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こころの色をかさねて
登場人物一覧
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「うーん」
グレモリー様は、さっきからわたしの描いた絵を見て唸っています。こんなことは今までない事でした。いつも「いいね」か「よくないね」しか言わない人なのに。
グレモリー様に絵を教わるようになってから、何か月か経ちました。グレモリー様はわたしが借りているアトリエに突然現れては、絵を教えて下さいます。といっても、此処が良い、此処が良くない、と指摘して、グレモリー様も絵を描いて帰っていくだけで……いえ! 其れだけでもシャラは幸せです。駄目なところは直して、良い所は伸ばして、頑張ってきました。
最近は私のギフト――適した色が判る力の扱いにも慣れてきて、描けるようになってきたかなと思っていたのですが……今日は自信作の、森の風景だったのですが……何かいけないところがあったのでしょうか? グレモリー様はずっと絵を睨んで、時々席を立ってはわたしの前の絵を持ってきて、じっと睨んでいます。
何がいけなかったんだろう。わたしはまだ未熟だけど、そんなにいけないところがあったのでしょうか? 涙が出そうになるのをじっとこらえて、グレモリー様を見ていました。
「シャラ」
「はいっ」
手招きをされて、ぱたぱたとグレモリー様の隣へ。
「この絵なんだけど」
指さされたのは、濃淡とりどりの緑で書いた森の風景でした。今日、わたしが描いたもの。何処がいけなかったのでしょう。
「シャラは、青い森って考えた事ある?」
――?
「青い森……ですか?」
「うん。ピンクの森でも、オレンジの森でも良いよ」
「え、っと……」
正直、考えた事がありませんでした。桜が咲いたら森はピンク色に染まります。夕日を浴びたらオレンジにもなるでしょう。でも、青い森? そんなものがあるのでしょうか。グレモリー様に聞いてみます。
「あの……青い森があるのですか?」
「ないね」
「ない?」
「うん。でも、ないものを描いちゃいけないなんてルールはないだろう?」
グレモリー様はそう言うと、ご自分の前に置いていたイーゼルを見せるようにわたしの方に向けて下さいました。其処に描かれていたのは、
「わあ……!」
紫色とオレンジ色。およそあり得ないような色が交じり合い、湖を作っていました。まるで本当にそんな景色があって、其の湖畔で描いたような色彩は、目に眩しくて。
「これは僕の想像。ねえシャラ。森は青くても、ピンクでも、オレンジでも良いんだよ」
あ。
グレモリー様が、優しい顔をしています。其れはいつも、絵について大事なことをわたしに教えて下さるときの顔です。
森だって湖だって、街だって人間だって、どんな色を使っても良いんだ。
己が描きたいものを、描きたい色で描くのが良い。其れが一番、画家として素晴らしい絵に昇華する。
「載せる“べき”色」じゃない。「描く“べき”もの」じゃない。
そうしたいからそうした。例え誰が評価しなくても――其れが、絵では一番大事なんだよ。
わたしは言葉も忘れ、グレモリー様の言葉に聞き入っていました。
載せたい色。描きたいもの。わたしの描きたいものって、なんだろう。考えていると、グレモリー様はさっきまで睨んでいたわたしの絵をわたしに返して、絵筆を執ります。
そして色を混ぜると、湖の傍に小さな白い影を描きました。湖を覗き込んでいるように見えます。
「これはね、シャラだよ」
「私ですか?」
「うん。でも、シャラの可能性はこの湖より大きいね」
わたしは恥ずかしくなって、返されたキャンバスを抱きしめました。わたしの可能性。あるのでしょうか。可能性を覗き込むわたしは、その広さに気付けていないだけ。まるでそう言われているような気がして、でも、そう考えるのはおこがましいような気もして、なんとも言えない気持ちにわたしは自分のイーゼルに駆け戻っていました。
ありがとうございます、は、この絵で伝えます。筆を握り、色を混ぜます。適した色は緑。そう判っているけれど、わたしは違う色を混ぜます!
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「――出来ました!」
本当は新しいキャンバスに描き直す方が良かったのかも知れません。でも、わたしは敢えてこの緑の森の上に色を重ねることを選びました。グレモリー様が席を立ち、絵を覗き込みます。わたしよりもずっと濃い絵具の香りがして、ちょっとどきりとします。
「……青だね。時々緑が見えているのが面白いね」
「はいっ!」
これは、グレモリー様に言われた通りに描いたのではなくて。私が“青い森を見たかった”から描きました。ピンクの森は春に見られます。オレンジの森は夕暮に見られます。でも、青い森はきっと、どんな時でも見られないから。
緑の上に青を薄く重ねて、森が青く照らされているような感じにしてみました。グレモリー様はうんうんと頷いて、わたしの頭に手を差し伸べ――少し躊躇ったあと、ぽんぽんと頭を撫でて下さいました。
グレモリー様は、いつも躊躇います。きっと絵具が付かないかって、心配してくださっているのでしょう。わたしは毎日髪を洗っていますし、全然気にしないのに。
「いい絵だね。此処の壁に飾ろうか」
「本当ですか!? わあ、嬉しいですっ!」
「うん。君のご両親に見せられると良いね」
壁に飾ろう、って言われたのが嬉しくて、思わず声を上げました。
パパとママに一番に見せたい絵が出来ました。
青い森。パパとママは見た事はあるでしょうか。いつか聞いてみたいです。
グレモリー様が壁に釘を打って、キャンバスを飾って下さって、わたしはやっぱり絵を描くのは楽しいと思いました。
森だから、街だから。そんな枠組みにとらわれずに描くことも時には大事なのですね。――いつか、じゃあ、描いてみたいです。わたしのパパとママ。二人と手を繋いでいる、わたし自身の――