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成さねば成らぬ事を成す為に
登場人物一覧
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「ぬ、ぉ」
闇夜。その中で動く影があった。
放たれる剣撃。二閃、いや三閃の勢いは凄まじい。
轟。そう表現するに足る薙ぎは苦悶の声を漏らした男の剣を弾いて。
「――命は取らぬ」
瞬間的に差し込まれる拳。顎へと裏拳打ちだ。
マトモに当たれば頭部を抉り飛ばさんとする勢いだが――直撃は拳の先のみ。掠め、弾く様に頭を揺らせば生じるのは脳震盪で、意識が闇の底へと沈む。身体が揺らいだ。バランスを失った全身が頭から地へと倒れ伏す、寸前。
『拳を放った者』が腕を掴んでその身を支えた。
「……」
それは頭部からの落下による意図せぬ死を防ぐ為――もあるが。
最大の理由はこれ以上の『音』を発させぬ為だ。
「さて」
道の脇に男をどかす。完全に刈り取った意識は暫く戻るまい。
再び目覚める頃には全ては終わっていると、彼を打ち倒した――ゲツガ・ロウライトは思考しながら、再び周囲の様子へと気を巡らす。ここは天義の中でも東に位置するヴァルベス地方、のとある屋敷の中だ。今先程倒した相手はここの守衛である。
単純に言おう。ゲツガはこの屋敷に、正に今『襲撃』を掛けているのであった。
「中枢はこの先でしたか」
駆ける。闇の中を素早く走り抜け、ただ只管に標的の下を目指すのだ。
これは只一人、ゲツガ・ロウライトの行い。
事の始まりは『噂』を聞いた事だった。ヴァルベス地方は古来より人を喰う魔物の出現が多い場所であり、それに伴った犠牲者が年を通じて出てしまう地であった。これに対処すべくヴァルベスの騎士団は人員の増加、並びに維持の為特別な資金が聖都より出されている。
その甲斐もあってか犠牲者の数は年々減少傾向にある、のだが。
「……確かめねばなりませんね」
ゲツガの耳に入った『噂』は信じがたい事。
減少しつつある犠牲者。しかし増大する騎士団の中では汚職が見られ始め、捻出されている資金に手を出す者がいるという。元を辿れば資金の全ては天義の民より納められしモノ。それを拝借しようなどと言うこと自体許しがたいが……
それはいい。いや許しはしないが、優先順位としては後だ。
彼がここに出向いた理由の噂は『もう一つ』あって――
と、その時。ゲツガは屋敷のある部屋の前へ辿り着いた。
扉を開く。どうやら鍵は掛かっていないようだ。
ゆっくりと、なるべく音を立てずに。中の気配を伺いながら開いていけば。
「――んっ? このような時間に誰だ……? ノックもせぬとは非常識な……」
部屋の中で休んでいたのは年配の男性だ。ゲツガと同じか、少し若いぐらいだろうか。その人物の名は。
「お久しゅうございますな、コルバー殿。ご壮健そうでなにより」
「お、おぉ? これはゲツガ殿ではありませぬか!」
コルバー・カラシトス司教。彼はゲツガ同様に長年天義に、司教として勤めを果たしている人物だ。騎士とは異なる畑違いの間柄ではあるが、長年同国に務めていれば親交も出来るもので。
「今はここ、ヴァルベス地方の司教達を統括する大司教の立場にあるとか――私と違い流石でございますな」
「なんのなんの。これも天に祈りを捧げ続けただけなれば……して、何用で?」
コルバーはランプに光を灯す。知古を部屋に迎え入れるかのように。
しかしゲツガは扉の地点から入ろうとはしない。そのままコルバーを見据えて。
「――私はよからぬ噂を耳にしました。なんでも、ヴァルベスの騎士団は汚職があると」
言葉を紡ぐ。視線は岩の如く不動。ただコルバーの目線を捉えて。
「ぐ、む……流石ゲツガ殿ですな。ええその通りです。真、残念な事に……そういうことを行っている不逞の輩の存在が確認されております」
「なぜ裁かれぬのか。近辺の司教の長たる貴方なら多少の権限はありましょう」
「頭を掴めず尻尾を切り落とされては根本的な解決になりませんからな。証拠集めをしているのです」
より深く。より確実に切除する為にと。
ああそれは一理ある話だ。基本的には悪など即座に裁くべきだが、それが最善でない場合もある。悪の芽を残してしまえばまた別の所で花が咲くだけなのだから――
しかし。
「違いますな」
ゲツガは言った。断言した。
「貴方はそんな事はしていない筈だ」
「な、何を……」
「『だから』私はここに来たのだから」
右手に構えるはゲツガの聖剣――禍斬・月。
