SS詳細
弾丸をあなたに
登場人物一覧
●
「……いらっしゃい」
「マスターも元気そうだわ」
幻想のはずれ、とある酒場。そこにコルネリアの姿があった。
他に連れがいるわけでもなく、たった独り。慣れた素振りでカウンターの一番奥へと腰を下ろす。
「……」
そんなコルネリアへマスターから一本のボトルと2つのグラスが差し出される。もちろん注文などしてはいない。なにも言わずとも出てくるほどに繰り返された流れ。
「今年のはどう?」
「……いい出来だ」
栓を抜かれたボトルからそれぞれのグラスへと注がれるエール。それはとある酒蔵で作られたマイナーなもの。決して有名ではなく味も大して旨くはない。今のコルネリアは同じ値段でもっと旨い酒を知っている。
それでも彼はこの酒が好きだった。
「……毎年毎年律儀だな、お前さんも。そうか……もうそんな時期か……」
コルネリアが毎年同じ日にこの酒場に来るようになってからもう10年以上の年月が流れている。この日にやって来ては新作のエールを頼み、2つのグラスに注ぎ、煙草を一本だけ吸って、一杯だけ飲む。それが毎年のルーティン。
彼が死んでから毎年繰り返される儀式。煙草を吸えるようになったら煙草を吸い、酒が飲める歳になったら一杯だけ飲んだ。
――彼の名はスキーピオ。コルネリアの師匠にして初めてコルネリアが殺した男。
●
当時、見習いシスターを始めたばかりのコルネリア。育ての親を失った直後ではあるがその頃はまだ真面目に働いていた。すぐに泣き言をいう態度は確かに不真面目に見えたかもしれないが、任された仕事はきちんとこなす。
そんなコルネリアを変えたのは一つの出会いだった。
その日、孤児院の買い出しをしていたコルネリア。だが運悪く抱えた食料品を狙うチンピラに目をつけられてしまった。
「――邪魔だ」
「はぁ?」
しかしコルネリアとチンピラの間に割り込んできた一人の男。チンピラと絡まれるシスターなんぞ知ったことかと言わんばかりに我が物顔の男。
「誰だてめぇ」
「阿呆に名乗るつもりはない。もう一度だけ言う、邪魔だ」
その言葉と共に鳴り響く一つの音。目にも止まらぬ速さで男の懐から引き抜かれた銃は蒼穹へと弾丸を飛ばしていた。銃というものをこの時初めて見たコルネリアに天へ轟くそれが銃声だと知る由もない。
「ひ、ひぃ!」
「こいつやべぇ!!!」
白昼堂々と銃を抜くような輩にチンピラ風情が敵うわけもなく、コルネリアに絡んできたチンピラたちは一目散に逃げて行った。
「ごほっ、阿呆が」
懐へ銃を仕舞い、再び歩き出そうとする男だったがなにやら背中に感じたことのない視線が突き刺さる。
「おぉ……!」
「……どうした、ガキ」
生まれて初めて見た銃という武器。それはコルネリアの心を掴んで離さなかった。
銃という武器であることを望まれた強烈な音を発する武器にコルネリアは天啓の様に心惹かれた。
「か、かっこいいのだわ……!」
「銃は玩具じゃねぇぞガキ」
これに関しては男の言葉が全面的に正しい。銃なんてものは触らないに越したことはない。武器は争いの元、使わないに越したことはない。かつて彼女もそう言っていた。
それでも――あの音なら天にも届くようなあの音ならもしかしたら聞こえるかもしれない。コルネリアはそう思った。思ってしまった。
「アタシに銃の使い方を!」
「帰れ」
コルネリアの言葉を最後まで聞くこともなく、男はこの場を立ち去ってしまった。
これがコルネリアと彼女の銃の師匠となるスキーピオとの忘れられない出会い。
●
とはいえスキーピオも最初からコルネリアにあれこれ教えてくれたわけではない。
コルネリアはしつこい上に“目がよかった”。おそらくは生まれつきの才能なのだろうが毎日毎日目ざとくスキーピオを見つけ、すり寄ってくる。敵意がなさすぎるが故に放置しすぎたと後でスキーピオは後悔したが遅い。
気が付けばコルネリアがスキーピオと出会ってから一月経ち、勝手に師匠と呼ぶようになっていた。
「師匠!」
「だから師匠じゃねぇって言ってんだろうがガキ」
