PandoraPartyProject

SS詳細

木漏れ日の狭間

登場人物一覧

十夜 縁(p3p000099)
幻蒼海龍
十夜 蜻蛉(p3p002599)
暁月夜

 儚く揺れるような約束をした。
 円い窓の外、蒼穹の空から雪がちらつく部屋で貴方と約束をした。
 されど、それは強く心に刻む願いでもあったのだ。
 三日月のオルゴールと水晶の数珠を交わし。お互いの無事を祈った。
 ――絶望の青に勝ったら。
 なんて、臆病な言葉だったけれど。それだけ目の前の十夜は子供みたいに怯えていたのだろう。
 見え透いた強がりに、蜻蛉は頷く他無かったのだ。

 失う怖さ。拒絶と葛藤。
 十夜にとって絶望の青は救いだった。侵し得ない聖域なればこそ、怠惰に諦める事が出来た。
 未練を抱えながら、燻って泡沫の夢を見ていることができたのだ。
 それで、良いのだと思っていた。
 さりとて、絶望の青はそんな十夜の夢さえ浸食し暗い水底へ引きずり込む。
 何が正解だとかはどうでもいい。ただ、緩く緩く浸っていたかっただけなのに。
 ――それでも、水面に浮かぶ三日月が綺麗だったのだ。

 絶望は静寂へ。
 黒く渦巻く波は、蛍石の色合いに染まった。
 冠位と廃滅竜は特異運命座標に打ち砕かれる。
 海洋王国の宿願――絶望の青の踏破は叶った。

 十夜の首と蜻蛉の身体に掬った廃滅の呪いも消え失せた。
 心底安心したのと同時に、ほんの僅かに名残惜しさを感じると蜻蛉は己の首筋に緩く指を這わせる。
 死んでしまいたいなんて思っていなかった。そういうものではない。
 ただ、同じ戦場に立ち共に戦った、その所以。
 ひとときでも同じ呪い(きずな)があり、それが無くなってしまったことが、悲しかったのだ。
 そんな物思いを優しく包み込む陽光に蜻蛉は目を細める。
 記憶の虚から浮上した蜻蛉の視界には『泪雨』の庭が広がった。
 夏の午後。強い日差しを遮るように木陰に腰掛けた蜻蛉は、目の前で苦い顔をしている十夜を見遣る。

「ふふ、約束やよ」
「……」
 蜻蛉の声に十夜はこめかみを撫でつけるように掌で押さえた。それからどうしたものかと黒髪を掻く。
 絶望の青に打ち勝つこと。それは悲願であり叶うはずも無い願いだった。
 だからこそ、臆病な十夜は蜻蛉と『叶わない約束』をした。
 問題を先延ばしにしたと言っても良い。その時は永遠に訪れないはずだと高を括っていた。
 戦いの混乱に乗じて『死ぬ』ことがあれば、それで良いのでは無いかと十夜は思っていた。そうすれば、蜻蛉は自分という枷から解放される。自由に歩いて行ける。
 けれど、十夜達は廃滅病に打ち勝ち、絶望の青を開いた。
 死を薄望しながら心の奥底では生にしがみ付いた己の本能に十夜は溜息を吐く。
 なんて醜く浅ましい心なのだろう。夜空に浮かぶ三日月に優しく照らされる道理など己には無いと思えたのだ。けれど、月は傍にあって。儚く微笑むのだ。こんな自分の傍が良いのだと紡ぐのだ。
 残ったのは言い逃れ出来ぬ誓約。
 蜻蛉の微笑みに観念したように十夜はその柔らかな膝へ頭を預けた。
 形ばかりの抵抗。蜻蛉とは反対側を向いて寝そべる。
「今日は、こっち向いてくれんの?」
 あやすように肩を指先で突かれ視線を落とした。
「……こんなおっさんの顔見たって、何の得にもならねぇだろうに」
「ねぇ。そんな事言わんと、うち、寂しいわ」
 耳から頬にかけて感じる絹の肌触り。その奥に脈打つ蜻蛉の体温にむず痒さが先立つ。

