PandoraPartyProject

SS詳細

思いを花に託して

登場人物一覧

レべリオ(p3p009385)
特異運命座標
レべリオの関係者
→ イラスト

 『Solo tú, puedes hacerme muy feliz!』
 青いリボンにさりげなく綴られた文字がきらきらと煌めいている。


 始まりは、数日前。
 灰色の氷空の下、声が幾つも折り重なって騒めきを成していた。「どれにしよう」燥ぐ言の葉は甘酸っぱさを伴う。温かみのある木の棚には彩り豊かな花が並んでいる。棚を巡るのは、友と共に大切な人へ贈る花を選びに来た人々。いずれも明るい表情で棚を巡り、特別な花を選んでいた。
「あ」
 ふいに一人の女子が何かを見て頬を染め、口元を手で覆いながら友の注意を促した。ねえ、見て、と。
「なあに? ……あ」
 視線の先には、スーツに身を包んだ仮面の青年がいた。青年が手袋に覆われた細い指先でつと顎を撫でる。仮面の奥に覗く涼やかな瞳は優しい色を宿していた。
「この花。この花を頂こうかな」
 落ち着いた声が決断を告げて、花が買われてゆく。潤いを秘めた艶やかな緑葉の上に君臨する華やかな花弁は姫君の纏うドレスに似て可憐にして色香も帯びている。少女が大人に変わるほんの僅かな時期を想起させる麗しさ――花言葉に思いを重ねて。
「わ、私もあの花にしようかな」
 呟いた女子の袖を友がそっと引く。
「あ、でも。でもね、あの花の花言葉って」

 青年――レべリオが選んだのは、『幸せになってください』という花言葉を持つ花だった。
(君の幸せを願っているよ)
 レベリオは包装される花に願いを籠めた。
(これはまるで儀式だな)
 と、頭の隅で思い、苦笑する。どんな儀式かというと、自分と彼女の間にひとつ線を引く儀式だ。自分が共に幸せになるのではなく、幸せになる彼女を見守り、応援する。そう定める儀式だった。
(これでいい)
 仮面の奥の瞳が伏せられる。自然と漏れる吐息は切なげで、遠目に見守る乙女たちは彼に釣られて切なくため息を零すのであった。


 そして、数日後。


 レベリオはメイヴィスの住処にいた。
(ああ、あの花は……)
 何気なく窓際に目をやれば、花がある。
 レベリオが贈った花だ。
 花は、窓から溢れる陽光を浴びて煌めいているようにレベリオには見えた。
「花、飾ってくれてるんだね」
 眩し気に目を細めて呟くと、両手で皿を抱えたメイヴィスがにこりと笑む。笑顔が可愛らしい。レベリオは思った。

 コトリと軽やかな音を伴い置いた皿には、ひとくちサイズの焼き菓子が幾つも乗っている。小さなハートのタルト型に流し込まれた生地はクーベルチュールチョコレート。上からまぶしたパウダーシュガーは粉雪のようで、まるでメイヴィス本人のように可憐だ。
「私が贈った花も、素敵でしょう?」
「ああ……そうだね」
 部屋着のメイヴィスがはにかむ。
(彼女に相応しい男はどんな男だろう?)
 思いながらレベリオはハートの菓子をつまんだ。端から食む菓子は、外側を守るタルトがサクサクとして、内側のしっとりとしたリッチな甘やかと程よく香ばしさが混ざる。甘い。だが、単に甘いだけではない。
(美味い)
 口の中に幸せが広がる。控えめに舌に甘さを加える粉雪砂糖のなんと健気なことだろう。主張しすぎることなく、けれど大切な役目をしっかりと果たしている。『彼女』なしではお菓子の魅力が半減してしまう。そう、なくてはならない存在なのだ……。
 しみじみと尊さを味わう中、主張の穏やかな野花に似た香りと共に水音も軽やかに紅茶が注がれている。純白のティーカップの内側に金色の環が煌めいて、よく冴えた透明なティーがカップの内で揺れる様がなぜか心を落ち着かせるのを感じながらレベリオは鼻筋を覆う仮面をするりと撫でた。
「とても美味だね」
 シンプルな感想に万感が籠る。メイヴィスは粉雪の妖精のように微笑んだ。そして、レベリオは自室に飾る花を思い出した。
 そう、花だ。
 花を贈った。
 すると、お返しとばかりにメイヴィスからも花が届いたのだ。愛らしい黄色い花は、やはり花言葉を秘めている。『あなたとなら幸せ』……レベリオが贈った花言葉への返事に違いなかった。ご丁寧に花を飾るリボンにメッセージ付きで、誤解のしようもなく明確に意思を伝えてくれる彼女らしい贈り物だった。

