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さかしまの輪郭
登場人物一覧
●
「俺は孤児院で育ちました。今もその教会に身を寄せています」
深い深い森の奥。柊の木々を通り過ぎ、金の葡萄の谷のその向こう側。
そんな場所で過ごしたのだと青年は柔らかな声音で言った。
青年が淀みなく紡いだ言葉へと、少女はそのかんばせを曇らせることはない。そっと手を取り「素敵な事だ」と声弾ませて。
「そうなんだ。それじゃあ、ブラッドはみんなのおとうさんで、兄さんだね」
冷たい指先を包み込んでそっと撫でる。添えた指先から徐々に伝わる熱が、生を実感させてくれるようで。
サンティール・リアンは謳う様な声音で、 ブラッド・バートレット へと告げた。
「……そうだ! ね、僕に『おはなし』を語らせてくれないかい?」
現実的な、事実の
空想的な、雲の軌跡を追うように、鳥の轍を語るサンティールは、そんな彼の言葉に小さく笑う。
青年曰く、感情と呼ぶ現象は学書はあれど視認不可。そんな不確かなものを楽しげに語る彼女と、それを未だ理解出来ない自身。
その違いさえも不鮮明で。理解には及ぶことはない。
それが彼らしさ。
――……君は知らない一面を識るのが嬉しいと言いましたね。全て理解できていたら良かったと、思う事はないのですか?
――戦いに赴くとき、ともだちと喧嘩しちゃったとき。他人のすべてを理解することは叶わない。……だから、せめて寄り添いたいって思うんだ。
あの時の言葉は今だって変わりなく。そうして、ブラッドは少しの歩み寄りの傍らで。
サンティールはもう一度、微笑んだ。
「うんうん――はは! 僕らってやっぱり、『さかしま』だ!」
「『対極』故に遠いのか……なるほど、とても興味深いです」
遠いからこそ、手を伸ばす。だから、聞いておくれ。
●黄金のふかふか
大樹ファルカウの御許、繁る柊の森はちくりと尖り来客を拒み続ける。ひりひり傷むような葉に丁寧な挨拶を。進む道を淀むことなく辿れば、金の葡萄の谷が迎え入れる。
実りの季節は恵みの雨の様に。芳醇な馨で来訪者を出迎える。此の地を護る為に身を挺する柊達に小さな礼を告げたならば、ぐんぐんと歩を進めた。
迷うことなく辿ればみどりにあふれた静かな場所へと辿り着く。鮮やかな緑のはざまから見慣れた長身の青年が手を振った。
眩い光に溶けるような蜂蜜色の髪を初夏の風に揺らがせた硝子色の瞳の青年だ。
「やあブラッド、おまたせ!」
手を振って。片手運転もお手の物だと自慢した空飛ぶ箒にたっぷりと乗せた荷はちょっとの仕草で簡単に揺らぐ。
自由な風を出迎えたブラッドは「落ちないように」と揶揄い一つ。吹いた風が宙ぶらりんな箒の柄に悪戯一つ、「おっと」と慌てて足を揺らがせればブラッドが小さく笑みを殺した声が聞こえた。
ううん、と小さく喉を鳴らして。沢山の荷物を運んできた配達人の雲雀は「待ったかい?」と謳う様に笑う。
「いいえ。遠いところからありがとうございます、サンティール」
「ふふ。ご覧よ! 沢山の小麦や砂糖、バターにチーズ!
お砂糖や乳製品は貴重なんじゃないかなって。ほら、前に……そうそう!」
両方の足を地に着けて荷を箒から解けばブラッドが不思議そうに覗き込む。
大きなバッグから宝物のように取り出したのは『こころの栄養』、大切で大好きでとびっきり。そんな素敵な宝物の材料達が詰め込まれている。
「きみは僕のパンケーキ、不思議そうに見ていたでしょう?
