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白狐は福招く『お稲荷さん』足り得るか?
登場人物一覧
●小さな小さな、おいなりしゃん?
豊穣。どこかの参道。その石畳。
そこを、一人と一匹が歩いている。正確には、一匹が少し前を歩き、その後ろを、置いてかれまいと、何者かが距離を保ち歩いている。
ぽふぽふぽふ。てちてちてち。ぽふぽふぽふ。てちてちてち。
……彼らの足音を言葉にしたならば、こうやって表するのが妥当だろうか。
とにかく、先程から、一匹の『狐』の後ろを、ちょこんと髪を結わえた子供が、ついて歩いている。
ぴたっ、と止まってみせたなら、背後の子供も足を止め。再び歩き出したのなら、その子もまた歩き出す。先程からずっと、この繰り返しだ。
やがて、辛抱たまらず、白狐が振り向いて。
「さっきから何なんだ。ボクに何か用なのか?」
……喋った。
しかも、よく見るとその顔は、白いふわふわに紛れて糸の縫い目が見えるし、青く光を映した瞳も、よく見れば人工的なものだとわかるだろう。
つまるところ。この白狐……『春水』は、ぬいぐるみなのだ。
「おっ、おいなりしゃんがしゃべったっ!」
「こっ、こら、大きい声を出すんじゃないっ」
驚き跳ねる子供を一喝するが、そう言う春水の方も、実はビクッと身体が跳ねていた。ビックリしたのはお互い様なのだ。
「ご、ごめんなさい……」
「……で? なんでボクにくっついてきたんだ?」
すると、その子は急に俯き、口をモゴモゴと動かす。春水も聞き逃すまい、と両耳をピンと立ててはみたのだが、声が小さく聞き取れない。しかし、言葉を急かすことも先取りすることもせず、じっとその子を見つめる。
『いい? ぬいぐるみはね、こども達のお話を、じっと、しっかり聞いてあげるのが仕事だからね。嬉しいことも、悲しいことも、なんでも受け止めてあげるの』
いつしか、誰かに言われたそんな言葉が、春水の中で思い出されたからだ。しばらく待って、やっと聞き出せた言葉は。
「……ここ、どこぉ。ちちうえ、ははうえ、どこぉ?」
「……なるほど」
事情は理解した。この子は、つまり。
「わかんなくなっちゃった……」
「迷子なんだな? 仕方ないな、一緒にいてやるから泣くなって」
ずっとその子と一定の距離を保っていた春水が、自ら歩み寄る。するといきなり、春水の身体が浮き上がる。持ち上げられたのだ。
誰にと言えば、それはもちろん。
「びえええええええ……」
「あっこら、気安く触るな!」
そうは言ってみたものの、急な孤独感に襲われた子の腕は、白狐を放すことはなく、むぎゅうっと、小さな身体を、めいっぱい、親に甘えるように抱きしめる。尤も、春水も本気で逃げ出すつもりはないのだが。
……仕方ない。この子を泣かせたままにしておくのも、気分が悪い。しばらくは、好きにさせてやろう。
そこからどれだけ時が経っただろう。やっとその子は泣き止んで、先程よりずっと聞き取りやすい声で、話をしてくれた。
「で、だ。まず、お前はどこの誰なんだ? 呼ぶにも、名前が分からなきゃ困る」
「ぼ、ぼくは……『たけきよ』。『たけ』はおちちうえから、『きよ』はおははうえからとった、って、いってた」
「たけきよ、たけきよ。……武清。そうか、分かったよ」
実に豊穣『らしい』名前だ。
自分の元いた世界にも、似たような名の子供が居ただろうか。その子に愛されて、抱きしめられて、大人になって、見向きもされなくなって。
……分かっていた。仕方ない事だった。子どもの頃は愛されても、大人になる度に遠くなって、忘れられて、見離されて。けれど、その時の自分は、その背を追うことさえも、許されなかった。
「……だいじょうぶ、おいなりしゃん?」
「……何でもない。それよりボクは『おいなりしゃん』じゃないぞ。しゅんすい。『春水』だ」
「しゅんしゅい!」
「……それで良い。それで、武清。どうしてボクについてきたんだ?」
「だって、ここ、かみさまのとおりみちで。そしたらおいなりしゃんが、かみさまがとおったから。いっしょにいけば、ちちうえたちにあえるかな、って」
「……ふうん、このボクに目をつけたところは、認めてあげるよ。でも」
ぴょん、っと武清の腕から抜け出せば、春水は再び歩き出した。
「どこいくの?」
「おいで。ここのお社は、あまりに人通りが少ない。お前の父上を探すにしても、ここじゃ何もわからないだろ」
「……うんっ!」
こうして二人は、大通りを目指して歩き出した。
●
「ねえ、しゅんしゅい」
「なに」
「どうして、いま、おいなりしゃんじゃないの」
参道近くの大通り。
そこには、ちょんまげ風にちょこんと髪を結っている武清と。
