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廻る世界に祝福を、止まった貴方に餞を。
登場人物一覧
●平穏
季節は目まぐるしく移ろう。回言 世界(p3p007315)が混沌世界にやってきてから、幾つかの季節を過ごしたけれど、新しい発見は尽きることなく。それは世界が此処の本来の住人ではないからそう感じるのかもしれないし、或いは元々の住人ですら驚くようなこともある。
季節は夏に向かい、ほんのり暑い程度の気温の中。燦々と輝く太陽から逃れるように近くの
さて、鞄にパンパンに詰まった本に潰されていた財布を取り出し注文。選んだのはアイスココア・ホイップ増量。ついでにチョコレートケーキも追加。甘さに甘さをぶつけるこの所業、普通の人なら飽きそうな組み合わせだが、こと世界については心配ない。
何故って、甘いもの大好きだから。今この瞬間だって、ポケットを漁れば飴だのガムだのぽぽいと出てくる。これからの季節は暑くなるから、チョコレート系を持ち歩けないのが残念なくらいだ。
運ばれてきたホイップココアをまず一口飲んで、窓から外を眺める。様々な人が行き交う……お洒落な人、背の高い人、家族連れ、カップル、友人同士など……皆なにを恐れるでもなく、日常を過ごしていた。世界はそんな彼らにちょっぴり想いを馳せたりして。
「……能天気だな……」
勿論それが悪い事だとは思わない。事件に首を突っ込むのは世界のようなお人好しか、戦闘狂くらいで十分だ。多くの人は戦いなんか知らなくて良いし、何気ない、何もない、何時も通りを過ごして欲しいと思う。半面、世界のように
なぁんて思いながら、鞄から先程買った本のうち一冊を取り出す。まだ日は高い、涼しい店内で読書と洒落込むのも良いものだ。タイトルは『今に生きる』。話題の新刊、気になっていたので頁を捲る。最初の頁には一遍の詩が綴られていた。
――この世界は貴方の鼓動が止まっても絶え間なく動き、巡り、廻り続ける。
――私はそれが嬉しいのです。例え貴方がいなくとも、この世界が生き続ける限り、貴方がいた事実は消えないのですから。
――いずれ私の鼓動が止まる時も来るでしょう。でも皆さん、どうか悲しまないで。
――私は土に還り、大気に溶け、河を潤し、皆さんと共にあります。世界が廻り続ける限り、永久に。
「随分と
いきなりこう来るということは、この話は誰かが死ぬまでの話なのだろうか。
●『今に生きる』【前編】
……初めは少女の独白から始まった。二十歳を迎えられたら奇跡でしょう、と何の慰めにもならない言葉が少女の心に深く突き刺さる。病院から一歩も出られない生活、一人きりの部屋、両親は忙しく毎日は会いに来てくれない。
そんな少女は暇つぶしにと、院内の図書館に出向く。人はまばら、静かな場所だ。読書をするには丁度良い。少女は年頃の娘、言ってしまえば乙女だった。色恋の話に興味深々。そういうコーナーに向かうと、一人の男性が既にそこに居て。彼が手にしていたのは、可愛い女の子とかっこいい男性が笑い合っている表紙の本。
男性は年のころ二十歳くらい。直観的に医師の言葉が少女の脳裏を過る。私はこの歳まで生きられないんだと。少女に気付いた男性はそそくさと本を持って去って行った。少女は特に気にもせず、自分も乙女心を擽る本を探す。
数日後、本を返しに来た少女は前回見た男性が読んでいた本が戻されているのを発見した。男の人でも読むんだなぁと何となく手にしてみると、一枚の紙が挟まっている。栞かな? と思い其処を開くと、紙は手紙だった。
――これを手にした方は、きっと僕と同じ感性の持ち主でしょう。ですから、悲劇を回避する為にあえて書かせてもらいます。この本を読んだら、後悔します。