子どもも、おとなも! 『こころの栄養』はフカケツなのです!」
「……なるほど、大荷物ですね。
孤児院の予算上、あまり贅沢はできないので。子供達に栄養のあるものを用意していただける事、とても感謝しております」
有難うございますと花瞼を伏せたブラッドは子供達の喜ぶ顔を思い浮かべて微笑んで。
任せてと胸を張ったサンティールにブラッドは頷いた。若草の髪が風で揺れる。
あの日――サンティールが『お礼』と言ってカフェへと連れ出してくれた時のことだろう。ランチセットで栄養を十分に取ったと告げた自身とは対照的に山を成したパンケーキを食べていた事を思い出す。
山のように積上がったふかふかは甘い黄金のかおりを漂わせて。雲のようなクリームが熱で溶けていくその様子。一つ一つと崩して行く彼女は興味深かった。
あの時は特段、得る必要の無い『栄養素』であったが、彼女にとっては大事で大切な物なのだろうと『言葉の上では』理解した。
理解はしたが――さて。
「それで――」
どのように準備をするのか、と。問おうとしたブラッドの声を遮るのは無数の音。ばたばたと地を叩いた無数の足音に、続くのは笑い声。「ねえねえ」とねだる声音は弾み、心の底から楽しげで。
「来たの!?」
華やぐ声音と共に、飛び付く勢いでブラッドの背後から顔を出したのは小さな小さな子供達。
その瞳の輝きはサンティールが冒険譚を前にしたような。期待と希望が揺らいでいる。幸福に染まった方は林檎のように色付いて。
「――って、わあ! 元気だ!」
青林檎の瞳はぱちりぱちりと瞬いた。勢いに圧倒されたと驚けばブラッドは「ほら、困らさずに」と子供達を窘める。
「あぁ、前もって子供達に君の来訪の話をしていたので……。
ここ最近いつ来るのか尋ねられてばかりでした。クリームが沢山乗ったケーキの話もしたので待ちきれなかったようです」
成程、成程。何度も頷けばサンティールは「元気だね!」と子供達へと微笑んだ。
声音を弾ませ、胸躍らせ、子供達が踊り出したくなるようなそんなリズムで言葉を紡ぐ。恥ずかしがってシスターの後ろに隠れてしまった子供達にも聞こえるように高らかに。
「ごきげんよう、未来ある少年少女たち! 此度紡ぐは夢と希望のカンタータ! さあ、さあ! お手を拝借、僕を案内しておくれ」
サーカスがやってきたかのように。子供達の瞳はサンティールへと釘付けだ。歌い踊るような語り部に「はあい」と手を上げた明るい少女に「ずるい!」と少年が頬を膨らませる。
自己紹介をする小さな子供達にサンティールは笑顔で応じ続けた。王子様のように朗々と語らう子供達や、戯ける子供に、少し怯えた表情で頭を下げるだけの小さな少女。
「静かなシスター達が多いのでサンティールのする事に子供達は興味津々ですね。
珍しく皆大人しいので後回しにしていた孤児院の管理を――」
此処はお任せしましょうと柔らかな声音で告げたブラッドに子供達と手を繋いで居たサンティールが首傾ぐ。
何処へ往くのと気の急いた子供達を窘めて「皆一緒が楽しいじゃないか」と踊る言葉を続けたサンティールが悪戯めいた笑みを浮かべた。
「ほらほらブラッド、一緒に行こう。もちろん! きみもいっしょだよ。とびきり大きなカステラをつくるんだ!」
「……俺も一緒に作るのですか? まぁ、確かに子供が多い台所での調理は危険です」
エプロンも用意しましょうか。髪を揺って、三角巾を着用して。
その言葉にサンティールは大きく大きく頷いた。それじゃあ、手を洗って用意をしよう。長い髪の毛は『お邪魔虫』にならないようにしっかりと結っておこう。
お料理は『魔法』なのだと大仰に、子供達にも分かりやすく伝えれば「了解しました!」と戯けた敬礼が返される。
ブラッドが人数分用意したエプロンと三角巾を身に包めば魔法の実験のスタートだ。踏み台の数は限られる。サンティールが「見えるかい?」と問い掛ける。
「ううん、見えない」
「そっかそっか。それじゃあ……」
サンティールがちら、と視線を送ればブラッドは肩を竦めて頷いた。ボウルを覗き込めない小さな子供の体を抱えて上げれば視界が一気に変化する。
高く影を落としたテーブルの隅から天にも届きそうなほどの高さまで。「わあ」と歓喜に手を叩いた子供へと卵をそっと握らせてサンティールは「準備オーケー?」と笑いかけた。
「みんな、卵は持ったかい? それじゃあ――せえので割り入れて!」
ボウルへと卵が順番に割り入れられて行く。銀のボウルに膜張るような淡い透明な白身の上に重ねられるお日様の色。黄身の崩れもご愛敬。
ぐちゃりと崩れた卵に子供達が上げた落胆に「丁寧にするのですよ」とブラッドは菜箸を使って器用に殻を取り除く。
「此れはなぁに?」
「ああ、砂糖に指を入れてはダメです、みんなで食べるものですよ」
テーブルの上に置かれた砂糖の白雪のような美しさに指先をつん、と差し込もうとした子供へとブラッドは首を振る。つまみ食いは『とっておき』まで取っておこう。
ええ、と落胆する声音にサンティールは「それじゃあ、こっちはもっと楽しいよ?」と微笑んだ。泡立て器は順番交代。砂糖を入れるのだって『一人』ではできないから。