「うぅ……神よ。いたいけな少女を冷たくあしらう冷血漢に裁きを……」
今日も今日とてじゃれつくコルネリア。古びた十字架を取り出すとわざとらしく天を仰ぎ神に祈るふりをする。
「――っ」
「どうしたのだわ? 師匠」
「いや、お前本当にシスターだったんだなって驚いただけだ。その骨董品はどうしたんだ?」
「これは……育ての親の形見なのだわ。シスターの持っていたコレがアタシはずっと好きだった。だからこれだけはアタシがもらったのだわ」
母代わりだった彼女が昔から持っていた銀の十字架。どうやって手に入れたのかはコルネリアも知らないが彼女はずっとこれを大事にしていた。祈りを捧げる時もずっとそれを抱いていた。
そんな彼女と十字架がコルネリア昔から大好きだった。
「ガキ」
たったそれだけの言葉と共にスキーピオは小さな銃と一冊の手帳を投げ渡す。
「……師匠?」
「同じことを繰り返し言うのは好きじゃねぇ。何かあったら忘れねぇうちにそれに書いとけ。忘れたくないことも、な。それと弾は渡さねぇし、俺のいないところで撃つのもダメだ。その代わり銃は肌身離さず持って時間があれば弄繰り回せ。目を瞑ってもバラシと組み立てができる様になりゃ上出来だ。――これが全部できるっていうなら銃を教えてやる」
これまで何を言っても弟子にしてくれなかったのにどうして急に心変わりをしたのかはわからない。しかしそんなことはコルネリアにとってどうでもよかった。目の前のスキーピオに銃のことを教えてもらえる。ただその事実が嬉しかった。
「余裕なのだわ! 師匠!」
「いい返事だ」
●
スキーピオが教えてくれたのは銃の知識と戦い方だけではなかった。
傭兵としての身の振り方、金の稼ぎ方、彼の持つありとあらゆる知識をコルネリアに教えてくれた。彼の教えが書き込まれた手帳はもう数冊に及んでいた。最近ではスキーピオの傭兵としての仕事についていくことすらあった。
母親代わりのシスターはいたが父親というものをコルネリアは知らない。だからスキーピオは父親の様だと思っていた。
「やっと銃の構えも様になってきたな」
「アタシにかかればちょろいものだわ!」
「そのすぐ調子に乗る癖を直せ、ガキ」
この日もシスターとしての仕事の後、スキーピオの元で銃の鍛錬をしていたコルネリア。まだまだ教わることは多いが日々充実していた。
「アタシにはコルネリア=フライフォーゲルっていう名前がある! いい加減名前で呼ぶのだわ!」
「お前が一人前になったらな」
「師匠のアホ! バカ! えーっと……アホ!」
「語彙力なさすぎんだろ……」
日が暮れれば鍛錬も終わり。二人は揃って馴染みの酒場へと向かう。
「……いらっしゃい」
「マスター、いつものだ」
「いつものなのだわ!」
スキーピオはいつものエールを飲みながら煙草を吸う。以前に真似をして吸おうとしたらこっぴどく怒られたのでコルネリアは大人しくマスターから出されたジュースを飲んでいた。
「……ガキ、お前は人を殺す覚悟があるか?」
いつもなら黙って食事をするはずの時間。師匠は彼女と同じくらい食事のマナーにもうるさかった。しかしその静寂を破ったのはスキーピオからの問いかけだった。獣ならば既に数回経験がある。だがコルネリアに人を相手にした経験はなかった。
「銃なんてものを使う以上誰かの命を奪わずにはいられねぇ。いざって時に殺せないと死ぬのはお前だ。その覚悟がないなら――」
「……わからないのだわ。できればアタシは誰も殺したくない。でもなにもしないのも嫌なのだわ。アタシが誰かを殺すことで誰かが救われるのならきっとアタシは引き金を引くのだわ。アタシはアタシのしたいことをしたい」
スキーピオが何を言いたかったのかはコルネリアにもわかる。命の奪い合いなんてしない方がいいに決まっている。
それでも――祈りだけでは救えない人もいると知っているから。コルネリアはその人たちも救いたいから銃をとる。そう決めたのだ。
「マスター、依頼をこいつに受けさせる。あとは頼む」
「……承知しました」
コルネリアが受けた依頼はとある人物の殺害。細かな説明や弾丸の調達はマスターがしてくれた。
