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<虚飾染鴉・上>漆黒を騙る

登場人物一覧

閠(p3p006838)
真白き咎鴉
閠の関係者
→ イラスト

 さあ、お勉強の時間ですよ。そう語り出す男の手で揺らされる、薄暗い部屋に唯一の光。蝋燭を覆っただけの簡素な灯火に影がちらちらと踊り、それを追うでもなくただ映す鈍い金色をした瞳は、男のぬるりと甘い声に微睡むように閉ざされていく。
 嵌め殺しの窓と石壁が温もりを奪う室内には、机もなければ教本もない。地下牢と言われても違和感は無く、時折じゃらりと金属の擦れる音がするのも幻聴ではあるまい。そこに据えられた大きさばかりある寝台の上、ふたりきりの授業が始まった。



 海種の王と飛行種主体の貴族らが権力闘争を繰り広げる地、海洋王国ネオ・フロンティア。
 もっとも、自らの領域として内包する海と空を思わせる気風からか、その諍いも他所に比べれば大らかな情勢といえるもの。
 そんな王国貴族の末席に、とある飛行種の一族がおりました。
 家名を織綾(シキリョウ)といい、特別な刺繍で魔術的な加護を付与する裁縫技術で財を成した鴉の一族です。

 そこへある日、色を持たないアルビノ男児が生まれました。
 『色』で魅せるが故に自身の『黒』を誇りにしていた彼らにとって、その存在は凶兆に他なりません。
 実の両親すら「出来損ないだ」「気味が悪い」と蔑みと憐みを投げました。
 けれど、その子供は折れることなく育ち、成人と共に家を出ることで自らの手で後ろ盾すら白く塗り潰したのです。
 いっそ彩るには都合が良い、と笑って。

「色を持たないからこそ色を識り、染め上げ、織りなせるものがある」
 持ち前のセンスを武器に、彼は染物屋として一代で財を成します。
 そして、どんな宝石もくすんで見える程の見事な技術を認められ、彼もひとりの貴族として迎えられることとなりました。



「……そう、彼こそが貴方のご先祖様。名前を呼ぶことも恐れ多い白のお方、その人。今夜の課題は、織綾家の歴史で御座います」
 陶器のように艶やかな紫の瞳は笑う。栄光の始まりを言祝ぐように。行方に禍あれと呪いを吐くように。
 ぎしり、と寝台を軋ませる男の影が位置を変えた光源に合わせて伸び、覆い被さり、ふたりの輪郭が黒く混じり合う。瞼を閉じているのか、開いているのか。雀蘭に眠花、掛け布団に施された豪奢な刺繍の花々が瞬き、浮かんだ意識は次第に転がる夢の中へと溶けていく。



 さて、白のお方の成功を快く思わない者もおりました。家を出るまで散々な扱いをしてきたご実家の方々です。
 彼らは己が行いを悔い改めることもせず、そればかりか図々しくもその功績だけを掠め取ろうと「お前達分家は本家のために働け」と申し付ける始末。

 お優しい白のお方は、教えを請い集った弟子達や新しく得た家族には害が及ばぬよう、頼まれれば頼まれただけ手を貸しました。
 その努力も虚しく、彼のお人が亡くなった後も搾取は続き、本家からの抑圧は強くなっていきます。
 悲しきかな。これも運命というものか、彼の子孫達はそれに反発するように権力ばかりを求めるようになってしまいます。
 代を重ねる毎に、いつしか敵は本家だけではなく内部にも巣食い、跡目争いに闇討ちにと血腥くなっていくのでした。



「このように、没落の一途を辿るのも無理はない話でしょう?」
 くすくすと愉快そうな響きが漏れる。雇われた身である男の立場を思えば不敬だと処罰されてもおかしくはない言動だが、窓や扉は当然、壁、床、天井でさえも一切の音を外へ通さない。密談も悲鳴も嗚咽も残らず飲み込んでしまう。この部屋はそういうふうに構築されていた。
 彼の本性を知り得る者は、うつらうつらと寝ても覚めても心ここに有らずな少年だけだった。
「落ち目の鴉の悪足掻きは現代へ……続きと参りましょうか、次期当主様」