 此方を向いてくれないのは分かっているのだと蜻蛉は小さく息を吸い込んだ。
 素直に此方を向いてくれるような男であれば、胸に広がる焦燥も感じなかっただろう。
 それでも今日だけは、素直な気持ちを伝えてしまおうと思っていたから。
 伝えるだけならば、罰は当たらないだろう。だって。
「約束……したでしょ」
 自らが発した言葉が思ったよりも切ない響きを伴っていたから。蜻蛉は僅かに金の瞳を伏せて十夜の言葉を待った。
 顔を向けるまで約束していないと言われればそれまで。
 けれど、けれど。期待してしまう。
 肩に乗せた指の腹に力が籠もった。
 それは僅かな時間だったのかもしれない。
 賭けだったのかもしれない。此方を向いてくれたのならば。

「泣くなよ」
「泣いてへんよ」
 寝返りを打つように視線を蜻蛉へと向ければ、目尻に浮かぶ水晶の様な涙が見えた。
 陽光を反射し触れることさえ躊躇われる程の美しさを讃えた雫は、蜻蛉の指先に弾かれ空へ舞う。
 ――生きてくれて、よかった。
 小さく漏れた蜻蛉の言葉に申し訳無さが染みた。
「重いだろ」
「ううん。大丈夫……大丈夫よ」
 なんという顔をするのだろう。只の膝枕一つで、しかもしてやっている方が、感涙を噛みしめる表情を浮かべるだなんて。其処まで切望していたのか。其処まで返す事が出来ていなかったのだろうか。

「触ってもええ?」
 指先は十夜の肩から首へと至る。
 其処に残るは締められた痕。忘れてくれるなと言うように刻まれた細い痣。
 その痣は蜻蛉にとって触れたいと思うようなものでは無いはずなのに、どうしてだと問うような視線を十夜は寄越す。この痣は十夜にとっての未練だ。その証だ。触れられたく無い部分だろう。
 だからこそ、蜻蛉は触ってもいいかと問う。
 触れられたくは無い部分を触れさせてくれるのか。それ程までに自分に信頼を置いてくれているのか。
 少しだけ試すような、意地悪な問いかけだったのかもしれない。
 けれど、それぐらい許されるのではないかという甘えもあった。期待した。
 どうかどうか。頷いてはくれないだろうか。

「……また呪われちまっても知らねぇぞ」
 十夜の憎まれ口にぱちりと瞼を瞬かせた。同時に嬉しさが指先から駆け上がる。
 触らせたくない未練の証、消えない罪を触れさせることは、きっとお互いにとって特別な事だから。
「珍しいわぁ、素直に触らせてくれるやなんて」
「やっぱ、やめるか」
「冗談よ。嬉しいわぁ」
 他愛の無いやり取りが、今は震える程嬉しい。
 生きているからこそ交わせる言葉の数々。宝石の様に煌めく思い出の栞。
 蜻蛉の金瞳と十夜の緑瞳が交わり溶け合う。
 少し痩せただろうかと十夜は蜻蛉の白い頬へ視線を上げた。
 心労というには余りにも大きい心の波があったのだろう。
 それを引き起こしたのは自分に責がある。
 されど、今後もそういったことが無いとは言い切れない。
「なあ、今の内だと……」
「今日は、よう喋るね」
 十夜の次句を遮るように蜻蛉は上半身を屈め距離を詰める。
 流れる射干玉の黒髪と耳朶を擽る息づかいに十夜の心臓が跳ねた。
 首筋の痣の上を指の腹が撫でて行くのに合わせ汗が滲む。
 喉がカラカラに乾いて身動きを取ることさえ儘ならない。
 思ったよりも近くに感じる吐息と指先の感触に、十夜は耐えきれず手の平で己の目を覆った。
「……勘弁してくれ」
「何をよ。膝枕は約束やったやろ?」
「あのなぁ」
 今日この時ばかりは、敵わないのだと十夜は頬を真っ赤に染めて小さく呟く。
 耳まで染まる十夜の頬をつついて蜻蛉は微笑んだ。

 絶望の青を共に越え。
 罪の証を抱えても尚、傍に居て欲しいと願う心は儚く尊いものだろう。
 今はただ、膝の上に大人しく乗せられた重みに満たされるのだ。

 遠く、近く、波の音が聞こえる気がする――
 約束の場所は陽光の木陰。二人だけの忘れ得ない時間。
 青き空と緑揺れる庭に幸せの一雫が揺らいで落ちた。

  • 木漏れ日の狭間完了
  • GM名もみじ
  • 種別SS
  • 納品日2021年04月18日
  • ・十夜 縁(p3p000099
    ・十夜 蜻蛉(p3p002599

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