PandoraPartyProject

SS詳細

I know that She exists.

登場人物一覧

アクア・フィーリス(p3p006784)
妖怪奈落落とし

●After great pain, a formal feeling comes.
 毀れてしまったに幾ら優しい言葉を注いでも、只、流れ出てしまうだけなのは、そう。今、丁度彼女が手に持っている、先っぽが割れたシュガーコーンと溶けて漏れ出るジェラートの関係なんかに似ているかも識れない。
 最初からそうだったけれど、取り替えて欲しいと云うのも億劫で。べとつく手に貌を顰めながら食べ進めるのは春に慕い咲けの桜味。練り込まれた花弁と葉の塩漬けはほんのり甘塩っぱくて、其れで少し背伸びが出来た気分になる大人の味だ。
 波浪に揺られた船檣マストの尖には信天翁に小鳥やらが饒舌多弁に囀って、しおからい風に乗って届く海の男達が唄う力強く陽気な舟歌に薫る烟草の匂い、縁側ヴェランダから手を振る子供に、椅子を持ち寄って魚を捌き貝を洗う女達は手を動かすのもそこそこにお喋りに熱を上げ賑やかな海岸沿いの胸壁ゆっくり、ゆっくり歩けば麗かな陽射しを一身に浴びる猫達が屯ろしているのに行き当たって、此方の姿を認め『ミャオmeow』だなんて短く鳴いておき乍ら、太々しく退ける気配が微塵も無さそうな彼等に根負けして飛び降りて、すっかりふやけた最後の一口を飲み干した。
 澄まし色の蒼海わだつみは、心の綺麗な人が想えば屹度眩く耀く水宝玉アクアマリンが敷き詰められている様に見える筈で、きざめる波の潮沫しおなわは柔らかい真珠またまの様に映るのだろう。
 けれど、決して其れを、引いては此の世界が如何しようもなく愛せない大嫌いなわたしアクア』の眸を介して観る全ては、何時だって燻んだ鈍色で色彩に欠いている――だからか。
 目の前に立ち開かる、火酒で洗われた咽喉から出る嗄れた聲で嗤う下卑た男達にも何とも思わない。否、今迄の人生に、況してや是からの事に愛着も、執着も持てぬ少女には一層、滑稽であった。
 けれど、こう云った手合いの輩は、に違いなかった。弱そうな女子供、拳を振るい痛めつける事も売り払う事も出来て、そんな日に飲む酒は極上の味がするから。其れだけの理由。
 そして、小さな少女が『大嫌いなもの』の中で敢えて割合を示すなら、からと虐げられる事に対するが、結果として惨めな生を繋ぐ原動力たり得る程には――或いは、セロリと同じ位に大嫌いだった。

 喩えば、
 彼奴が、気に入らないからだとか。
 自分の領分を、犯されたからだとか。
 自分に持たざるものを、持っていたからだとか。
 畑を耕すのを、少し怠けていたからだとか。
 到底手に入らない、資源が持っているだとか。
 お腹が、空いたからだとか。
 あの子が、自分の好きな人を誘惑しただとか。
 傲慢pride憤怒wrath嫉妬envy怠惰sloth強欲greed暴食gluttony色欲lust
 そんな理由で人は人を傷付けるけれど、明確な対象がある。比べて、理由無き加害には被害者は避け様も無く、取り囲む者達は佚樂的で、只管に陰湿だ。咎め難い――誰しも、我が身が可愛い。自分に矛先が向かわなければ、そう。のだ。
 皆、気付かずに虐めに加担して行く恐ろしさを、彼女は判っていた。軀にも、心にも、刻まれた疵は未だ癒えず、彼女の精神はあの時の儘で停滞している。此の強い嫌悪を失くしたら、何も残らず死んでしまう、其れ位に。
 泣き叫ぶでも無く、助けを求める為に辺りを見渡すでもなく。命を乞うでも無い。そんなアクアを君悪がり乍らも男の手が捕えるより疾く――、
 もえしさる、漆黒の火風ほかぜ逆巻き。
 燃え狂い、裂かば花。
 病的に細く白い右腕が、熱量を伴わない焔に包まれ爆ぜた。彼女が纏う夜々より濃く不滲透性の炎は、一度燃え盛れば暴虐の限りを尽くし赦す事をしない。
 嗚呼!
 狂え――ただ一歩踏み出せば、意識はもう決まっている。
 歪め――ただ一歩踏み出せば、標的はもう決まっている。
 沈め――ただ一歩踏み出せば、煩瑣な事など意識にはない。
 散れ――ただ一歩踏み出せば、荒ぶる膂力が双肩に満ち。
 哭け――ただ一歩踏み出せな、燻ぶる憤怒を双肩に乗せ。
 呻け――ただ一歩踏み出せば、死の漁火を急き立てる。
 嘆け――ただ一歩踏み出した後には、其のかいなを振り下ろすだけだ。

