ＳＳ詳細
あたしが運命に選ばれたのは――
登場人物一覧
●
柔らかな気配が自分から離れる気配にダイアは目を覚ました。
コゼットのために用意したベッドはシーツはぴんとしたままで使われた形跡がない。
ランプをつけるとコゼットのカバンがなかった。
胸をよぎる嫌な予感に、ダイアは毛布を蹴飛ばし、室内履きもはかず、転がるように階段を下りる。
首を巡らせると、ダイニングの床に座り込むお母さん。その周囲に散らばった銀貨と銅貨がたくさん転がっている。
「お母さん……どうしたの？」
びくっと、お母さんは肩を跳ね上げた。肩をすぼめて、自分を抱きしめるようにして震えている。大人なのに。
「――コゼットさんがね、まだお部屋に戻ってきてないと思うの。でもね、カバンがなくってね――」
予感はあった。お母さんとコゼットさんの間で何かあったのだ。
「――出て行ったわ。出て行かせてしまったの。お母さんが」
玄関は明け放されたまま。冷たい雪交じりの夜風が吹き込んでくる。
「ダイア。お母さん、また間違えちゃった」
お母さんはとても怖がりで、少しでも怖いことがありそうなとき、必死に払いのけようとする。小さなクモ一匹に箒を振り回すのだ。
「お母さん、なんで？ このお金、何？ なんでコゼットさん出て行っちゃったの。だってさっきまであんなに楽しかったのに」
楽しい晩餐だった。ダイアのお仕事の話、コゼットさんの冒険の話。お父さんがコゼットさんの新しい靴はこんなのはどうだろうかとたくさんスケッチをした。
「――あたし、自分と同じ種類のブルーブラッドに初めて会うのです、けど――」
コゼットさんはお母さんを見て、ちょっと驚いたようだ。
「こんなに似た感じになるんです、ね」
ダイアは、その時に自分が見過ごした小さな違和感を思い出した。あの時、お母さんはちょっと目をそらしたのだ。照れたのではない。まるで、双六でゴール直前に振出しに戻るのコマにとまった時のような顔。
「コゼットさん、どうしちゃったのかな」
ダイアにはお母さんを追い詰めているという自覚があった。多分、お母さんを泣かせてしまうと思った。だけど、やっと来てくれたダイアの大事なヒトが夜に飛び出していかせたお母さんを追い詰めずにはいられなかった。
「幸せを壊さないでくれ。と、言ってしまったの」
最初、ダイアは、コゼットが危険なことをさせているとお母さんが勘違いしたのかと思った。
「なんで、コゼットさんがお母さんの幸せを壊すの。コゼットさんはずっと私に優しくしてくれて――」
「それも手段だと思ったの。そんな訳がないのよ。ダイアがイレギュラーズになったのはほんの偶然で。さっきまで本当にそう思っていたの」
「コゼットさんはいいヒトだよ。そんな、ヒトをだますヒトじゃないよ！」
「だからこそ！」
お母さんは鋭く声を上げた。
「お母さんを恨んでると思ったの」
「なんで。お母さんとコゼットさんは今日初めて会ったんでしょ……？」
ぱちぱちとダイアの頭の中でジグソーパズルのピースが組みあがっていく。
ローレットのカウンターでよく知らない職員に「二人は姉妹？」と、聞かれたのは一度や二度ではない。そもそも種族が違うのに。
お母さんとコゼットさんはとても似ていて。それは種族が同じだからで。ウサギのブルーブラッドで珍しい毛並みで。
「お母さんね。お父さんと結婚する前に赤ちゃんを産んでね、その子を置いてきたの。逃げ出したの。だって、とても辛かったから。殺されると思ったの」
カタカタとお母さんは震えている。実際、そのままとどまっていれば、毒殺かストレスかで体調を崩し、死んでいただろう。
「だからね。大きくなったその子がお母さんを捕まえに来たんだって思って――」
「待って。ねえ。待って。コゼットさんが大きくなったその子って。なんでわかるの」
話についていけない。と、ダイアはお母さんを押しとどめた。
「だって。コゼットっていう名前はお母さんがつけたんだもの。お母さん、怖かったけど聞いたの。ひょっとして、あなたは――って。頷いたの。そうですって」
お母さんの赤ちゃんなんだ。じゃあ、私のお姉さんなんだ。お姉さんだったらいいなと思ってたけど、ほんとにお姉さんなんだ。でも、何だろう。願いが叶ったのに、こんな風になるのは望んでいない。
「だから、精いっぱいできることで許してもらおうって。お母さんが出せる精一杯の――」
お金。
山村の小さな靴屋のおかみさんであるお母さんには想像もできないだろう。ダリアは思う。コゼットさんが一回簡単な仕事をすれば、お母さんが十年ためても追いつかないほどのお金が支払われるのだ。コゼットさんは、あまり多くはお話してくれないけどお金がないことがどのくらい不自由かわかっていて、どのくらいヒトを自由にするかを知っていて、その束縛から解き放たれたヒトなのだ。
「お母さん――」
