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弾正と道雪の話~暗闇~
登場人物一覧
- 冬越 弾正の関係者
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弾正は憂鬱だった。ハムレスを倒した時の灼けつくような達成感も、過ぎ去れば祭りの後。だが平々凡々とした日常へ帰るには、あまりに甘い蜜だった。ただのイーゼラー教徒としての日々が色あせて見えるほどに。
食堂の隅に腰かけ、おなざりに置かれた観葉植物を眺めながら、弾正は失ってしまったあの人を思い返す。いいところへ行けただろうか、いや行ったに違いない。いい奴だった。今の俺はどうだ。正直に吐露してしまえば退屈な毎日、それもこれも上司が原因だ。ローレットの依頼の中でイーゼラー教徒としての功績を認められ、弾正は一つ上へ昇った。そこで待っているのは「隠者」と呼ばれる導きの人。その人のものもと、さらなる位階を昇る、はずだった。だが導きの人は姿を現さず、たまに人づてで指令を与えてくるのみだ。……自分は気にいられなかったのだろうか。弾正は自問自答する。それは自分で自分の首を真綿で絞めるに等しい行為だ。答えはなく、正解もない。ただ自己嫌悪だけが降り積もっていく不毛な思考。他の幹部が気さくに話しかけてくるだけに、よけいに。
最近は気が付くと「隠者」の事ばかり考えている。まるで恋する乙女だと弾正は自嘲した。
だけど、と腰の平蜘蛛へ手をやり、思い直す。そんな毎日でも得るものはあった。背中を預け合った戦友、支えてくれた特異運命座標たち、イーゼラー教団の仲間、そして。
「ヘイ、弾正」
強く背中を叩かれ、弾正は痛みに苦笑しつつ振り返った。
「道雪サン、力加減を考えてくれ」
「この程度で悲鳴をあげる弾正じゃないだろう。それとも背中に虫でも放りこんでやろうか?」
明るく剣呑なことを言うのは辻峰 道雪、白い翼がまぶしい飛行種の男だ。年は男盛り、練達の技術を吸収してイーゼラー教研究部員として働いている。弾正の武器である平蜘蛛を開発したのも彼だ。
「隠者様からの指令だ。ディム・ロエンの抹殺、今夜中に」
まったくさらりとおそろしいことを言ってのける男だ。だが弾正はなにかと親身になってくれる道雪にいつしか心を開くようになっていた。隠者からの指令は、いつもこんなふうに道雪が持ってくるうえに、ツーマンセルで行動するときの相方でもある。それもまた弾正が彼を頼る一因だった。
「ターゲットの情報は?」
「商家の若旦那だよ。教祖のお告げによって定められた選択だ」
「ならば俺から何も言うことはないな」
道雪が資料を机の上に広げていく。豪邸だ。当然警備の者もいるだろう。それをいかに静かに、いかに多くの命をイーゼラー様へお送りするか。弾正は思案する。
「弾正」
「なんだ道雪サン」
「変わったな」
弾正はまばたきをして道雪を見つめた。何かしただろうか。心当たりがない。
「以前は思い人で心がいっぱいで、ナイフを握る手もおぼつかなかったのに、今は敬虔なイーゼラー教徒として自分が何をなすべきか考えている」
「そう、だったな。恥ずかしい過去だ、忘れてくれ」
「いや、人は成長していくものだ。恥じることはない。この短期間によくぞそこまで……弾正、俺はすなおに君がうらやましい。俺にできることと言えばガラクタを作るのが関の山だ」
「そうはいっても。この平蜘蛛を作ってくれたのは道雪サンじゃないか。こいつはありがたい、俺にしっくりくる。ハムレスを倒せたのもこいつのおかげ、ひいては道雪サンのおかげだ」
「はは、おもはゆいな。気に入ってもらえて何よりだよ。もし改良点があったら遠慮なくいってくれ」
