PandoraPartyProject

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降りしきる雨の中で

登場人物一覧

トキノエ(p3p009181)
恨み辛みも肴にかえて
トキノエの関係者
→ イラスト



 黄泉津よもつ豊穣カムイグラ、その都市である高天京たかあまのみやこ
 そこでとある八百万ヤオヨロズが小さな診療所を営んでいた。
 その医者は十薬ジュウヤクと呼ばれ、少なくともこの周辺の地域においてはその腕の良さはお墨付き。
 ……そして
「っ……先生は命の恩人だ……こればかりで申し訳ねぇが受け取ってくれねぇか!」
「おっとお前さん、そいつはしまいな」
「……た、足りねぇか?」
「ったく違ぇよ! お前さん苦しんだろ? そんな奴から金なんか受け取れっかってんだ。俺は金が欲しくて医者やってんじゃねぇんだ」
「くっ……先生、泣かせてくれる……っ」
 十薬の言葉に感謝で感情が昂った彼は豪快に男泣きを見せ、十薬は男がそんなに派手に泣くんじゃねぇよとおかしそうに笑った。十薬は「貧しい者からは金はとらない」事を信条にしており、一部の貧しい人々からは慕われ頼りにされていたのだ。
「俺は医者の勤めを果たしただけだぜ?」
 世の中悪どい医者もいるであろうところで、十薬と言う医者はどこまでも善人で。この診療所を訪れた者を、どんな者であろうと見捨てる事はなかった。それが敵であろうが、味方であろうが……きっと。
 それが彼の信条であり、彼の医者としての正義であり……誇りでもあったのだろう。
「っと、用事はこれでいいか? 悪ぃが……その、患者を待たせていてな」
「ああ! だから出てくるのが遅かったのか、こりゃ仕事の邪魔しちまって申し訳ねぇ……」
「んなこたァ気にすんな、こっちもあんまり相手出来なくて悪ぃな……」
 患者は彼だけではない。先程並べたように、十薬はこの周辺の人々にとにかく頼りにされていたのだ。

「先生……夫は……」
「大丈夫だ奥さん、お前さんの旦那は根性あるぜ……何とか持ちこたえた」
「っ!!」
 声なくして涙を流す女性は、男泣きをしていた彼が来るよりも先に運ばれてきた患者の妻のようだった。
「ったく……どいつもこいつも無理しすぎだ。こんなに身ぃボロボロにして働いてよ……旦那が起きたらわんわん泣いてやれよ」
「っ……ほ、本当に……ほんとう、に……ありがとう、ございます……っ」
 妻は言葉を詰まらせながら十薬に感謝の言葉を述べる。彼女の夫が生死を彷徨っていたところを、十薬のその腕で救い上げてもらったのだ。
「今日は診療所で安静にしときな、良くなってから出て貰っていいからよ」
「何から何まで……」
 これが十薬と言う男の日常。彼にとって充実した日々が過ぎていった。



 ──はそんな日常の中でも、十薬が少しばかりため息を零す日のことである。

「先生」
「んあ?! んだよお前さん、いつから待ってたんだ!?」
「ついさっきですよ」
 高天京の大通りの方へ買い出しに出ていた十薬が診療所に戻ると、一人の獄人ごくとの男が玄関に座り込んでおり慌てて駆けつけた。
「足が……治りましてね」
「お、おお……そりゃあ良かった! だがまぁ……また無理はしねぇように気ぃつけてくれよ」
「わかっていますよ。……それでその、お金はないんですがせめてお礼をしたくて……ここに……先生の元に来てみたんです」
「……お前さんも律儀だな。……まぁここで立ち話もなんだろ、上がっていけよ」
「はい! ……あ!」
 ハハハと笑う十薬が獄人の彼を診療所へ入るよう促すと、彼は何かを思い出したかのように懐から茶封筒を取り出し、それを十薬へ差し出した。
「他にも先生に会いにきた人がいて、これを渡してほしいと……」
 差出人の名前が無い封筒を受け取った十薬は封筒の中身を見てため息をついた。
「要らねぇっつってんのに……」
 中に入っていたのは、いくらかのお金。こんな十薬のため息の元になるような事をするのは大概いつもしか居ないと、十薬は相手の顔に見当がついていた。
「……お知り合いの方でしたか?」
 引き停めればよかったか? と十薬のため息に獄人の彼はこちらの表情を覗き込み、十薬は苦しげに笑うことしか出来ない。
「もう十年の付き合いなんだが、頑固なやつでな。……俺にの薬代を払おうとしてくる」
「あの時……ですか」
(今じゃ神使しんし……あいや、あっちの言葉では確か特異運命座標いれぎゅらーず、とか言うんだったか……十年は長いな)
 獄人の彼が不思議そうな表情を浮かべている中、十薬は封筒を見ながら思い出していた。

 十年前、今は『特異運命座標』トキノエ(p3p009181)と名乗っている男と出会った日のことを。

「何、ちぃとばかし長ぇ話なんだ。聞いても楽しかねぇぞ?」
「……楽しいかは別として、先生のその少し懐かしそうな顔を見てたら気になってきてしまいまして」
「俺の過去なんざ大したこたァねぇんだけどなァ?」
「じゃ、まぁ……いつか聞かせて下さいね」
「……まぁ、いつかな」
 これ以上つついても何も無いと思ったのか、獄人の彼はそれ以上深入りをすることをやめた。
 十薬は獄人の彼のその気遣いに心底安堵する。

