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<虚飾染鴉・下>狼殺し、猫殺し

登場人物一覧

閠(p3p006838)
真白き咎鴉
閠の関係者
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閠の関係者
→ イラスト

 ギィ、と耳障りな声を上げた扉の向こう側、寝台へ無力に沈んだであろう姿に思いを馳せ、生殺与奪をたった一言に握られて跳ねる薄く頼りない体を、苦痛に歪んだ金の瞳から溢れた涙を、喉から絞り出される掠れた音を、許しを請い縋る小さな手を余さず反芻する。
 愛しい兄への献身は文字通り身を削り、心を削り、死も選べないなら首を垂れるしかない。そんな小鳥の惨めな抵抗と服従は実に唆られ、唇に喜色が滲むのを禁じ得ない。お行儀悪く舌舐めずりまでしてしまいそうだ。
 金属の扉に指を滑らせ、仰々しい造りの錠前に彫られた荊と糸車の意匠をなぞる。除け者の魔女に呪われ、深く森の奥で王子の訪れを待って眠り続けた姫の物語に擬えたものだ。縁のあった職人から仕入れたこれによって、冷たい出口は魔術的にも閉ざされていた。
「兄のため。弟のため。互いが互いを縛って囚われてもう誰が姫やら王子やら」
 此処は鳥籠。茨の塔の最上階。愚かな大人達の玩具箱。そして——
「派手に踊り狂ってよ、可愛い可愛い俺のお人形さん?」
 ——全ては俺の掌の上だ。
 大切に仕舞い込んだあの子に触れるよう扉を撫で、名残惜しみながらも廊下を歩き出す。自由の効かない下拵えの時間もまた、遊戯には必要なスパイスだと言い聞かせて。

 少し進めば人影が二三、待機していた。名目上は次期当主の身辺警護に就いている男衆だがその警戒は逆様だ。此方に向けられた会釈もあの子の教育係という得体の知れない者へのそれだった。何処ぞの僻地へ送ってやろうかと思案しつつ、今は『私』に相応しい柔和な面を装っておく。
「ご苦労様です」
 形式的な挨拶を投げたすれ違いざま、思わずといったふうに顰められた顔に苦笑が漏れた。大方、室内から連れ帰ってきた香りが濃かったに違いない。
 高貴で甘美な、静謐で淫靡な、くらくらと恋に堕ちるように、ゆるゆると愛に溺れるように。あの子のために調香したそれを蜜蝋に練り込んだ蝋燭だ。こうして訪れる度に灯りにしたおかげですっかり染み付いている。そして、全く同じ匂いがしていた萌黄の柔らかい髪を思い出せば心臓が忙しなくなった。
 呪いも祝いも手ずから与えてやったお姫様は、騙る漆という名に違わぬこの黒髪の下に隠した本当の色を見せたならどんな顔をしてくれるだろう。想像で逸る胸いっぱいに芯まで蕩ける甘さを吸い込んだ。



「……殺してやるってさ、金色の瞳だけが叫ぶんだ。俺を『敵』だと認識しかける度に向けられるあれが好きで、本当に、散々躾けてあげたから体はもう隷属しきっているのに。今の君みたいにね」
 偽りの黒を返上し、織綾本家の次期当主の椅子に戻った『元教育係』は見えないアルバムを捲るように桔梗色の瞳を寂しげに揺らした。膝の上、今にも噛みつこうとする従順な飼い犬の視線にも面影を探しているのだろう。
「お人形らしく、余計な囀りをしないように舌と喉に術を刻んでやっても、君よりももっと活きが良くて、いじらしくて、慰めてあげたくなるくらいにお利口さんで……ああ、あの頃が一番楽しかったなぁ」



 跡継ぎ教育という名目でもって開かれるお勉強会。
 閠は昼も夜も薄暗い部屋の中、奪われた自由の代わりに与えられる『敵』の情報を鵜呑みにするしかない。
 お家のため、延いては兄のため。そう嘯けば生まれたての幼いギフトを誘導するのは簡単だった。

 障害の排除という目的でもって放たれる外の世界。
 闇から闇へと葬る毎に『敵視』の人格は研ぎ澄まされ、幼い心だけが現実から乖離していく。
 逃げ出さなかったのは愛おしい兄が家で待っていたから。足首に縄を結えるよりも効果的だった。

 現状を憂いて救い出そうとした兄の友人すら、そうと知らぬままに手にかけて、大人達の目論見通りの次期当主様は育っていく。
 いつしか心に倣って体は成長を止め、成人を迎えても痩せっぽっちの子供の形をしていたけれど。



「わたしの、ために、うばわれる命、は、ふたつも、いらない、あのこが、自由、でいられる、なら、私は」
 喧しく鳴く鎖に負けた声はまるで死に際の吐息だ。主人に命じられた沈黙を忠実に拒む体を、その意志ひとつで押し退けているのだから当然だった。恐怖に青褪めても、大半を拘束具に覆われていてもなお伝わる決意と悲哀。色濃い『兄』の顔に紫釉は不愉快を露わに舌を打った。
「そうだね。まさに誤算だったのは君だ、雪珠……どうなったか教えてやろうか」
 喜べよ、お望み通り、破綻の始まりだ。そう告げる唇はしなやかな笑みを、瞳は獲物を執拗に甚振る肉食獣に似た残虐さを湛えていた。



