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計画的先行
登場人物一覧
●彼が兄であるならば
彼が兄であるならば。弟の怪我を気に病むのも致し方ないことだ。
彼が兄であるならば。弟の怪我が己のせいであると悔いるのも納得だ。
彼が――陽往が、兄であるならば。
善吉にとって陽往は最早孫も同然。血の繋がりも無ければ、これといった共通点もない。ただ同じ空の下に居て、ただ同じ釜の飯を食う。それだけ。
たった、それだけ。
それだけのことだ。言い切ってしまわれたらその通りだというしかない。ただ、善吉にとっては違うのだ。
えにし。幾多の種族が、人々が家庭を持ち、友がいて、仲間がいて。そんな家族の輪とは別に、共にいて、同じ食事を囲めるのは素晴らしいことなのだと。長年食事屋を続けてきた善吉だからこそ生まれた考え方だ。
仕事人間だと言われればそうだろう。家庭がないからこそ生まれた考え方だと言われたらそうかもしれない。彼はひとり身だ。多くは語らないが、真那が店にいる間、妻や子と思しき人物が彼の元に現れることはなかったからだ。
「のう、陽往」
「なんだ?」
早起きの二人。午前六時。まだ、空は白い。
「今日は仕込みをしようと思うておるのじゃがな」
「おー」
「弟妹も連れてこい」
「はぁ!?」
「何? ハルのきょうだい連れて来たらいいん?」
上から降ってきたのは真那の声。階段から身を乗り出した真那に善吉はにかっと微笑む。
「そうじゃ、真那は物分かりがいいのう。朝ごはんサービスじゃ」
「ほんま!? やったー!!」
「あっずりいぞ!! じゃなくて、な、なんでだよ」
朝の食卓。見慣れぬ天井。土地の香り。
普段とは違う柔軟剤の布団。蛇口をひねったときの水の温度。すべてが違うように思えた。
持ってきた米は一日持つかわからないがまた取りに行けばいいだろう。とりあえずは腹ごしらえをしっかりすることからだ。
早朝、真那が眠っている間に、善吉は陽往に村を案内してもらっていた。村というには少し大きくて、町がいいところだろうか。いくつか店もあるし、野菜も肉も魚もちゃんと店が売っている。自警団があるとは聞いていたが、しっかりとした住まいや文化、暮らし方があるのだと、善吉は年甲斐もなく学んだ。
陽往は早朝から善吉を目の届く範囲に置いておけばいいと考えていたようだがそう上手くは行かせないのが年の功だ。真那に事前に話は通してあったし、真那は即答で首を縦に振った。勿論、食べ物につられたのだが。
「なんでって、そりゃ、人手は多いに越したことがないじゃろうて」
「で、でもあいつら、まだガキだから迷惑かけるぞ」
「なに、わしから見れば陽往もガキじゃ、安心せい」
「ぐっ……!!!」
バシャマ姿の二人は上の部屋に戻って身支度を始める。喜々一発の制服とエプロンだ。真那は水色、陽往は赤、善吉は深い緑。それぞれ色違いのエプロン。善吉はほつれも目立つが、二人のはまだ新品。大切に使っているのだろう、二人はそわそわとした様子で階段を下りて来た。
「あ、おっちゃん、今日はスープやな?」
「あと野菜炒め」
「お、よくわかったのう。やはりひっそりピーマンを入れるのはいかんな」
「俺の鼻舐めんな! ピーマンは結構しっかり匂いがするような気がする」
「そう? 私はわからんわ」
「えー、そうかー?」
ささっと手伝いに入る真那と陽往。真那は米を洗い、陽往はスープを仕上げていく。泊まり込みで何度か取り組んだとはいえ、ここまで身に着けるのが早いと頼もしいし教えがいもあるというもの。善吉は微笑まし気に二人を見守った。
今日の朝ご飯はさっと野菜炒めにたまごスープ、炊き立てご飯にいくつかの漬物を添えて。真那にはご褒美にししゃもを焼いたものをサービス。
「で、さっきの続き。俺はあんまり連れて来たくないけど、まあ人手足りねえのも事実だし。いいよ」
「じゃあ私が連れてくるから、おっちゃんとハルで仕込み始めといて!」
「任せい。そうと決まればまずは朝ごはんを食べきってしまわんとな」
「おー……」
珍しく陽往は歯切れの悪い返事が多い。そんな、朝だった。
「ハルーっ! 連れて来たでー!」
「うわっ全員来たのかよ! お前らまずはエプロンつけろ、あと……ああもう、まずは手洗うぞ!」
「「はぁーい!」」
全部で八人、大家族なのが手に取るようにわかる。
並ばせて石鹸をプッシュしてあげる陽往の姿は普段見せる幼い少年ではなく、しっかりとした『おにいちゃん』の姿。真那もそれをサポートする様に妹の髪の毛を結んであげる。案外頼もしいところもあるものだと、関心した善吉だった。
「さぁ、今日お前さんたちに頼みたいのは」
「「のはー??」」
きょとんとした様子で瞬き、首もそろって傾げて。
善吉は陽往を顎で使い、用意していたあるものを取り出させた。
「じゃじゃーん!」
「おじいちゃん、これなぁに?」
「これを皆に踏んでもらいたいのじゃ」
「踏むの? もったいないよー?」
「重みがかかることで味が揉みこまれるんじゃよ。お前さんたちは小柄じゃからの、ちょうどいいというわけじゃ」
「わかったー! おにいちゃんかしてー!」
半ばひったくるように、己の手から袋をとって踏み出した弟妹たち。じとー、と、何か言いたいことでもあるかのように陽往は善吉を見つめた。
「お前さんが過去のことを気にしているのはなんとなく察しておる。じゃがな、お前さんは『お兄ちゃん』だ。反省は十分したじゃろうて、次は成長した姿を見せるべきじゃろう?」
「……そう、かも」
「かもじゃなくてそうなんじゃ。ほら、行ってこい」
「お、おう!」
「あ、じゃあ私もいく!」
陽往の背中を叩いた真那。ばし、っといい音が鳴る。
「くっそ……いってーな!」
そういう陽往の顔は、今までに見たことがないくらい、清々しかった。
「それが踏めたらおやつにしようかの、頑張ってくれ」
「「はあーい!!」」
元気のいい声が、喜々一発よりもっと遠い空の下で響いた。
店も無ければろくな調理材料もない。ただ、そこには笑顔と、賑やかな声と、美味しいご飯がある。
それを望み、喜んでくれる人が居る。善吉は腕まくりをして、子供たちに振る舞うお菓子の準備をし始めた。
「おっちゃん、私も手伝う。あのパンの耳使ったラスクなら簡単に作れるし沢山一気にできるやろ?」
「おお、そうじゃな。ならそうしようかの」
「あ、俺も手伝う――」
「おにーちゃんはまだだめ!!」
「ええ!?」
試行錯誤は、続く。