「……そうだな、今回の依頼は夜襲になるだろうから、消音機能がほしい。爆発音が鳴り響くと人が集まって失敗するかもしれない」
「たしかにそのとおりだ。特急で作ってみるよ」
「ああ、頼んだ」
ふたりはしっかりと握手を交わした。
弾正は思う。いい相方に恵まれたと。血しぶきの道を行く覚悟はとうにできた。黒は紅を吸い、さらに深く染まっていく。ならば推し進むのみ。だがその道筋が孤独ではないのはなんという僥倖か。彼の為にも、自分はできることをやろう。手に手を取って、深い紅の道を歩いていこう、と。
その夜、ふたりは敗走していた。結論から言うと夜襲は失敗した。
「まさかハイランクのイレギュラーズを護衛に雇っているとはな」
弾正は舌打ちする。
「すまない、俺の情報が甘かった」
「気にするな道雪サン。教祖様直々にお言葉を賜るチャンスだと考えよう」
軽口をたたきながら、弾正は激痛をこらえて地を駆ける。宵闇と衣装にまぎれて見えないが、道雪も重傷を負っているだろう。応急手当がわりに衣装の裾を縛り、血痕が残らないよう気を配る。だが追跡者は敏腕だった。
暗闇を割いて矢が飛んできた。バラバラと足元を狙うように。その一本がふくらはぎに刺さり、道雪が転倒する。
「道雪サン!」
「俺のことは置いていけ!」
「何を言う、まだ魂は朽ちていないはずだ!」
弾正は道雪を助け起こし、肩に担ぎあげた。
「ぐっ!」
背中に新たな痛みがはじける。矢が刺さったらしい。そいつを手探りで抜き取り、弾正は走り出した。
振り向いた拍子に見えた追跡者は3人、こちらは手負いで相方は片足が使えない。
(俺が道雪サンを守らなくては!)
使命感が胸に満ち溢れ、痛みを鈍くする。曲がり角へ飛び込み、物陰へ道雪を隠す。同時に壊れかけの平蜘蛛を起動した。
「よーし、いい子だ。もってくれよ?」
「弾正よすんだ! 私などはここへ置いていけ!」
「何度も同じことを言わせないでくれ道雪サン、イーゼラー様は自殺を好まない。これから俺がやるのは、いつもの
耳障りな鉱物音、機械の奏でる絶命間近の音色。それでも弾正は打って出た。曲がり角へ姿を現した追跡者へ平蜘蛛を投げつける。爆音、轟音、だがもうもうとあがる煙の中でも追跡者は平然としている。
「ヒーラーが居たか!」
平蜘蛛を手放した弾正は隠しナイフで斬りかかる。正面の男が盾でそれを受けながす。隣の男が一歩下がり、弓を引く。最後尾に居るのが回復手だろう。攻守のバランスがとれた、それもハイランクのイレギュラーズ、弾正の勝ち目は限りなくゼロに近い。だが。
「うおおおおおお!」
盾の男の脇をすり抜け、決死の一撃が弓使いの心臓へめり込んだ。弾正は吠える。内なる衝動がそうさせるのか、己を鼓舞するためか、もはやそれすらわからない。ただひとつだけ感じるのは、戦えるのは自分だけだという冷たい現実。盾の男が剣でもって斬りかかる。弾正はそれを無視して回復手の首を狙った。背中をざっくりと切り刻まれる感触。それと時を同じくして回復手の頸動脈がきざまれ、血しぶきが視界を覆う。
「あとひとつ!」
吠えたくる弾正。追撃者は悟るべきだった。手負いの獣ほど相手にしてはならないものはいないと。ナイフが盾で防がれる。勝利を確信した男が剣を大上段にかまえ、振り下ろさんとした。瞬間、けたたましく鳴り響くアラーム。足元に落ちていた平蜘蛛が、地雷代わりに爆発した。
「まったく無茶をする」
「……言ってくれるな、道雪サンが助かってよかった」
片足を引きずる道雪に背負われ、弾正はゆるい息を吐いていた。
「追跡者はイーゼラー様の元へ行けただろうか」
「そうとも」
「そうだといい」
弾正は安堵の吐息をこぼし、ゆっくりと眠りへ沈んでいった。だから気づかなかった。
(ああまったく、俺の本性を知った時の君の顔が見物だよ)
暗闇の中ひそかに『彼』が嗤ったことに。