幾度もの戦場へ共に往き、幾度もの断罪へ共にした愛剣である。逆に言えばそれを抜いているのは彼の『本気』の現れでもあって。
「この地の『噂』は二つあります。一つは汚職の噂。
もう一つは減少しつつも決してなくならぬ『犠牲者』に関する噂」
先述した通りこの地は魔物の出現が多発しており、それ故に騎士団が増員されている。が、それでも『0』にはならないのだ。どれだけ増員しようとも完全完璧にはならない……という話ではなく。
「年の若い娘が必ず一定数行方不明になっているそうですな」
市民は言う。魔物に喰われてしまったのかと。
騎士は言う。魔物の腹の中から遺留品が見つかりました、と。
人々は言う。魔物許すまじ――と。
しかし。
少なくない数の、人々は言う。
「それは魔物の仕業ではなく」
『誰か』が。
「被害者を弄んだ後に――魔物の所業に見せかけて、殺しているのではないかと」
「な……何を言われるかゲツガ殿!」
コルバーは声を張り上げる。枯れた様な喉奥から、しかしはっきりと。
「貴殿ともあろう者がそのような噂に踊らされるとは失望しましたぞ! そのような根も葉もない話を信じていらっしゃるのか! い、いやそれ以前に『何故』私の所へ……!」
彼は知っている。ゲツガが天から与えられし能力を。
月光の騎士と呼ばれし所以。ギフトの詳細を。
「それが存外。根も葉もない訳ではないのですよコルバー殿」
部屋へ一歩進むゲツガ。その足取りに迷いは無く。
「私の属するエノテラ騎士団――そこからヴァルベスへと出向した若い騎士を知っておりますかな。実は彼から、先日手紙が届いておりましてな」
彼は正義感の強い若者だった。ヴァルベスの惨状から自ら出向を願い出て着任し……そしてある時騎士団の不正を知ったらしく。
「手紙にはこう書いていました」
恐ろしい現場を見ました。騎士にあるまじき所業をしている者達をこの目で。
どうにかしたいが、新人の私では無力故に。
「『現地の大司教殿に相談する』――と」
「……!」
「そう。この地における大司教とは貴方の事だコルバー・カラシトス殿」
誰が明確に不正に関わっていない者か分からなかった。
故に年若い騎士は長年国に尽くしてきた者へと声を掛けたのだろう。そこまではいい、が。
「しかし彼は帰らなかった」
ゲツガの下に、任務中の彼が魔物との戦いに敗れ殉職したと連絡が来たのは――手紙が届いた次の日の事。どう考えても『相談』間もなく彼は死んだことになる。
「不正を知った者が魔物に殺される……実にタイミングが良すぎるとは思いませんか?」
「し、知らぬ……知りませんぞそんな騎士など! 私は関係ない!」
コルバーは更に騒ぎ立てるが、一度抱いた疑念がある以上彼の言葉は最早『どうでもいい』事だ。
正直コルバーが関わっているという証拠はどこにもない。もしかしたらコルバーと接触する前に誰ぞに勘付かれて消されたのかもしれない。その可能性は十分にある――が。ゲツガは彼の慌てぶりから半ば確信していた。
司教の身でありながら、彼もまた不正に関わっているであろう事を。
「衛兵、衛兵!! 誰ぞおらぬか、乱心者がここにいるぞ!!」
いつそのような悪心を得たか。いつそのような道に落ちたか。
知らぬ仲ではない相手の堕落に至極残念な気持ちが過る。されどそれによって歩みが緩むことは無い。例えば相手が知古であろうが、己よりも上位の騎士団長であろうが、聖王であろうが。
「司教様! おのれ貴様――何奴か!」
不正義を成したのならば断罪するのみ。
背後より迫ってきた騎士の一撃。長き槍がゲツガの背を捉えるが。
「――ぬんッ!!」
半回転。身を捩る勢いと共に下段から振り上げた剣撃が、槍の柄を一瞬で両断。
そのまま大上段の構えを取れば、輝く聖剣。纏う光帯。宿すは神の祝福――
誰ぞの命も取らぬ、月を思わせる軌跡が衛兵達に叩き込まれて。
「げ、月光剣……! 馬鹿め、如何に不殺の意を持とうと我等に攻撃した事実は……!」
「もしも間違いであったのなら、後に私が裁かれるだけの事」
ゲツガは恐れない。自らの行いによって、自らが裁かれるかもしれない事を。
もしも誤りであったのなら? もしも、もしも――そんな思いをこそが不正義の横行を助長させるのだ。二の足を踏む間に苦しむ民がどれだけいるか。どれだけ悪は増えてしまうのか。
――己に施されたこの『ギフト』はそれを防げるのだから。
『やれる』のだから『やる』のだ。他の誰でもない、己が。
剣を振るう。今宵は絶好の――満月日。
疑わしきは罰する。例えどれだけ老いを経ようと。
この身が最期まで動き続ける限り。
「汝」
悔い改めるか――?
