SS詳細
カステラプディングにご機嫌なメロディを添えて
登場人物一覧
その日は平和な朝だった。いつもは春水を見つけては追いかけ回し、春水の尻尾を抱き枕代わりにする金髪の少女が朝からいなかったのだ。
なんでも朝から遊ぶ人間を探しに行ったらしい。おかげで尻尾が軽い。
「おはようございます」
顔を洗った後、狐の先輩である白髪の青年が朝食を出してくれたので、有り難くそれを平らげると家の中を探索する。
ここは春水の家ではないが、好き勝手していても咎められたことはなかった。
召喚されて間のない頃、行き宛がないままフラフラしていたら金髪の少女に追い回されたのが縁だ。
そのまま背中から腹を抱えられたと思ったら連れ込まれて、この家の宿泊客、あるいは住人として認識されていったに過ぎない。
「ヒヒ、今日は探検にしたのかな? 小鳥と拾子が舞台の仕事で出掛けてるからね、二階がオススメだよ」
銀髪の家主が春水のふわふわした髪を優しく撫で、一階の店舗の方へ降りていく。
普段は気安く触るなと怒る所だが、家主は別である。
あるかどうか分からないが、何となく本能らしきものがこれには逆らうなと告げているのだ。
そのため、この家で春水のことを無条件で撫でて愛でられるのはあの銀髪の家主だけであり、拾った少女はいつも強引に春水を愛でた。
この家には黒髪の男が二人いて、一人が今しがた話題になった男である。
踵を返して言われた通り、「マジックをしてくれる黒髪の男が住む部屋を覗きに行く。
少しだけ開いた隙間から覗き、二匹のカラスがいないことを確認する。
ぬいぐるみにとってカラスを始めとした鳥類は天敵だ。美しい目玉を抉られてしまう。
いないことにホッと安心しながらも、今日はマジックをねだれないかと残念な気持ちもあった。
「おや、春水様! 良ければ一緒にお茶しませんか?」
二人いる黒髪の男、そのもう一人。胡散臭いジャグラーの男だった。
優しい男だとは分かっているが、どうしても高めのテンションと大きな図体に春水は驚いてしまう。
彼が住まう部屋の内装も春水には怖くて近寄れないことも問題だった。
「い、いい! 今日は探索する日だから!」
振り向き様に断って、階段を駆け降りる。向かった先は店の外、商店街だ。
まだギリギリ朝の時間帯だからか、このあたりの商店街は賑やかだった。
出勤前に大衆食堂で朝食を取る者、店前に商品を並べる洋服屋。弁当を購入する者。
そのうちの一軒、柔らかな風味が特徴的な店の前に春水は来た。
そっと窓ガラスから覗いてみれば、店員と思わしき女性が商品棚の布を慎重に捲るところだった。
布の下で眠っていたのは様々な種類のぬいぐるみたちだった。定番のクマからウサギ、ネコにイヌ。海の生き物もいた。
店員の女性が優しく毛並みを整え終えると、洋服などの小物を陳列していく。
ぬいぐるみたちはいずれも優しい面影で家に迎えてくれる誰かを何処か夢を見る瞳で待っているようだった。
そんな光景で想い出すのは、泣き虫の女の子と製作者の女性だ。
世界中にいる子どもたちへ安寧を祈ってぬいぐるみを作り続けた春水の
混沌に来る直前まではずっと一緒にいた春水の
春水が元いた世界は、再現性東京に似た世界だった。背の高い建物に何でもあるようで、あまり何もはなかった。
そんな世界で勝手に動いて喋るぬいぐるみやオモチャは珍しく、そのほとんどは製作者によって保護されるのが普通だったらしい。
そのため、春水の製作者も春水が喋り出したときは悩んだようだった。
──春水はしめ縄飾りが背中で結わえられた時に目が覚めたのだ。
木造の部屋の中で布と綿、古めかしい工業ミシン、そして目の前で優しく微笑む女性。
「あんたがボクの持ち主か?」
見上げて問えば製作者はちょっと驚いた顔をした後、お茶にしようかと言った。
彼女は人形用の小さなアフタヌーンティーセットを春水の前に置き、自分は緑茶を急須から淹れた。
「さて、どうしようか。普通は私の所で保護するんだろうけど……」
この世界でのぬいぐるみのことをあらかた説明した彼女は君はどうしたい、と優しく問うた。
その言葉が春水の胸に染みて、一瞬さざ波を立てるが心は揺り動くことはなかった。
春水とそのきょうだいたちは彼女の祈りを受けて産まれた。ならばその祈りの為に生きたい。
物言わぬぬいぐるみとして、世界中の子どもたちの安寧を祈り願う友になりたい。