 管轄の衛兵が駆け付けた頃にはすっかり悪党共は地面と接吻を交わし、みっともなく痛みに涙を流すばかり。
 未だご機嫌斜めな小さな英雄ヒーローの掌に飴玉キャンディを数粒載せたのを皮切りに、大人も子供もアクアを取り囲んで、幾許かのお金だとか甘味の類を代わる代わる渡して来るもので、衣嚢ポケットは歪に膨れ上がり、其れでも収まり切れずに終いにはアクアと同じ位の年頃の若い娘が編んだのだと云う葡萄の樹皮のバスケットを持たされてしまって、流石の鬱ぎの虫の何時もぽっかり虚ろに開いた口も僅か、ほんの僅かだけ緩んだ。
『嬢ちゃん、小さいのに強いんだなあ!』
『助けに入る隙も無かったよ』
『ほら、大通りのクレープ屋のチケットだよ。ホイップクリームたっぷりがお勧めよ!』
『なんの! 彼処は甘ったるいんだ、ドリンク代だって要るだろう』
『広場で紙芝居をやるそうよ』
『さっき焼いた乾蒸餅ビスケットは如何かしら?』
『あ、そうよそうよ、こっちの麺麭パンも持ってお行き!』
『おねーちゃん、ありがと!』

 ――――
 ――

 幾千と在るはずの世界の中の、此の混沌に生まれた『わたし』は有り体に云えば不幸だ。
 世界が憎いと思う。何もかもを滅茶苦茶に、跡形も無い位にぶっ壊してしまいたいなと何時だって思っているのは確かで、其れにしては自分の手は余りにもちっぽけで、地面に握りしめた拳を振り下ろした所で到底叶いっこ無くて。汚いものが見たくないから目玉を潰してしまいたくて、自分を傷付ける事もあるから軀中、何処も彼処も生傷が絶えなくて。
 其れでも衣嚢の中、体温で溶けかけた生温いチョコレエトは甘くて、食べたクレープはお店のサービスが過ぎて少し食べ難かったけど美味しかったし、チケットの半券は勲章の様でちょっとだけ誇らしくも有って、有り触れた英雄譚で謳われる英雄は実は自分だってそうで、流しの道化師に周りと一緒に手拍子を打ってみるのは楽しくて、ぐんぐんと空を飛んでいく色とりどりの風船は綺麗で、明日の朝ご飯は何時にもなく豪勢だから今から楽しみで、もう少しだけ生きてみようと云う気にするから、可笑しいの。
 春の潮鳴る夜の海、波の揺らぎにひらひら映る薄っぺらいアクアが月の光と混ざりあって蕩けていく。今は未だ頑なな貝の中。然れど暗闇の時を経たら何時か、犯し難い程に皓く美しい一粒の真珠にだって成れやしないかだなんて夢想家ロマンチシストみたいな事に仄かに浸りいて、張りの良い丸くて土耳古石ターコイズみたいな一条の流れ星には何を祈る訳でも無く見送って、湿った砂浜に足跡を残して行く。
 けれど、少女らしいひとひらの願いは必ずしも頓珍漢なものであるとは言い切れない。
 痛みから身を守る為に幾重、幾千枚と膜を張った末に彼の宝石の美しさが産まれるのだとしたら、其の構造は耐え忍んだ長い長い月日に他ならず、苦しみを克服した証明なのだから。

 ――海に染まって全てが薄青く光る、一日の終わり。
 軒先から盗んだ魚で腹を満たし睡る猫が、時折寝言の様に『ミャオmeow』と鳴いた。

  • I know that She exists.完了
  • NM名しらね葵
  • 種別SS
  • 納品日2021年03月17日
  • ・アクア・フィーリス(p3p006784

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