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満天の星空と貴方の横顔
登場人物一覧
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この世界がそんなに優しくない事を知っている。
誰かの叫び声がセンサーに反応すれば直ぐさま飛んでいくし、戦う為に存在するような鋼鐵の腕はいつだって準備が出来ている。
反面。
美味しい食べ物ができればタダで食べられたら言う事は無いし、水着が無くったって目の前に海があれば泳ぎたい。
そんな『鈍色の要塞』橘花 芽衣(p3p007119)は、寝床の上で大きく欠伸をした。
うとうと、瞼の重みを感じつつ、気持ち良い風が彼女の身体を撫でていく。
いいじゃない、今日は平和な日。
ローレットの依頼も無く、この幻想という国で、僅かな安寧の時を贅沢に費やすのだ――。
――バシッ!!
「うわあ!!?」
突然芽衣は飛び起きた。
顔面を雑誌のようなもので叩かれ、その痛みを感じる前に視界に映ったのは茶髪でロングドレスのようなメイド服を来た女であった。
見た目の年齢は芽衣より年下っぽいが、どこかしっかりとした雰囲気を持つ女性だ。
表情はなんだか……怒っている?
「どうしてお昼まで寝ているんです!」
「これは今から昼寝――ってそうじゃなくて、どなた!?」
そもそもこの寝床にずけずけと入ってくる精神を疑ってしまう。しかし、敵では無さそうな事は、彼女が持つ雰囲気からなんとなく察していた。
「私は昨日ギルドに入隊した、リズと申します。芽衣先輩の事は知っているので自己紹介しなくて大丈夫です」
「リズちゃん」
「芽衣様の日ごろの生活がヤバイとお聞きしたいので、参じました」
「ヤバイ」
「それで来てみたらこんないいお時間に寝てるじゃないですか」
「寝てた」
「ほら両腕や、ああっ、お身体の金属がこんなにも熱帯びてますよ……っ! 今、濡れタオル用意しますから!」
忙しく動くリズの背中を見ながら、芽衣は背伸びをした。
成程、ギルドの新人ということは自分の後輩に当たるのだろう。芽衣こそ、ギルドに入って間もない頃ではあるものの、直ぐに出来た後輩がこうもしっかりしているとぎこちない気分だ。
「確かに暑い。ってそうじゃなくて。
ほらワタシ先日ふわもこした敵……嗚呼でも可愛かったから本当は討伐したくなかったのだけど……そのふわもこに、言い方悪いけどリンチされてしまって。それで軽くパンドラ吹き飛ばしたし、疲れていたから」
「つまり体力回復、と」
「そゆこと」
「ま、まあ……そういう事なら……?」
ふむ、と納得した表情の彼女と、それから話が弾む事は無かった。
そして、次の日の同じ時間頃。
「今日も寝ているじゃないですかー!!」
「だって、今日も非番だし!」
「こうなったら明日もまた来ますからね!」
「えっ!? 息が詰まる」
「何か仰いました?」
「じゃあ、一週間だけにして」
「い、一週間~!?」
こうして芽衣の私生活を正すべく、リズの悪戦苦闘の一週間が始まるのであった。
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が、しかし。
「うっうっ、結局毎日同じような繰り返しで、先輩の私生活が正せたような気がしないです……」
「そう? ワタシは」
芽衣が言いかけた所で、二人とも足がぴたりと止まった。
此処はローレットからの依頼で訪れた洞窟である。
その最深部まで進んだ所で、今まで闇色であった風景が一気に様変わりしたのだ。
天井が開けており、直上に月と満天の星空が広がる。その月と星の明かりに反射した洞窟の滑らかな壁面が、ステンドグラスのように七色に淡く光り、まるで此の世では無いような空間が広がっているのだ。
「先輩!」
「ん? ……わあ」
