろう。
上っ面の言葉だけで表現するには足りない。深く心の奥底に根付く感情だ。
されど、告げることの無い『心』なのだ。だって、受入れられる筈もないのだから。
深く深く仕舞い込んで。ただ、傍に居る事を願うのだ。
それが一番彼と一緒に居られる時間が長いのだから。
「ねぇ、ザックちゃん。あの子の事聞かせてよ」
「……何でだよ」
アイザックが固執し、その手で殺したいと思っている相手の事を『知りたい』と思ったのだ。
何があって拗れてしまったのかアイザックの口から聞きたかった。
ソファに座るアイザックの肩を背もたれに押しつけて、膝の上に乗る。
「そんなに秘密にしたいのかしらぁ?」
「……分かったよ。大した話じゃねぇけどな」
こういう絡み方をする時のネィサンは絶対に引かない。それをよく分かっているからこそ面倒だからとアイザックは眉をよせながらもブルートパーズの長い髪を引き寄せ、ネィサンの耳に囁く。
ルチアーノ・グレコと共に編んだ怨嗟の道行き。血に濡れた赤の足跡を――