 ふわりと鼻腔を擽る紅茶の芳香に目を細め、レベリオはティーカップに口付けをした。
「ルーイヒが贈ってくれた花は、13日に届いたのよ」
「ん?」
(グラオ・クローネは14日だったか)
「そういえば、日付の指定をしなかったな」
 紅茶は口当たりが滑らかで、爽やかな渋みを口腔に広げて喉から胸にじんわりとした温かさを拡散するようだった。くすくす、と優しく空気を震わせるメイヴィス。その姿に好ましさが湧いてくる。
(なんて上品に笑うのだろう)
「本当はね、『お菓子を作るから来て』とだけ手紙を贈るつもりだったのよ。けれど花が届いたから、急遽私も返花を選んだってわけね」
「成程。返花か」
 恋の歌に歌を返すことを返歌と呼ぶ。まさに今回の花はそれであった。レベリオは紅茶をもう一口味わい、息をつく。己が好みを熟知されていると再認識せざるを得ない完ぺきな味わいだ。
(さすがだな)
 贈って終わりだと思っていたレベリオはまさに返花で意表を突かれたのだった。そして今は、彼女の部屋にいる。

「可愛い花でしょう」
「あの花か。そうだな」
 自室を飾る花を思い出す。
「雪の下で眠りの期間を経て、雪溶けと共に土の上に顔を覗かせて花を咲かせるのよ」
「白い雪の下で春を待っている生命があると思えば、雪景色を見る目も変わりそうだね」
 そうね、と笑い含みに応えてメイヴィスが紅茶を口もとに運ぶ。
「秋に葉が散って冬になる。けれど、春になればまた緑は芽吹くのだわ」
「ああ、そうだね」
 明晰なメイヴィスの楚々とした仕草は隙がないようでいてどこかいじらしく、庇護欲をそそる。軽く目に影を落とす睫毛は白く、瞳の青さをよく引き立てていた。
「ルーイヒ? 大前提として、確認するのだけれど」
 その美しい瞳にふと不安が過った気がしてレベリオは胸を突かれる思いがした。メイヴィスの唇が言葉を紡ぐ。
「私の他に、特別……大切なひとができて?」
「……何?」
 レベリオは意味を掴みかねて一瞬固まった。そして、驚いた。
「何故。君より大切な想い人が何処でどうやって出来るというんだ?」
 驚きが率直な疑問の声として発せられると、メイヴィスが心の底から安堵した様子で肩の力を抜くのがわかった。そうか、とレベリオは胸を打たれた。
「もしあの花が原因ならば、あの花は、そういう意味ではないよ。君が一番大切さ。だからこそ、幸せになってほしいと……」
「もちろん、そうだと思ったわ」
 メイヴィスが頷く。きちんと伝わっていた、とレベリオは息を吐いた。そして、若干の居心地の悪さを感じた。
「気分を害してしまったのなら、謝るよ」
「いいえ」

 ちらりとメイヴィスが窓際に目を向ける。
「花は、好きよ。素敵ね」
「喜んで貰えてよか、」
「けれど、花言葉はそのままにしておけないと思ったわね」

 少しの間沈黙が訪れた。
 沈黙は、苦にならなかった。
 そもそも、旅をしている時はメイヴィスは想いを音に変えて発する事ができなかったのだ。沈黙は2人の間に当たり前に存在していて、恐れるものではなかった。