リズが指さす先、洞窟の最奥は足首が水に浸る程度の浅い湖が広がっている。
恐らく奥に行くほど水位は深くなるのだろうが、その湖面には天上と同じ月と星が鏡のように映っていた。
「先輩……こんな場所があるのですね」
「うん、ちょっと――いやかなりびっくりかな」
しかしリズは湖面よりも芽衣の横顔から目が離せなくなっていた。
芽衣の長い銀色の髪が風に揺れ、降り注ぐ光がそれを照らしていたのだ。まるで、どんな宝石よりも尊い光景に思える。
その時、歌が響いた。
甲高くもこの洞窟の雰囲気に似合う美しい魔の音色が。
「せんぱ――」
深い眠りに落ちたリズが倒れかけ、芽衣は受け止めた。
「この洞窟に人を呼び喰らっていたのは、セイレーンだったんだ」
湖面から首から上を出し、じっとりと濡れた髪が顔に張り付いている。その奥から見える瞳は闇よりも暗い瞳で、多くの冒険者を喰らったであろう牙が笑っている。
「赦さない」
しかしリズが受けた眠気の呪いは芽衣をも蝕む。重た過ぎる瞳に反抗すべく、芽衣は己の頬を己の手で殴打し、口の中に広がる血の味が正気を芽衣に約束する。
先に動いたのはセイレーンだ。狙いはリズ、恐らく湖の中に引きずり込み窒息させんとするのだろう。
セイレーンが湖面から弾けるように飛び、弧を描いて空中を跳躍。
リズに襲い掛かるセイレーンの側面を芽衣は拳で吹き飛ばした。叫び声と共に洞窟の壁面にセイレーンは打ちつけられ、憎い――と芽衣を見るセイレーンの瞳。
その視界の中で異空間より鋼鐵の武具が芽衣の身体を覆っていくのが見えている。
再びセイレーンは腕の力を使って跳躍し、野獣のように伸びた両の爪で芽衣に切りかかったが――浅い!
鋼鐵の鎧に傷がついた程度で芽衣には届かない。
直後、芽衣の後方より銃声が鳴った。
その弾丸は――。
「嗚、呼……」
「リ……リズ……ちゃ……」
芽衣の装甲に穴を空け、その身体を打ち抜いている。
リズは震えた手で大型の銃器を落とした。身を強張らせ、現実を受け止められない表情を晒している。
「ち、ちが、せんぱ……」
「混乱しちゃってるんだね。私は大丈夫、そして――」
リズには見えないが、セイレーンへ向けた芽衣の表情がいつものそれとは変わった。
「お前はワタシを怒らせた」
セイレーンは生きていて初めて恐怖というものを知っただろう。
地面を蹴り、鋼鐵の鎧で思いはずの身体が風のように舞った。大上段に拳を置き、見上げてきたセイレーンの顔面目掛けて放たれる。
その拳は「全力」。
その二文字が相応しい言葉だろう。
放たれた砲弾のように疾くて重い一撃がセイレーンの身体を捕らえ、痛みを感じる間も無く木っ端へと変えた。
血飛沫飛び散る残骸に目もくれず、芽衣は震えるリズを心配して駆け寄っていく。
「せ、せん」
「大丈夫、もう終わったよ」
「私、その、あの、本当は先輩にローレットですれ違ったときに、綺麗な人だなって思って、お近づきになりなくって……だから押しかけて、なのに、なのに!」
「もういいよ、わかってる。だって私が寝てるときいつも近くでムフフって笑ってたでしょ!」
「!? な、なんで知ってるんですか!?」
「あんなに近くにいられたら寝られないもんさ!」
「ば、ばかー!」
「痛ッッ! さっきの傷が」
「ああっ、今っ、応急処置しますからー!!」
数日後。
「先輩! こっちこっち!」
「はいはいっと」
約束の一週間は過ぎたものの、芽衣とリズは再び洞窟に訪れていた。
もうあのセイレーンによる犠牲者は出なくなったが、此処はあまりにも綺麗すぎる。少しでも情報を漏らせば、恋人だらけのスポットになってしまうだろう。
だから、この洞窟は二人だけの特別な場所。
「綺麗です、先輩」
「うん。綺麗だねほんと、この景色」
「リズちゃんとの生活、楽しかったよ」
「……はい」
見上げた芽衣の横顔を、リズはいつまでも見つめていた。