狩衣のような装いの、青い瞳と白髪。何よりももふもふな狐尻尾と狐耳が特徴的な、武清よりは年上と見える少年。……つまり、人間の姿に『変化』した春水が居た。
「ここは人が多い。ボクがあのままの姿だと、お前、見失っちゃうだろ。ボクの優しさに感謝するんだぞ。……それに」
「それに?」
「さっきみたいに『お稲荷さん』と騒がれて捕まっても、面倒くさいし」
「えー、さっきのしゅんしゅいも、かわいいのに」
「……ほら、父上と母上を探すんだろ。行こう」
「うんっ!」
すると武清が、春水の手をぎゅっと握りしめ。慣れない感触に、白狐の毛がざわっと逆だった。
「なっ、何するんだ!?」
「しゅんしゅいも迷子になったら、たいへんだから。てぇつなご」
「……お前が先に、迷子になったくせに」
覚束ない指で、自分よりも小さな手をそっと握り返し、二人は通りを尋ねて回った。
しかし聞き込みの成果は、思うように挙がらない。あの社の前にいた時は、まだまだ日が高かったと思ったが。
空を見上げる。青空が、少しずつ、夕焼け空へと移り変わりそうだ。
「……ちちうえたち、どこぉ……?」
「泣くなって」
武清が春水の尻尾で涙を拭くのは、もう何度目の事だろう。
この子にも疲れが見え始めている。早く、なんとかしてやらないと。そう思い始めた矢先だった。
「おや、坊っちゃん達、どうしたんだい?」
茶屋の老婆が、二人に優しく声をかけてきた。
「ちちうえが、ははうえが……」
「……見つからなくって」
「ありゃあ、二人とも迷子なの?」
「いや、ボクは探すのを、手伝ってるだけで」
「あらま! えらいねえ。でももう、こんな時間だねえ……」
老婆が不安そうに空を仰ぐが、すぐにぱっと笑ってみせる。
「こんな時間まで、二人とも疲れたろう。ほら、ここに椅子があるから。二人ともお待ちなさいな」
「えっ、ちょっと」
止める間もなく、老婆は茶屋へ消えていく。隣を見ると、武清は疲労からか、やはり俯いている。ここは、彼女の勧めに従うべきだろう。そうして、勧められたままに椅子に座した。老婆が戻ってくるのには、そうかからなかった。
「ほうら、お茶とお団子、おあがりよ」
盆に載せられてきたのは、湯気を立てる番茶。武清のために、あまり苦くないものを選んだのだろう。団子は、真っ白なものにはみたらしが、緑色のものにはあんこが乗っている。
思わぬ甘味との出会い。ごくり、白狐の少年も唾を飲み込む。
「いただきまーす!」
盆が二人の間に置かれてすぐに、武清が手を伸ばした。
「こらっ、行儀悪いぞ」
「いいんだよお、今日はそろそろ店じまいだしね。そうやって食べてくれた方が、団子も喜ぶとも」
老婆に小さく会釈したのち、春水もまず、あんこの乗った草団子を頬張る。……甘い甘いあんこのもったり感を、爽やかに抜ける団子の味が爽やかにしてくれる。
次に、色白美人の団子を、みたらしとともにいただく。甘じょっぱいタレの旨味が、シンプルな団子を相方にするだけあって、よく引き立てられている。有り体に言えば。
「……美味しい」
「……しゅんしゅい。おくちべっとべと」
「坊っちゃん達、美味しいのが周りに付いちゃってるよお」
3人でそうやって笑い合ううちに、団子もお茶も、美味しく平らげて。すっかり、あたりが夕焼け色に染まった、その時。
「武清!」
「ああ、良かった……!」
若い夫婦が、遠目に幼子の姿を見つけて駆けてきたのだ。
「ちちうえ!ははうえ!」
「良かった! 本当に、良かった……!」
「すいません、本当にすいません……!」
父と思しき男性は武清を強く抱きしめる。老婆に向け頭を下げる母に、彼女はにこり笑う。
「いいえ、わたしはなにもしてないよお。ここまでこの子を連れてきてくれたのは、こっちのお兄ちゃんだもの」
そう言って、春水を手で示した。
「ああ、武清と一緒に私共を探してくれたんですね! ありがとうございます……!」
「親でありながら、本当に情けなく……!」
「いや、ボクは……」
「……やっぱりしゅんしゅいは、こまったひとをたすけてくれる『おいなりしゃん』なんだよ!」
にぱあっと、武清は笑った。
「……確かにボクは、誇り高い白狐だけど。そういうのとは違うって言ったろ」
「おお、確かにこの子は、白狐の妖憑と見える」
「武清が見つかったことといい、あなたが狐さんなのといい、本当にお稲荷様のお導きがあったのかも……! 本当に、ありがとうございました」
再び頭を下げる両親に、ぷいっと顔を背けるが、その頬は赤い。ともかく、両親は見つかったのだから。春水と武清の小さな大冒険は、ここで終わりだ。
「それじゃあ元気でね、お坊ちゃん達」
「ありがと、おばーちゃん! しゅんしゅいも、またねー! こんどはいっしょにあそぼーね!」
「……考えておく」
やがて豊穣は夜に変わり、灯籠が灯っていく。手を繋ぎ帰っていく家族の背が見えなくなるまで、春水は見送った。