バタン。と開け放したままだった扉が閉められた。ダイアが振り返るとお父さんが上着から雪を払い落としていた。
「夜馬車がまだ走っている時間でよかった。コゼットさんを送り届けてきたよ。お強いのはうかがったが危ないからね」
ダイアの目に涙が浮かんだ。たった一人でコゼットがこの家を飛び出していくことにならなくてよかった。
「オデット」
お母さんが、叱られた子供のように肩を跳ね上げた。多分、お母さんが赤ちゃんを捨てて逃げた時からずっと膿んでいた部分。
「コゼットさんは『ダイアはいい子』とほめてくれた」
コゼットはギュっと両掌を合わせて握りしめていた。と、お父さんは言う。
ダイアにはわかる。戒めていたのだ。コゼットさんは多分素手でも瞬きの間にお母さんをどうとでもできてしまう。子供のように癇癪を起して手足を振り回したら、取り返しがつかないことをわかっている。だからきっと我慢した。強くなるってそういうことだ。
「あなたと出会って、ダイアが生まれて――ダイアが１１歳になる前から、ダイアのお母さんは幸せだったんだね」
コゼットは、あふれる感情を抑え込み、声を荒げるのを我慢していたようだった。と、父は言う。
「あたしは、ローレットに入るまで幸せって知らなかった。ダイアに会った位に幸せっていうのになってもいいのかなって思えるようになって、ダイアと仲良くなって、この間のシャイネンナハトで、ダイアとお出かけして、幸せってこんな感じなんだなって――」
シャイネンナハト。とろけるくらい幸せだったシャイネンナハト。季節も変わっていないのに、それは遠い遠い日のようにダイアには思える。あの日、二人で贈り物を届け便の馬車に預けに行ったのだ。
「こんなことがあるなんて、これっぽっちも思っていなかった」
コゼットさんはそう言っていたという。
「あたしはあなたの奥さん幸せを奪う気なんて、ないし、あなたの奥さんに幸せにしてほしいとも、思ってない」
きっぱりと言って馬車に乗り込んでいった。父がそう言うのにダイアは何度もうなずいた。コゼットさん。
コゼットの母は震えていた。その手を父が握りしめていた。
ダイアはコゼットのことが知りたくて、ローレットの開示情報を閲覧したことがある。 意図せず、コゼットがどういう生い立ちでローレットにたどり着いたか知っていた。それをお母さんに話そうと思った。
●
部屋が引き払われていなくてよかった。ダイアは、カウンターに依頼を出すことまで覚悟していた。
部屋の真ん中でへたりと座り込んでいるコゼットに、ダイアはほっと小さく息をついた。世界中逃げ回られたら、きっと追いつけない。
「私のこと、嫌いになっちゃいましたか？」
「――そういう聞き方、ずるいよね」
ダイアは、すぐにコゼットを追うことはできなかった。お母さんはぐずぐずになってしまったので。
お母さんは、自分が思い違いをしていたことをその時初めてわかったのだという。置いてきた方がきっとコゼットは幸せになれる。妾腹だろうと貴族の方が絶対いいと。
いや、それが自分に都合のいい言い訳だったということと直面したのだ。「貴族」がそんなまともな神経なら、自分はこんなにも「貴族」に脅えて逃げ出したりはしなかった。
お父さんは、お母さんにコゼット宛に手紙を書くよう提案して、お母さんは、時間をかけて手紙を書いた。泣くのと書くので、泣く方が多かった。
お母さんのことは、お父さんに任せてきた。お母さんを幸せにするのはお父さんの権利だから。
村から街に向かう道中、ダイアはずっと考えていた。
今、みんな辛い。それをどうにかして、できればいつかみんなで幸せになる。その前に、まずコゼットさんを幸せにするのを一番にする。
「ダイアとお母さんが幸せな頃、人買いに売られたあたしはどうやって生きてきたと思う？ きっとビックリしちゃうだろうから言わない。ダイアに嫌われたら悲しくなるもの」
嫌いになるのと、嫌われるのはまた別の話なのだ。
「でも、きっと嫌われる。だって、ダイアはお母さんが大好きだもんね」
コゼットは、ほほ笑んだ。
「これではっきりした。ダイアの家族にとって、あたしは不幸の元、なんだね？」
コゼットさんは、私がさよならを言いに来たと思っているのかもしれない。ダイアは思った。けんか別れの方がまし。そう思っているのかもしれない。一方的に捨てられるより、戦った記憶が残るから傷の直りは早い。
「あたしが行かなければ。かわいそうだね、あんなにおびえて。わかるよ。怖いよね。あたしも親に捨てられるかもとは思ったけど、売られるとは思わなかったよ。あの時お客様が来てよかった。だって、娘のお友達が『親に売られました。お金持ちでお金に困っていた訳じゃないのに。あたしのために使ったお金を回収したかったんでしょうね』って言いだしたらきっと困る。そのくらいはわかる」