 自分への情で誰かが死ぬのは耐えられなかったかい?
 いつか解き放つと誓った身が枷になって擦り切れていく姿と、関わったが故に消されてしまった友人の最期が重なったんだろう?
 手遅れになってしまう前に? 誰かのために命を絶つ勇気? あまりにも盲目が過ぎる。
 正式に当主に就いた閠よりは緩かったろうけれど、厳重な監視の目を潜り抜ける智略は幼少からの跡継ぎ教育の賜物だ。皮肉だね。
 漸く完成した人形の繰り糸を手放したくなくて、老い先短い大人達は滑稽にも大慌て。
 俺は計画の頓挫が見えたから顛末を観察する方に舵を切ってたよ。
 君の死を隠蔽しようと墓は勿論、真面な弔いもされなかったんだっけ。良い気味だ。
 まぁどんな誤魔化しも無駄な足掻きさ。愛しいお兄様との数日おきの面会が閠の命綱だったんだから。



「そして、たったひとつを亡くした可哀想な弟は理解したんだ。その目に映る全てが『仇』だってね」



 敵視は仇視へ。
 憤怒、憎悪、苦痛、悲鳴、血、炎。あらゆる赤に染め上げられ、凶器を振るい、狂気に奮い、確かにそれは解放とも言えた。
 やがて、他の誰も必要としなくなった酸素を小さな当主様はゆっくりと吸い込む。
 鉄錆と熱気と焦げた臭いばかりが鼻の奥を刺し、乾いた頬に新たな一筋を上書きしていった。
 ふと感じた視線に振り向く。割れ残った姿見が、上も下もなく冷めて黒く濡れそぼった不様を映し出していた。
 滑る手から放たれた短剣が鳴かせた耳障りな破壊にも、これが最後だと思えば安堵に似た何かが流れ込む。
 ひとつひとつが意味を無くす程に転がる亡骸の中に、大切な人はいない。
 術で戒められた喉は、事ここに至って悲しみに泣き叫ぶこともできない。
 それだけは許せない、許されない。二度と囀れなくても構わない。
 閠はもう一度、刃を握った。兄の死を嘆くために。



「躊躇いなく自分の喉を掻き切ったんだ。力業にも程がある」
 瞳と同じ色に艶めく爪先が顎から首筋を撫ぜ、喉仏をかりかりと引っ掻く。つぅ、と横一文字に滑らせたのは見立てか。
「とてもとても痛かったろうに……あは。そんな筈じゃなかった、なんて顔しちゃって。ご愁傷様」
 紫釉は満足そうに肩を揺らす。覗き込んだ血色の瞳は鏡像を壊した閠と似て、けれど真逆の感情で見開かれていた。
 何もかも裏目の結末。引き寄せたのが自身の決断であれば悲しみに泣き叫ぶことこそ許されない。語られたそれが事実ではないと否定したくとも遅い。
「嘘だと思うかい? 屋敷の有様は君も見て知ってるじゃないか」
 子供を諭す優しい声音で容赦なく突き刺され、嗚咽も反論も抗う心も溢れそうになるもの全てを飲み下した。
 炭と灰ばかりのモノクロな景色も、立ち込める嫌な臭いも、忘れる訳がなかった。あの日、今の『漆』は生まれたのだ。この体の内側の奥底に黒々と燻り続け、永遠に声を亡くした怒号を吐き、燃え広がる先を執念深く求める怨念達と共に。
「雁字搦めの自己犠牲的な愛の果てに、ありったけの絶望。とんだ喜劇だね。無理矢理鎖を外したってあの子はもうひとりじゃ飛べなかったのさ」
 初めから間違えていた。生温く、幼く、自分勝手で、烏滸がましい。守っていたつもりで誰も救えない、あんなものは愛ではなく我楽多だった——認める毎に砕かれる『雪珠』の残骸は残骸らしく、内へ内へと蟠る呪いの底へ沈んでいった。

「やっぱり閠の方が遊び甲斐があったなあ……そうそう、実のところ俺が追えたのはここまででさ」
 動かなくなった漆の前髪を梳きながら紫釉が白い煙を吐く。室内に充満する深くて重い香りは家路を惑わす夜霧のようだ。
「千切られちゃったんだ、繋がりが。あの子が見たものをちゃあんと共有できるように、目にも細工をしてあってね」
 敵地へ送り出した後の監視に重宝したとは言うものの、悪趣味な観察が真の目的だったと彼を知る者には明白だ。
「滅茶苦茶に喚き散らして、自分の血に溺れて、酸欠で意識を手放す寸前にどうも外から物凄い力を掛けられたんだ。目を潰したって訳でもなく。気になって直接確認しに行ったら死体すら見つからなくて途方に暮れたものだよ。たまに思い出したように繋がる時があるから、生きてはいるみたいなんだけどねえ」
 ガタン、と扉が動いたことに紫釉は驚く素振りも見せずに振り返る。視線が合う。迷いなく、真っ直ぐと。
「寝物語には刺激が強かったかい?」
 釣り上がった唇が無音で名を紡ぐ。心臓を握り潰されるようだ。逃げなければ。後退る足が縺れる。
「探る気でいたんだろう? お生憎様、これは大勢が知ってる事実だ。ただし……巣までお持ち帰りを許したことは一度も無い、ね」
 何処かで派手な音がする。扉が閉まる。押さえていた手が滑り落ちたからだ。床に転がったからだ。天井が遠退く。打ち付けた全身が軋む。頭が痛いのに影が嗤う。
「とっくに毒は回ってたんだよ。俺の暇潰しに付き合ってもらったお礼に寿命が延びただけ」
 そうなのか。死ぬのか。嫌だな。眠いな。寒くて、暗くて——
「少し好奇心が過ぎたみたいだね……おやすみ」

「君らで遊ぶのも飽きてきちゃったし、早く見つけてあげなきゃね」
 次は何を与えてあげようか。柔らかな声音とは裏腹な、指に絡んだ黒髪が上げる悲鳴を聴く者はもう誰もいない。

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