ボウルの中へと飛び込んでいく材料達は全て分担して子供達の手によって。
「砂糖の雪を降らせよう、バニラの雫を忍ばせよう。
ツノが立つまで泡立てて! 『せいたかのっぽ』の秘訣なんだ」
謳う様なレシピをなぞるように。子供達が一生懸命に材料を混ぜ合わせる。指先や掌に跳ね返った生地に驚いたように子供達が「わあ」と声を上げる。
咄嗟に、エプロンで拭おうとしたその仕草を窘めて「指についてしまったら服で拭かずに手を洗ってきてください」と忠告するブラッドはまるで『父』のよう。
「ふふ、君はまるでおとうさんだ」
「常識を教えているのですよ。さ、手を洗って来て下さいね」
肩を竦めた青年にサンティールは「けれど、常識は親が子に鳥が空飛ぶ事を学ぶように教わるものさ!」と微笑んだ。
人間の外面に存在する常識はブラッドにとっては調和を乱さず、不協和音を無くすための必要要素に他ならない。だが、サンティールにとっては体に染みついた自分そのものであるかのような。
人は違うから、子供達だって個性的。手際よく材料を混ぜ合わせる子が居る様に、卵を割るのも辿々しい幼児だって存在して居る。誤魔化すように衣服で手を拭う子に、つまみ食いを求める子供。そんな個性豊かな彼等はヒトガタだけど、それぞれが『立派な個性』で違っているから。
彼が言う現実と事実の輪郭よりもぼんやりとした夢のようなかんばせがぞろりと並んで笑っている。個性と、人の違いのように。そんな子供達が、全員で往く向き揃えてパンケーキを作るのだから、それはとても素敵なことであるかのようにも感じられて。
ふと、サンティールが顔を上げれば何を遣っているのだろうと興味深そうなシスター達が炊事場を覗く。子供達が此処に集まっていたからか早めに孤児院の掃除や洗濯が終わったのだろう。
「
「ねえ、ねえ、今ね、作ってるの!」
子供達が手を振れば、シスター達はおっかなびっくり柔らかに手を振り返す。子供達の弾ける笑顔は久しぶり。故に、どうしようかと惑う視線が分かりやすくて。
サンティールはシスター達の様子をまじまじと見遣ってから周りの子供達へと『悪戯』を提案するように囁いた。
「――ね、みんな見て。シスターも仲間にいれてあげよう!」
微笑み手招けば、シスター達もエプロン姿で炊事場へと並ぶ。気付けば皆揃ったことに驚いてからブラッドはそんな一時も良いだろうと頷いた。
慌てた様子でサンティールの言葉を聞いて、調理を続ける子供達は未だ未だ半人前。シスターのサポートを経てさっくりと混ざった『生地』を突こうとする少年に「まだだめだよ」と『魔法の呪文』を一つ。
「いいかい? 甘いクリームとメープルシロップがご一緒したいって言ってるんだ。
誰か一人が掛けてしまっては、とびっきりの『おいしい』が楽しめないよ! だから、今はうんっと我慢してみよう。とびっきりの美味しいのためにね!」
ぴたりと手を止めた子供達。サンティールは「それじゃあ、此れからが『本番』さ!」とフライパンをしっかり握る。火は危険だから、子供達は『お手伝い』である。
まじまじとフライパンの上に流し込まれた生地達に「もっと強い火にしなくていいの」と子供達が不思議そうに首傾ぐ。
「極々弱火、あせっちゃダメさ。ほらほら、いいにおいがしてきたよ」
じんわりと温かくなって往く生地は徐々に徐々に膨らんで行く。ぷつぷつと泡立つように生地の表面に変化が訪れた所で器用にくるりと引っくり返す。
甘い香りが漂えば子供達がきゃあきゃあと騒ぎ出してテーブルを飾り立てる。ランチョンマットにフォークとナイフ。マグカップにはココアパウダーとミルクを。
まだかなまだかなと足を揺らせて心躍らす子供達にシスターが「ほら、もうすぐですから」とセッティングできたテーブルを確認するように指さして。
着席して待っているようにとブラッドが声を掛ければ手を洗いエプロンも畳んだ子供達が楽しみだと足を揺らす。
「ふかふかのおやまをみんなで食べれば、ほら――おとなも子どもも、みんなにっこり!」
のっぽでふかふかのおやまには黄金蜜と生クリームがふんわりと。焼きたての熱がクリームを溶かして、ぽたりぽたりと更に雲の雨だれが垂れ下がる。
雲のようなふかふかな、そんなクリームにもはじめましてと歓声を上げた子供達が告げたのは食への感謝。
「もう食べて良いの?」
「勿論さ! ほうら、いただきます」
サンティールに有難うと子供達がにんまりと微笑んだ。ナイフで切り分けて口へと運ぶ子供の傍らで、大きな口をばくりと開いてまるまるを詰め込もうとする少年が栗鼠のように頬を膨らませる。
出来上がった『おやつ』はあの日見た、ふかふかとしたおやま達。栄養バランスが気になるけれど――屹度、彼女が言いたいのはそれではないのだろう。
一口食べる毎になくなるのが惜しいなら、おそらく『彼女の問い』に応える言葉はたった一つ。
「ね、ブラッド。ふふふ! おいしい?」
「とっても美味しいです」
彼がそう頷いたそれだけで。サンティールは花綻ぶように微笑んで。「でしょう」と自慢げに微笑むのだ。
黄金蜜の昼下がり。
とびきりの贈物と一緒に、届けた言葉は甘い蜜で食べてしまえ――君の体に染み渡るように。