「メイヴィスに初めて出会った時を思い出すよ」
 懐かしむ思いが胸の奥からせりあがって言葉になった。
「お礼を言う事もできなかったわね」
「声の代わりに、全身でちゃんと伝えてくれていたよ」
 そう、言葉がなかったからこそ、言葉の代わりに真実の気持ちを全身で伝えようとしているのがわかった。上っ面だけを偽り飾り、人を騙すような輩に慣れていたレベリオは、そんな彼女だからこそ信用することができて、力になりたいと思ったのだった。
「ルーイヒ、あなたは私を助けてくれたわ」
 紅茶の香りに花の香りがふんわりと混ざる。空気を優しく震わせるのは、ずっと聴いてみたいと思っていた澄んだ声だ。
「ありがとう」
「こちらこそ」

(物語は終わったんだ)
 冒険の物語は終わり、目的を達成して姫君は声を取り戻しましたとさ。
(その後も、人生は続くけどな)
 現実は終わらなかった。物語が終わり、……けれど続く。

 窓から差し込む陽光は穏やかで只管に明るい。そんな中、2人は同じお菓子とお茶を味わいながら話を進めた。時に思い出を語り、時に近況を語り、脱線しながらも共通認識として『何を話すためにいるのか』はお互い理解していたようだった。

 歓談しながらレベリオは思うのだ。「このまま未来に進めば、どうなるだろう」と。
 互いに好意を抱いていて、特別な存在だ。手を取りあい、共にいようとすればいられるだろう。何年も、何十年も。世界中でただ一人、自分が彼女の伴侶として。出来てしまう。叶えられてしまう。そんな幸福感と危機感をひしひしと感じてならないのだ。


(このまま進んでよいのだろうか)


 レベリオは自問する。手放しに自分が望むまま幸せになろうとは思えないのだ。
(彼女と一緒になる資格が俺にあるのだろうか)
「ルーイヒ?」
 メイヴィスが目を覗き込むように顔を寄せた。手を添えて、レベリオの頬を包むようにしながら。
「花言葉でお悩みかしら?」
 青い瞳が悪戯に煌めいた。
「お見通しだな」
「ええ。私もいつも悩んでいるのよ」
 白く繊細な眉がきゅっと寄せられる。2人は互いに似た苦しみを抱えているのだ。
「あなたは、私の幸せを望んでくれるのね」
「いつも」
「そして、苦しいのね」
「お互いに」
「そうね」
 透き通るような声がレベリオに囁いた。瑞々しく高い声。けれど、耳に障ることなき柔らかさがある心地よい声だ。
「同じね」
 レベリオは笑った。
「そう。そうだな。幸せになってほしい。初めて会った時からずっと、そう思っていたように思う」
「私も、ルーイヒの幸せを望むのよ」
「俺は幸せになる資格があるだろうか」
「私には、幸せになる資格がないかしら?」
「まさか」
「相手に返すのと同じ答えを自分に返すのは、私たちには難しいわね」
「そうだな」
 窓の外で小鳥が羽ばたくのがちらりと見えた。小さな、ころころまるまるとした鳥だった。風にうまく乗り、ふわりひらりと飛んでゆく。

 メイヴィスが切なく息を吐く。
「お茶は、美味しかった?」
「?」
 そんな当たり前のことを聞くのか、と思いながらレベリオは首を縦にした。
「お菓子、美味しかった?」
「ああ」
 とても。そう呟くと、メイヴィスは微笑んだ。
「ルーイヒが美味しいと思ってくれたらいいと思って、練習したのよ」
「そうだったのか」
 レベリオは瞬きをした。
「ルーイヒ、あなたは私といるのが苦痛かしら?」
「とんでもない。逆で困るぐらいだよ」
 レベリオが本音を零す。
「……幸せ」
「ん」

「あなたのその一言が、私の幸せだと理解していて?」
 頬を包む手が優しい温度を伝えてくれる。レベリオは仮面の奥の瞳を面映ゆく瞬かせた。
「ね、詩を知っているかしら」
「……どんな」
 白雪の三つ編みがゆるく揺れる。触れたい衝動に駆られながら、レベリオは雑念を払うように軽く首を振った。それをどう思ってか、メイヴィスは小鳥のように愛らしく首をかしげて続きを語りだす。
「『階段を半分降りたところに、私の座る場所があるの』」
「聞いたことがあるかもしれない」

