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重なる人の情の中で
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- トキノエの関係者
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──
ここまで来るのに本当にどうなるか……油断出来ぬ状態が続いたがもう大丈夫だろう。
そう胸を撫で下ろすのは
「ふぅ……ま、あとは様子見だな……」
峠を越えたとは言えだ、容態が急変しない保証は完全ではない。自分の医者としての腕に自信が無い等とは言わないが、命運ってものはそういうものなのだと十薬はため息をつく。
これまでも安定したと思ったらふとした時に危篤状態になっていると言う事例は、多くはないにしても少ないとも言いづらい。
こう言う仕事をしていると、患者が目を覚ますまでの時間と言うものは一段と長く感じるものだと十薬は遠くを見た。
「そう言えば……ああ、もう無くなっちまっていたか」
治療の際に感じたあの毒は、あの黒々としたものは……いつの間にか十薬の腕から跡形もなく消えていた。これもまた
「はぁ……ったくよ」
「生まれに悔いた事も悔いるつもりもねぇが……徴無の
自分は八百万なんて
命の重さや差はあれど、生命は善悪等しく尊みのあるものだと思う。だからこそ、だからこそ……十薬は誰に対しても分け隔てなくその命を救い取りたいと願う。
全てを救えるなんて傲慢な事は思えないがそれでも、自分が受け持てる分だけでも救いたいと思う。それが彼の医者としての意思で、決意で、誇りで。
誰にも負ける気がしない人情的な感情なのかもしれない。……勿論、それだけでは食っていけないし、今の自分には何かが足りないとわかってはいても、だ。
心に秘める
「はぁ……」
もっと容量良ければ良かったんだろうがと、自分の性分に心底カラカラと乾いて笑う。
それでも、やっぱり……目の前で運び込まれてきたコイツを含めて、命を見捨てる選択肢は、
この十薬には存在しないのだろう。
俺もつくづく面倒な性格をしてるとため息をついたところで──
「うぅ……」
「!!」
そうこう思いを馳せていれば、どうやら男が目を覚ましたようだ。
「目が覚めたか? おっと、まだ安静にしておけよ。
お前、山で行き倒れて危ねえ所だったんだから」
十薬の言葉は理解しているようで、男は無言で頷いた。それを見てホッと一安心した十薬が、診察のため体に触れた瞬間──
「──ッッ!!!!」
「うわっ?!」
大人しかった男が驚いたように起き上がり、逃げようとした。
「ぉ、おい……どうした!? 安静にしてろって言っ……ッ!」
抵抗する男の力は凄まじく、腕力にはそれなりの自信がある十薬でも押し返されそうなほどだった。
(くそっ……こんなさっきまで気ぃ失ってた奴がひでえ力で抵抗して来やがる……!!)
だが十薬は男が逃げようとする理由は検討がついていた。十薬は看病をしている過程で、男が『八百万』であり
その体には何等かの毒の性質を持つらしい事を突き止めていたのだ。
──あの黒々としたものは『毒』、間違いない。
そしてこうも思う。きっと男は恐れているのだろう……十薬が己の『毒』で傷つくことを。
(こんな反応を見ちまうと益々思い出しちまうぜ……あいつも、こうだったからな)
突然十薬の前から消えた
「は、離せ!! 俺に触るんじゃねーよ!!」
そんな十薬とはつゆ知らず、男はこれでもかと言う程に暴れる。何としてでもここを逃げ出したい、また、また──!! そう思うと男は十薬への抵抗を緩める事が出来なかった。
……が、そこは『短気が欠点』な十薬である。
こちらの言う事を聞かず好き勝手暴れる男に──早々にキレた。
「こんの……やろ!!!!」
「?! いっっっってぇぇ!!!!」
十薬はこれでもかと言う程に力いっぱい男の頭を一発殴ってやった。
「今更だ!! お前がここに連れてこられた時から、こっちは嫌って程触ってんだよ! 俺にお前の弱っちい『毒』は効かねえんだ! 分かったら大人しくしやがれ!!」
そう十薬が怒鳴れば、男はその馬鹿デカイ声に呆気をとられた後、大人しくなった。
「そんなん、居るかよ……」
「目の前にいるじゃねぇか、薬草の八百万がよ」
「ドク、ダミ……」
漸く今ある全てを理解した男はその場に崩れ落ちた。安堵したせいか逃げる事で必死になって感じていなかった痛みやらが湧いて出てきたのだろう。だから大人しくしろって言っただろ、と十薬は男のその様子を見て呆れたように笑った。
──それから数日。
男はかなりの重傷だった為、それから……十薬との言い争いの時に無理矢理叫んだが為に傷口が開いてしまったが為、喋れるようになるにはそれ程の日数がかかった。
男を叫ばせてしまったのは自分の落ち度とは思いつつも、そこまで酷くなかった事が幸いしたなと安堵する十薬。
自分の短気な性格も直さなければと思いつつも、ついカッとなって手を出してしまうのはやはり人情派の十薬と言ったところなのだろうとは思うが。
そして精神状態も落ち着きを取り戻してきたであろう頃に、身体的回復もしてきた男に自身についていくつか質問してみれば