春水はそれから、きょうだいたちと一緒にアニメショップへ卸され、たくさんの子どもたちの友として渡って行った。
その中で最後の友であったのが泣き虫な女の子だった。
年じゅう真っ赤な頬で少し転んだだけでも泣いて、良く笑う女の子だった。
元は彼女の父親が春水の友で大人になっても大事にしてくれていたのだ。
けれど女の子が生まれた朝に「うちの子と友達になってくれよな」と願われたのだ。
そう願われたから春水は女の子の友として、どこに行くにも連れて行って貰ったのだ。
別のぬいぐるみが一緒のベビーカーに乗せられる時もあったが、一番は春水であった。
そんな女の子だから、もしかしたら急に消えた春水に驚いて悲しんで泣いているかもしれない。
(でも、そうでもないかもな。子どもって気まぐれだし途中で飽きちゃう生き物だもん)
女の子の部屋には春水の他にイヌのぬいぐるみと星の形をしたぬいぐるみがいたことも覚えている。
その仲間たちは元気だろうか、ここで優しくされる度にふと考えてしまう。
けれどすぐにそんな考えを打ち消す。もうこの世界で生きてる限り、考えても仕方ないことだ。
元の世界に戻れる、そんなあるかどうかも分からない話を考えるのは苦手だ。
緩く頭を降って、開店準備に終われる女性が気づく前に春水は歩き出した。
そうして歩き進むとどこからか、ふんわりと小麦の良い香りが漂ってくる。
ログハウス風の店内を覗き込んだ先では男性が白い生地に形を与えていた。ふと目が合う。
悪戯に笑う男性は形作ったそれをもう一人の男性に託すと、手招きして春水に入るよう促した。
促されるままカウンター席にちょこんと座り、春水は男性を待った。
「お買いもの?」
「違う! 探索だ!」
男性は春水の目線に合わせて訪ねると、なるほどと頷いて試作中だと言うパンを食べさせてくれた。
ふわふわしていて、丸いそのパンは美味しくて、春水は夢中で食べきった。
その食べっぷりと美味しいという感想に満足したらしく、男性はカステラの切れ端をたくさん持たせてくれた。
なんでも見映えが悪いから店頭には置かないが、味はカステラで一番美味しい所なのだと悪戯に告げる。
春水は喜んでそれを受け取り、来た道を引き返し始める。
いつも白髪の青年は読み書きとテーブルマナーの勉強の後はおやつと飲み物を出してくれた。
その時にこれを出して貰おうと思ったのだ。
「ただいま!」
春水が昼になる前に元気良く挨拶をして戻ると、昼飯の準備をしていた白髪の青年が出迎えてくれた。
カステラの事を話せば、後でカステラプディングにしましょうと言うので、素直に預けて勉強の準備をする。
春水の勉強用ワークは面白がった家主が用意してくれた専用のもので、なかなか楽しく勉強が出来た。
しかもなくなったら家主に言うと新しいものをくれる約束なのだ。
テーブルマナーを練習する道具はマジシャンの彼が元世界であったものを参考に手作りしてくれた。
それにより、春水は少しなら箸が使えるようになってきていた。
「お昼が出来ましたよ」
箸で最後の駒を拾ったところで青年が昼飯を用意してくれたので、勉強道具を片付けて机を拭く。
この家に残っている全員で和気あいあいと食べ終わると、青年と一緒にプディングを作る。
……そう言っても春水は卵と牛乳を混ぜただけだが。
いただきます、と温かいココアをお供に一口、口にすればしっとり食感のカステラとプディングのぷるぷる食感が楽しく、美味しい菓子となっていた。
「美味しい!」
(ニンゲンになって良かったのは、こーゆー甘いものが食えることだよな。甘いもの超美味しい!!)
残ったカステラプディングをラップして冷蔵庫に仕舞っていた青年がそれは良かったと静かに告げて食べ始める。
春水はこうした時間が大好きだ。それは製作者と一回だけした「お茶会」を覚えているからかもしれない。
本当はこっそり勝手に動いているところを女の子に見られて、ナイショにして貰う代わりにママゴトやお茶会に付き合ったことがあるからかもしれない。
ニンゲンとして、ニンゲンじゃなくても誰かと同じ机で話しながら食べるものは美味しい。
それがぬいぐるみの時に出された木製の野菜でも。それがニンゲンの時に出されたカステラプディングでも。
大好きな人たちと一緒なら、なんでも楽しくて美味しいのだ。
けれど意地っ張りで強がりな春水はそんなこと、想っても態度には出しはしない。
出しはしないが、春水のその大きくふわふわな尻尾は、ご機嫌なメロディで動いてはいた。