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ゲツガのギフト。それは満月の日に『汝、悔い改めるか』と言う問いを発生させることによって、相手からの答えを強制するモノである。とにかく心当たりさえあれば、悔い改める気があるかないかで事の真偽を確定させる。
――とはいえだ。その能力は一番肝心な事として『自身の納得』には使えるが『他者への説得』には使い辛いという点が挙げられる。要はそれで得た証言など。
「宜しいですか――貴方以外の者にとってはその真偽が分からないのですよ!
何度も申し上げていますよね、勝ッ手ッにッ断ッ罪ッを行うのは止めてくださいと!」
「全く仰る通り。返す言葉もございません」
あ――ッ! この人は全くもう! と、発狂しているのは聖都の騎士である。
ここは所変わって聖都、中央騎士団の牢の一つだ。行動を終えたゲツガが真っ先に行ったのは、出頭行動であった。裁きを行ったことに悔いはないが、それはそれとして手順を無視して強引に乗り込んだのは事実である。
故に武装解除して事の始まりから終わりまでを説明。自ら投獄されたのだ。ちなみにこんな行動、もはや一度や二度の事ではなく。
「そんな……そんなだから長年の実績や功績に比して未だに一介の騎士団の団長なんですよ……もうちょっと思考をと言いますか……」
「――それよりコルバーの一件。後は如何に?」
ゲツガにとっては己が進退や昇進云々など興味がない。それよりは正しきを行えたかどうかだ。そしてどうも、その後ヴァルベスに行われた正式な調査の結果によると――不正は一斉に摘発されたとの事らしい。
今までは噂の範囲以上に露見しない様、隠蔽していたが。中心人物自体がコルバーだったようで、彼を欠き資金の流れを誤魔化せなくなったとの事だ。逮捕されたメンバーから証言や証拠が出て来ており、やがてはコルバーの罪も確定するだろう。
「でもこれ結果論ですからね! 毎度ですが、いッいッ加ッ減ッにしてください!」
されど聖都の騎士からすると怒髪天だ。何が駄目かって、このような強行を『良し』とすれば真似する者も出て来よう。ゲツガの行いはギフトの能力故もあるが――結果として不正義の撲滅に繋がっているので百歩譲って良いのだが。『怪しいから行く』で成果が出なければ治安上最悪である。
「はぁ、はぁ……とにかくゲツガ殿の処遇はヴァルベスの件が確定後となりました。
暫くは勾留させて頂きます」
「ええ勿論、異論ありません。どうぞよろしくお願いします」
絶対また反省してないよこの人……と愚痴を零しながら立ち去る騎士。残るゲツガ。
事前に属せしエノテラには戻るまで、もしくは『戻れぬ』場合の指示の手紙は出してある。残った者達でなんとでもなるだろう。苦労は掛けるが、この行いは己が矜持。己が信念。これからもきっと止まりはしない。
しかしコルバー。あのように長年務めた者すら欲望に染まってしまうとは……
「……願わくば。未来ある若者達は不正義に染まって欲しくないものです」
この国は、天義は良い国だ。よりよくあろうと皆で目指せる国家だ。
後ろ暗き事無き生を歩めるように。太陽の下で、皆が晴れやかに生きられる様に。
私はこれからも力を振るい続けよう。不正義の跋扈する闇夜を払おう。
なぜなら私は『月光の騎士』なのだから――