何これ、と少女は首を傾げた。詳しい内容も書かず後悔するとだけ書かれても。少女は真相を確かめるべく、その本を借りた。それ程長くない小説だ、二日もあれば読み切れるだろう。
……結論から言えば、少女は読んだ事を後悔した。本の内容は愛し合う二人の片割れが事故で意識を失い、そのまま数十年の時が流れ――目覚めないまま逝った。そして残された片割れは後を追った。二人は言葉を交わせずとも、ずっと愛し合っていた……という話なのだが、救いがない。
少女は挟まった紙の忠言に従っておけば良かったと、紙を挟んだまま返却しに図書館へ。司書に渡す際、後ろから声を掛けられた。それはあの時の男性。
「それ、読んだんですね」
「あ、はい」
「どうでした?」
「……後悔しました」
少女の反応に満足そうに笑う男性に少しムッとすると、男性は「口直しに良い本がありますよ」と一冊の本を差し出した。それもまた乙女向けの本だったので少女は男性に尋ねる。
「男の人でもこういう本が好きなんですか?」
「はい。恋愛に憧れてて」
「……私もです」
「はは……此処にいたら出会いなんて無いですからね」
そこから少女と男性の交流が始まった――。
というところで陽も傾いてきたので、本に栞を入れて世界は家に帰る事にする。帰路、世界はこの本の続きを予想した。あの出だしからして、恐らく男性が先に死ぬのだろう。そして少女はそれでも前を向いて生きていく。作中作のように後を追ったりはしない。
愛する人の後を追う。それ自体に善悪も無いし、他者が干渉すべきことでは無いけれど、一般的に考えたらバッドエンドだと思う。だが世界はどこか「悪くないな」と想ったりもして。意思疎通が出来ずとも愛し合った二人、死ねばあの世で再会出来るかも……なんて、世界も大概である。
街の灯りが遠くに見える頃、廃村にある襤褸屋に着く。此処が世界の家。誰も来ないのに雑貨屋をしている。いや、本当に誰も来ないわけじゃない、お客は
麺を啜りつつ、世界は本を読む前に見た窓からの風景を思い出す。人々の穏やかな日を守っているのはローレットなり各国の騎士団なり様々だが、殆どの人は意識していない。戦争で困窮しているわけでも、家がなくなっただの、誰かが死んだだの……そういう事がない故に。ありていに言えば、危機感がない。
「俺も好きでこの世界に来たわけじゃないけど」
そういう奴は案外多くて、混沌世界に来てから技術や魔法めいたものを習得する者も少なくない。世界だってあのまま元の世界に居たなら、魔物と戦うことだって無かったはずだ。そんな世界が召喚されたのは、果たしてどういう意味があるのかまだ分からないけれど……ひとつ、確かなことがある。
「のらりくらりと冗長で退屈な毎日よりはマシか」
独り言。聞いているのは気紛れな精霊たちくらい。
鞄から再びあの本を取り出し(残りの本は床に積まれた本の上に乗せた)、続きを捲る……。
●『今に生きる』【後編】
少女は自分が長く生きられないことを男性に伝えた。それに対し男性は悲しまなくてもいいと言う。この混沌世界にはあらゆるものが宿っている、ひとの感情が無限であるのと同じように。少女は意味が分からなかったが、男性の言葉になんとなく頷いた。
それから数年。少女と男性の交流は続いた。恋愛とは少し違う。友情かと問われればそれもまた当てはまらないような。この関係性に名前などあるのだろうか? 少女は男性に尋ねる。にこりと笑って男性は少女に応えた。
「名前がないと不安?」
「そうじゃないよ。でも、私たちって何だろうと思って。あなたが死んだら私は悲しい。それはあなたが好きだからだと思う」
「僕も君が死んだら悲しいよ」
「じゃあ、これって愛情?」
「家族や友人が死んだって、哀しいだろう?」