 ふと静寂を意識した。
 温かみのある部屋の中にいる2人。壁の向こうには世界が広がっていて、沢山の人間が生きている。だというのに今はどうしようもなく2人しかいない、そんな気がしてならなかった。

 ああ、愛しい声が詩を紡ぐ。

「『これとそっくり同じ階段は、どこにだってない』」
(階段を俺も降りていた)
 レベリオは思った。

「幸せを望んでしまう、幸せを失いたくないと思ってしまう」
(それは、俺も同じだ)
「だから、花を贈ったわ」
(だから、俺も花を贈った)

 ふと頬のぬくもりが放される。近くに寄せられていた顔がそっと離れてゆく。彼女が、離れてしまう――そう感じた。
「メイヴィス」
 レベリオは手を伸ばした。離れるままにしてはいけないと背筋を何かが駆け抜けて、離れた方が良いと警鐘を鳴らす自分を心の隅に追いやって、躊躇う暇もなくどうしようもなく手が伸びていた。


(俺が)
「私の」
 泣きそうな声が耳から胸に染みてゆく。
「私の花言葉を忘れないで」

 Solo tú――、

 『あなただから・あなたこそが』

 『私を幸せにしてくれる』
 『ただひとり』

(――俺だけが)


 歌うのが好きだったと教えてくれた夜。
 悪魔と契約したのだと俯いた頬にはらりとかかった白い髪が月明かりに美しく艶めいていた。
 猛勉強したのだとはにかむ唇の淡い色付き。
 人を助けたいという意思が瞳から溢れていて、優しく凛然とした魅力に目を奪われた。
 代償を取り戻す方法を探しているのだと打ち明けてくれた時には、嬉しかったのだ。……何故?
 それは、彼女が美味しい菓子と茶を用意してくれたのと同じような心理なのだろう。
「待ってくれ」
 ――泣かないでほしいんだ。
(喜んでほしいんだ)
 他の誰でもない、『自分が』喜ばせる事ができる――『それが』幸せなんだ。

 レベリオが伸ばした手が届く。
 掴んだ手首はほっそりとしていた。手首の内側が脈打つのを手のひらに感じて、引き寄せれば肩と胸元が連動して上下している――生きている。躊躇いがちに手を肩の後ろに運び、付くか否やで一瞬動きを止める。

(良いのだろうか)
 このままでは、自分は決定的なラインを越えてしまうではないか。この期に及んで尚、そう悩む自分がいた。
(否――)
 電流が走るように全身に思い付きが駆け抜けた。
(違う)
 白い睫毛が震えるのを見て、その下で青い瞳が何かを望んでいる。望みはずっと前からはっきりと伝えられていた。
(ずっと前からラインは越えていた)
 なのに、戻ろうとしていたのだ。だから、悲しませてしまうのだ。

 レベリオの唇が空気を求めて開き、そっと言葉を探す。
「約束しよう」
 自然と突いて出た言葉はそれだった。
「約束?」
「ああ」
 迷った手を肩に置く。この道を戻ることはもうない、そう己に言い聞かせながら。

「君の花言葉を忘れない」
 仮面の下、口元を笑みに変えて手袋を填めた手がメイヴィスの手を優しく持ち上げる。
 そして、敬虔にその白い手に口づけをした。
(一緒に罪を償っていく)
 想いと共に、神聖な誓いをするように。

 一瞬、時が止まったようだった。
 音もしない。
 香りもわからない。
 けれど、手はあたたかった。自分の腹の奥から胸からとくんとくんと鼓動が落ち着かなく鳴っていた。静かに顔を上げてみれば、世界の果てまで広がるような晴れやかな蒼穹の瞳がただひとりの彼を見つめていた。
 その瞳を見て、レベリオはこの部屋の中が彼ら2人の階段なのだと思った。
 同じように荷を背負い、降りてきて、今は一緒に座って落ち着いているのだ。

PAGETOPPAGEBOTTOM