 本当に大したことはないんだ。
 人に言えるほど軽い話かどうかは別であれど。
(……あの日は確かよくよく雨後降っていたんだったか……)
 客人の相手をしながら、十薬は記憶の扉に手をかけ始めそのまま遠くを見るように思いを寄せた。





 ──十年前。
 豊穣、高天京の貧乏医者とは当時の十薬のことを指したであろう。その頃の十薬は今と比べれば腕もそこそこ良い程度。
 ……何よりも当時「医者はお金がかかる」と言う印象からか、十薬が営むこの診療所だけに限らず、医療関係の建物に近づく者は今よりは少なかっただろう。
「……こんなんじゃあ何の為にここに居るのか……」
 十薬の人を助けたいと言う気持ちはその当時から……いや、それよりも前から存在はしていたが
 人々に頼られない日々に心を燻らせていた。
 ……ああ、きっとその辺で困ってるやつは居るだろうに。医者に出すお金も生み出せないからと、自分の健康を切り捨ててしまわれる現状に、十薬は日々酷くため息をついていたものだ。
 そこへ拍車をかけるように悪どい医者がいるという噂。当時の十薬は随分に頭を悩ませたものだとこれを振り返る。
 だが時代は変わるのだ、こうして気楽に振り返られるほどには……この十年は豊穣全体が変わるほどの長い年月だった。
 ──と言っても、豊穣がいい方向に変わったのは去年の暮れ頃ではあるのだが。
 ……話が逸れたがとにかく、この十年と言う年月はあまりにも大きく変わった長い時間だったのだ。

「先生! 先生はいらっしゃいますか!」
 そんな情勢のある日。その日は……酷く土砂降りで。真っ暗な夜中に聞こえてきた緊迫とした声に十薬はただことでは無いと飛び起き慌てて診療所の扉を開けた。
「先生、先生! 夜分遅く申し訳ありません。どうかお助けください!」
「お、お前さんら、ずぶ濡れじゃねえか! 早く中へ入んな!」
 扉を開けた先には顔見知りの夫婦が焦った様子で立っており、夫の背中には誰かが背負われていた。そのまま夫婦を中に入れて、温まるよう火鉢の傍へと促すが……
「先生! この方を……どうか助けてください!」
「仕事を終えて帰る途中、山で倒れておりました」
「息はしているみたいなんですが、揺さぶっても目を覚まさなくて……」
 夫婦は十薬にそう訴えた。
 背負われていた男は、確かに死んでいるようにぴくりとも動かなかった。
 どこで、どれほどの間さまよっていたのか、泥と垢に塗れ、全身が浅黒くなっていた。
「……っ、最前は尽くす!」
 十薬はそれでも二つ返事で治療を引き受けた。この男がどこの誰かと言う情報は彼にとっては最早些細なことで、男が十薬にとって患者である限り、彼の治療の手は止めることなど出来ないだろう。
 十薬は早速医療道具、薬品を揃え始め治療の準備をし始めたのだった。

「お前さんたちも、雨が止むまでここにいるように──」
「子供が家で待っておりますので……」
「……そうだったのか、それは仕方ねえな……んじゃあガキん傍いてやんな。だが……呉々も気ぃつけて帰ってくれよ」
 近年稀に見ない土砂降りの中、夫婦は帰ると言う。だが子供がいるんじゃ仕方がない、十薬としてはそんな夫婦のことも心配だったのだ。だがまずはうむ……と、この男の容態を細かく確かめることに専念することにした。
 患者の身体に触らないよう静かに座り覗き込む。小さな傷はいくつもあったが、幸い致命傷になるような怪我や病の特徴は見られない。栄養失調と体温の低下をどうにかできれば……よしよし。
「……はぁ、あとはこいつの体力次第だな」
 全く……こんな状態で何があったってんだ。こんな激しく雨音を鳴らす天気の中で、この男は山で倒れていたって言う。あの夫婦たちに見つけられなかったらこの男の命は既にこの世にはなかったかもしれない。まさに九死に一生とはこういうことを言うのだろうと十薬はつくづく思ったものだ。
 こうした命の危機に面する患者を診るのは初めてではなかったが、やはり他の治療と違って緊迫感が強く十薬と言えども疲労を感じてしまうものだ。
「ま、まだ油断ならねぇが……さて」
 この男は返って来るだろうか? いや信じてはいる。十薬はいつだって患者が死から返って来るのを信じてはいるのだが……どうにもこうにも。やはりまだこの男にこれから何が起こるかわからないのだ。
「ん?」
 男の脈を取った自分の手の些細な違和感に、十薬はふと気づいた。その違和感は遠い昔に何度か経験したもので、間違えようがない。
 これは、『毒』に直接触れた時の感覚だ。
「いや、だが毒物には触ってないはずだが……」
 触れたのは治療薬、治療道具、それから……脈を取る為に掴んだこの男腕。……と、思ったところで十薬はハッと気づいてしまう。



「って、おいおい……まさか、お前……!」

 この時の十薬の言葉の続きは
 外から嫌という程聞こえてくる激しい激しい雨音でよく聞こえなかった。

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