 分家と貶められ、躍起になる染物の織綾家。
 そんな折に現当主様のご長男として生まれたのが、白のお方に生写しの色を持たない子供でした。
 雪珠(セツジュ)と名付けられたこの御子を旗印に、本家と宣う者共を引き摺り下ろしてやろうと息巻くのも致し方無いこと。
 一日でも早く立派なご当主様となられますように。そう言って差し出された知識と技術と悲願とを吸い込んでなお歪まず真白い彼は、正しく先祖返り。
 沸き立つ大人達に、もうひとりの異端児を許容する余裕など残念ながらありませんでした。

 哀れ、哀れ。誰とも違う『薄緑色』をした次男はいないものとされました。
 家督争いの種にならないよう隔離され、間違っても相続に関わらないよう女児として育てられ、与えられた名は閠(ジュン)。
 意味するところは、正統ではない者。余りもの。その幽霊文字。
 哀れ、哀れ。ご先祖様の遺したものに縋るのに、彼の歩まされた道を繰り返す愚かさ。



「それこそが要因でしょうに、ねえ」
 隠すこともなく嘲る声に、刹那、揺蕩う瞳が光を宿す。
「おまえは、だれだ」
「おや。貴方の『教育係』をお忘れですか? 敵視の君」
 地を見下ろす月と刺し貫く刃の冷たさに似た金色。未だ意識は不定形なまま、舌は縺れても意志は固い。『敵視の君』と呼ばれた名の通り、目前の存在を見定めるべく自らの鋭さで幼さを殺した少年が睨め付ける。
 相対する紫は毒花のように美しく撓い、柔らかい音で目覚めた教え子を出迎えた。喉元に突きつけられる視線を意にも介さず、蝋燭の火で暖色を帯びた薄緑色の髪を掬って口付けてさえみせる。
 その指と霞みがかった思考から逃れようと振る首は弱々しく、少年は痺れる手足の代わりに言葉で抗おうとする。
「ちがう、おまえの……おまえはボクの」
「【囀るな】よ、籠の鳥」
 短く重みを伴ったそれは鍵。ひゅ、と不自然に鳴る喉に刻まれた黒翼の紋が対応する錠だ。酸素を求めて喘ぐ唇から覗く小さな舌にも同じ刻印がある。施されているのは小鳥の声を縛る魔術的な拘束だった。
「君のお父上、ご当主様から有り難くも補佐役を仰せつかったしがない魔術師の漆(シチ)。それ以上を知る必要は無い……いいね?」
 力無く踠く手を恭しく取り、撫でて囁く音色は真綿で縊るように優しく、けれど酸欠で朦朧とし始めた少年には死神の足音と同義だ。ただ望まれるように、頷いているのか痙攣しているのかもわからない震えを返した。
「そう、【良い子】だね」
 急に開いた気道を駆け上がる酸素に噎せて暴れる背中を摩り、甘く微笑む仕草が少年には懐かしくも恐ろしい。誰が齎した苦痛か忘れてはならない。遠退く視界に『敵』を焼き付けなければ、錯覚してしまう——こんな酷く歪な兄の真似事に。
「玩具箱の中で遊ばれたくないのなら、さっさと大人になるがいいよ」
 それでは、本日のお勉強はここまで。去り際のひと息で包まれる闇。そこへ翻る黒髪に見た『薄緑色』の幻影を最後に、少年の意識は今度こそ完全に途絶えた。



「……まぁ、こんなに楽しい遊び、やめさせる気なんて微塵も無いんだけどさ。まだまだこれからだ。派手に踊り狂ってよ、可愛い可愛い俺のお人形さん?」

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