「……分からない。友達、いないから」
「じゃあ、暫定で僕が友達一号になっておこうか」
「やっぱり友情なんだ」
「不満?」
「ううん。成程なぁ」
神妙な顔で頷く少女を、男性は柔らかな眼差しで見つめていた。
何年も同じ病院の図書館に通っていると、興味のある分野の本は大体読みつくしてしまう。新刊も入ってくるが、月に1回程度だ。今日は何を読もうかと悩む少女に、男性はいつぞやみたいに本を差し出した。それは哲学書のような難しい本で、普段なら手を出さないモノ。
「面白いの?」
「読んでみてのお楽しみだよ」
悪戯っぽく見えた男性の貌は、少しやつれていて。そういえば投薬が増えたと言っていた。少し心配になりながらも、またの約束をつけて互いの部屋に戻る。渡された本には色々難しいコトが書いてあったが、少女の中に印象深く残った言葉がある。
『人は皆いずれ死ぬ。遅いか早いかだけ。無駄な生と死はひとつもない。時は止まらあず、世界は廻り続ける。あなたという時が止まっても、永久に。だから安心してお逝きなさい。宙も、海も、大地も、あなたを歓迎するでしょう』
死は恐れるものでも、悲しいことでもないのだと知った。少女はこの本の感想を早く男性に伝えたくて、約束の日まで何度も読み返した。
次の約束の日。男性は何時まで待っても現れなかった。気になった少女は司書に聞いてみる。
「あの……いつもの人見かけませんでしたか?」
「あら、あなた聞いてないの? ……彼、一昨日亡くなられたわ」
「え……」
頭が真っ白になる。彼が死んだ……理解するのに時間が掛かる。司書の「大丈夫?」という声にハっとして、一礼して部屋に戻った。涙も出ない、こんなに自分は薄情だったのかと少女は枕に顔を埋めた。夕食はとても喉を通らず、次の日を迎える。なんとか朝食を食べ終えて……男性から渡された本を返しわすれている事に気付いた。今日、返しに行こうと思った矢先、面会者。親ではない、では誰? 通されたのは初老の女性。
「あなたが××さんね?」
「は、はい」
「はじめまして、◇◇の母です」
「あ……初めまして。あの、……お疲れ様でした」
こういう時なんと言えば良いのか分からなくて、少女は咄嗟に『お疲れ様』なんて言ってしまった。ご婦人は男性の親で、彼の最後の言葉を少女に伝えに来たのだと言う。
「あの子、最後にこう言ったの。『305号室の××に伝えて。僕は先に逝くけれど、君はゆっくりおいで』って」
「……」
「ふふ、あなたの話はよく聞いていたわ。あら、その本……」
「あ、これ……◇◇さんからオススメされて。今日、返しに行く心算です」
「大丈夫よ。それ、あの子の自前の本だから」
「えっ」
「昔から本が好きでねぇ。気に入った本は手垢がつくって私たちにも貸してくれなかったのに……あの子にとって、あなたは本より特別な存在だったのね」
それを聞いて、本を抱きしめる。同時に涙が溢れ出た。あの人は最期に、これを渡して逝ったのだ。自分が死んでも哀しくないように――。
それから数年後、二十歳を越えて数か月後、少女から女性になった娘は死んだ。その死に顔はまるで安心したかのような、幸福な眠りだったという……。
《終》
読了後。結局死ぬのかと思った世界だったが、不思議と清々しい気分だった。この本が伝えたいのは、死を恐れない心と、自分より大事ななにかを得た時ひとは強くなれるということだと思ったから。いずれ世界も死ぬだろう、しかし哀しいことは何もない。
「土に還り、大気に溶け、河を潤す。ねぇ?」
存外、その日が来るのが何処か楽しみのような気がする。元の居場所に戻るのか、混沌世界で没するかは分からないが、それまではこの何気ない冗長で退屈で平凡で……時々騒がしい日常を謳歌しよう。それが世界に出来る最大の娯楽だから――。