「なっ、お前……名も分からねえってのか!?」
「……みたいだな」
「じ、じゃあ、どこに住んでたとかも……」
「わからねえ」
自分の事を殆ど何も答えられない事が分かった。
(まぁ、訳ありとは思っていたが……)
事は結構な大きさの厄介事らしい。どうしたものかと悩みながらも、どうやらこの厄介そうな男をも十薬は見捨てるつもりはないのだろう。
(一度引き受けた以上、途中で放り投げる訳にもいかない)
十薬の性分も、それを許さなかった。
だが男はそんな十薬に反して
「……もう迷惑はかけない」
ボソリと呟き、表情もなくスッと立ち上がろうとする。
「おいおい、ここを出ていくってのか? また行き倒れるのがオチだろ。なら……あれだ、ここで俺の仕事でも手伝え」
「……は?」
男は十薬の言葉が心底理解出来ないとでも言いたげな、そんな声が出た。
「金もねえ、行く宛てもねえんじゃしょうがねえだろ!」
「だが……」
「うるせぇ! 今、俺がそう決めたんだ! お前は黙って従っとけ!!」
「随分と横暴だな……全く」
ガハハ! と笑ってみせる十薬と、
正気か。得体の知れない、しかも毒持ちを? と言いそうな顔の男。なんともまぁ、対称的な表情である。
「ついでだ、その毒との付き合い方も教えてやるよ」
「毒との……向き合い方……」
「ああ。お前……って呼ぶのもなんだし……とりあえずそうだなぁ、『太郎』でいいか? あ、本当の名を思い出したらすぐに言えよ!」
「ちょ、おいおい、マジか?!」
勝手に話を進める十薬に男は俺がた、太郎……? と溜め息を零して呟く。
「……せんせえ、ものずきって言われねえか」
「ガハハハ! よく言われるよ!」
「だろうな!!」
そんな十薬の大笑いを見て
男はまた呆気に取られ──初めて笑った。
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──
────
「おい!!」
普段静かな十薬の診療所に突然の怒号が響き渡る。
「なんだ? 随分な挨拶だな、太郎」
「もうその名前で呼ぶんじゃねーよ!!」
それは現在の豊穣でのある日。あの
あの後十薬は差出人のわからない厚い封筒を
それを受けて遥々豊穣へ飛んできたのは……あの行き倒れていた男、太郎こと『特異運命座標』トキノエ(p3p009181)なのであった。
「良いじゃねぇか、呼称ってやつだ、ガハハ!」
「呼ぶなっつってんだよ!! あとなぁ! 人の好意を突き返してくんじゃねえこの頑固爺!!」
ガハハと笑う十薬にトキノエは思いっきり、
「だから要らねえっつってんだろ! これも投げつけてくるんじゃねえ!!」
「うるせえ!! 黙って受け取っとけよ!!」
「ったく、要らねえって何度も……あ!? なんだその傷!! また喧嘩しやがったな!!」
「ゲッ!! ちっげーよ!! ただのかすり傷だ!!」
二人の子供じみた言い争いはどんどんエスカレートしていく。そんな中で、その光景を十薬の元で働く数人の見習い達は
(またやってるよあの二人……)
少々呆れた様子で見ていたのは言うまでもあるまい。
「……なぁ、相変わらずかよ」
「あ? まぁな、そう変わらねえよ」
「それもそうか」
一頻り言い合った二人。息が切れる程に激しく言い争っていたが、今は十薬がトキノエの手当をし、彼もそれに大人しくしている。
「その喧嘩っ早い性格はどうにかした方がいいんじゃねえか?」
「頑固爺には言われたかねえな!」
「言いやがる。全く……親の顔が見てみてえところだ」
「ハッ! まだ思い出せねえからな!」
「そうか……」
「……急にしおらしくすんじゃねえよ。……全く」
この十年、決して短いとは言い難い時の中でも、彼の記憶は今も戻っていないらしい。
「身体的には異常はなかったんだがな……。あとは精神面か、はたまた……誰かの仕業?」
「何を考えてもキリはないだろ、手がかりすらもねえしなあ」
「ま、それもそうなんだがな」
トキノエの事は十年経った今でもどうにも世話を焼いてしまう十薬がいる。どんなに馬鹿をやらかしてきても、だ。
「……さあて、そろそろ出るぜ。あ、これは置いていくからな」
「要らねえっつってんだろ!!」
そこで再び言い争いをする二人のその様は、さながら のようだった。
おまけSS『おまけSS『薬毒』』
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それはもう何年、何十年前の話になるだろうか。
アイツはいつも酷く怯えたような表情隠すように微笑みを浮かべていた。
それも無理もねえ話だ。アイツは毒の
けれど、
何人もの命を救ってきた彼であっても、そんな一人の女性の心を救えなかったのかと思うと、いつもの豪快さは少しだけ影を潜める。
「今は、どうしてるんだかなあ……」
誰に向けたものでもない独り言がポツリと零れる。急にいなくなってしまった彼女は何を思っていたのだろう。
きっと彼女なりの大きな葛藤の末に選んだ道なのだろうが、それでも思わざるを得ない。
──頼ってくれよ、と。
密やかに彼女の情報を集めていたりはするが
未だその行方はわかっていない。