でも、もし、その話をあの場でしてたら、お母さんはあんな真似をしなかった。と、ダイアは思う――挙動不審になったと思うけど。
「コゼットさん！」
「もうダイアに関係ない。ダイアのお母さんは関わり合いにならないでって言ってた」
「そんなの、聞かなくて構いません！」
コゼットは黙った。コゼットが知っている限り、ダイアはお母さんの言いつけは守る子だった。そのダイアが。「そんなの」って言った？
「間違ったことは聞かなくていいです！」
「何言ってるの？ ダイア。色々あったからちょっと――」
コゼットの二の句をダイアは笑顔でねじ伏せた。
「お待たせしました、コゼットさん。私がコゼットさんの幸せです。コゼットさんの幸せ分をたっぷり貯めた貯蔵タンクです。これからどんどん幸せにします」
沈黙。
コゼットさんは口をつぐんで、床にぺたんと座ったままダイアを見ている。
視線がいたたまれないが、それに負けないとダイアは迷いを振り払った。
「ずっと一緒にいます。誰にも文句は言わせません」
ダイアは考えてきたことをぶちまけるようにしゃべった。
「なんで、私がイレギュラーズになったのかなって思ってましたが、ようやくわかりました。私はコゼットさんの足手まといにならないようにイレギュラーズになったんです！ 普通の幸せじゃすっごく速いコゼットさんに届かないから、私がお父さんの分もお母さんの分もお届けします。大きくなるまでお待たせしちゃってごめんなさい。運命がコゼットさんを幸せにしようとしてるんだから、私も全力で頑張ります！」
「落ち着いて。待って。ずっと一緒って何」
「ずっとはずっとです！ ねえ、おばあちゃんになっても楽しいですよ、きっと！」
「おばあちゃん」
「おばあちゃんになっても一緒です」
コゼットは、部屋に駆け込んできて、50年くらい先の未来まで楽しいという話をしている「妹」を見上げた。
「まずはですねぇ」
ダイアは、言葉を連ねる。
「デザインも決めず、足のサイズも測らず、靴を作るなんて無理ですからね。お父さん、張り切ってたのに。私、ちゃんと測り方習ってきましたから。足を出して下さい」
「何を言って――そんなの、ダイアにいいことなんかない。それじゃ、ダイアが犠牲になるようなもので――あたし、頼んでない――」
「靴、作るって約束しました」
「ダイア！」
コゼットは吠えるように声を上げた。戦場ではこんな風に声を上げて敵を屠るのだ。と、ダイアは思った。今だって、両掌を合わせるようにして握り込んで、その手の間合いにコゼットを入れないように、少しづつ座る位置をずらしている。
「お母さんが一緒だからって何でそれで私とコゼットさんが仲良くしちゃダメになるんですか。ずっとお母さんといた私がずるいからですか。いやです。お母さんと私は関係ない！」
支離滅裂だが、お母さんが一緒だからって仲良しをやめられてしまうのは、ダイアにとって理不尽だ。
「お母さんのことは気が済むまで怒って下さい。何なら、一生怒ってていいです。私も怒ってます」
「なんでダイアが怒るの」
コゼットがうめいた。大分キャパオーバーだ。帰ってきてからずっと気持ちを持て余して茫然としていたのだ。
「私がコゼットさんに幸せにしてもらったっていっぱいお手紙に書いたのに。お母さん、全然わかってない。お母さんこそ私とコゼットさんの幸せを壊そうとしたって、すっごく怒ってますよ！」
「それとこれとは話が違――」
「一緒ですよ！」
ダイアが喚いた。コゼットみたいにうまく声が出せない。
「優しくしたい大事な人に二度と会ってもらえないなんて、すっごく悲しいです」
私への気持ちを捨てないで。と、ダイアはコゼットの目の前にぺたんと座り込んだ。
暴力を振るわない様握りしめた手に、ダイアはそっと手を添えた。
じんわりとした体温にバタバタと涙があふれて、嗚咽が漏れる。
「うああん」
気が緩んだダイアが先に声を上げた。
「泣かないで」
「なかしてるのはコゼットさんですぅ！」
「ちが、ダイアが。ダイアが。こんな、来るなんて思ってなか――」
「こないわけないじゃないですか。ひどい。うあああああん！」
ビイビイとお互いにつられるようにして泣きじゃくり、泣き疲れて、そのまま床に突っ伏して寝て、起きたときには体がバキバキで。
人前に出られる気持ちになるまで三日、真っ赤に泣き腫らしたまぶたと怒鳴り合って枯れた声が元に戻るまでもう一日かかって。ようやく、ダイアはお母さんの書いた手紙をコゼットに渡した。
コゼットがそれを読んでどう思ったのかはダイアは聞かなかったが、コゼットは、足のサイズを測っていいと靴下を脱いでくれた。
結局、休暇が終わってみれば、変わったのは、ダイアがコゼットをお姉ちゃんと呼ぶようになったことくらいだ。
山奥からコゼットの新しい靴が届くまで一カ月くらいかかるという。