決行は3日後の夜。対象はその日独りになるらしい。
師匠からもらった銃に弾丸を込めながらコルネリアはその時を待つ。
●
その夜は満月だった。しかし雲に隠れて月はあまり顔を出さない。
コルネリアはターゲットが通るはずの道を見張り、物陰に隠れていた。
(覚悟を決めるのだわ、アタシ)
師匠からもらった銃とシスターの形見の十字架を胸に抱き、コルネリアは今日初めて人を殺す。その覚悟を決めた。
そう生きると決めたのは誰でもない自分自身。
「――誰だッ!」
先に向こうに気づかれてしまった。しかしコルネリアに焦りはない。月も隠れている今、相手の顔はわからないがどこにいるかくらいはわかる。
向こうからの攻撃に注意しながらコルネリアは駆け出した。
(怖い、怖い、怖い)
戦闘が始まり数分。向けられる殺気、悪意、そのすべてがコルネリアへと突き刺さる。
向こうもこちらも銃を使う。お互いに牽制しあい、殺す気で弾丸を放つ。それは当たり所が悪ければたった一発で命を奪ってしまう。
「師匠……どうして……」
向こうが気付いているかはわからない。しかしコルネリアは気づいてしまった。
声が、息遣いが、動き方が記憶の中にあるスキーピオと一致する。その事実を否定したくとも想い出と記憶がそれを許さない。
(やめて、そんな目で、アタシを見ないで。この引き金を引かせないで)
いつも暖かかった師匠の視線が今は震え上がるほどに冷たく感じる。
このまま逃げてしまえばいいのだろうか。
そうすればまた明日も師匠と笑えるのだろうか。
そんなことあり得はしないとわかっている。命を狙われているとわかっている以上相手を逃がすはずがない。そう師匠に教えられたから。
つまりここで生き残るには師匠を殺すしかない。
(嫌だ、嫌だ、嫌だ)
死にたくない。殺したくない。そんな当たり前の我が儘。木陰に身を隠し、本能と理性が鬩ぎ合う。
銃撃の音が止んだ。『銃使いと戦う時は弾切れを狙え』そう教え込まれた身体は無意識に数えていた弾数を計算し、反射的に飛び出してしまう。
此方へ向けられる銃口。しかしその弾倉にもう弾丸は残っていないはず。
コルネリアのそんな考えを余所にスキーピオは笑った。
「――ッ!」
まさか、そう思った瞬間にはもうコルネリアの指は引き金を引いていた。
放たれた銀色の弾丸はスキーピオの胸を貫き、その身体は崩れ落ちた。やはりスキーピオの弾倉は空だった。
「やるじゃねぇか……」
「師匠!!!」
緊張の糸が切れ、瞳から大粒の涙を零しながらコルネリアはスキーピオの元へと駆け寄った。抱き起し、胸の傷を抑えるが血は止まらない。
「やめろ……もう無駄だ。自分の身体のことは自分がよくわかっている。それにどうせ俺の身体はそう長くねぇ」
「やだ! 嫌だ!!!」
だんだんと弱くなっていく息遣いがスキーピオの命の灯を教えてくれる。
「マチルダに会えるかわからねぇがよろしく言っておく。じゃあな、コルネリア……」
「あ、ああ……」
溢れ出る涙が止まらない。師匠を殺したのは他ならぬ自分自身。今のこの気持ちを忘れてはいけない。コルネリアは手帳を開き、震える手で大好きで自分が殺した人の名前を書き込んだ。
残ったのは一人の少女の慟哭と手帳に書き込まれた彼の名前。
もう、少女は戻れない。
●
「マスターも人が悪いのだわ。師匠が病気で死に場所を探してたって教えてくれればよかったのに」
「……すまない。約束だった」
「謝らなくていいのよ」
スキーピオを看取った後、コルネリアは孤児院を辞め傭兵となった。師匠の病については後から知ったが自身が彼を殺したことに変わりはない。
コルネリアはコルネリアの意思で彼の命を奪ったのだ。
善人であることを辞め、悪となってでも自分の為すべきことをする。そう決めた。
救うために奪うという矛盾を抱え歩き続ける。
「じゃあマスター。また来るのだわ」
グラスに注がれたエールを飲み干し、コルネリアは酒場を後にする。
「師匠、今アタシ世界を救っているのよぉ」
これを聞いたら師匠は笑うかしら?