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サファイアの王冠
登場人物一覧
- アイシャの関係者
→ イラスト
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「いらっしゃいませー!」
とある食堂でそんな活気のいい声を響かせるのは『スノウ・ホワイト』アイシャ(p3p008698)。彼女は
「アイシャちゃ〜ん」
「今日も可愛いねぇ〜」
「…………ありがとう、ございます」
例え下品な笑みを浮かべる男性に対応しなくてはいけない状況でも営業スマイルを解く事はしなかった。だってだって……家族の為なんですから。どんなに
(でも今月はいつもより頑張らないと)
混沌の冬のイベントは豊富だ。
秋にあったファントム・ナイトから始まってシャイネン・ナハト……年越しも迎え、そこからひと月経てば……ほら、
それは大切な人に『灰色の王冠』──チョコレイトを贈る日だ。
(お店の方々は好きな人にあげるんだって盛り上がっていましたが……別に大切な人が家族だっていいですよね?)
だってそう、アイシャの大切な人は家族以外まだ検討もつかない。兄のような存在が居たとて、親愛なる人が居たとて……家族の為ならばこの身を削ってでも守りたいと彼女は強く思っているのだから。
(今年も……はい。家族の為に用意したいですね……)
だから。だから今日も大切な家族の為に懸命に働く事が出来る。だって
……けれど彼女は家族の為ならば、これらを苦とも思わなかった。
アイシャのグラオ・クローネは毎年同じ事で、家族一緒にチョコレイト菓子を食べる行事である。
それを家族の誰よりも楽しみにしているのはきっと二つ年下の弟、ファクルであろう。
(今年はどんな菓子だろう……)
ファクルは空を見上げる。去年はケーキ、一昨年はクッキー……チョコレイトってヤツはいろんな菓子に化けやがって……それでいて美味しいんだから毎年楽しみにしてしまうんだ。
決して! けっっっっっして!!
アイシャが作るチョコレイト菓子だから楽しみってだけじゃねぇーんだからな!!
「うぉーい! そっちボールいったー!」
「っと、っぶねーな! いきなり投げてくんじゃねー!」
「ちゃんと声掛けたってばー!」
ぎゃあぎゃあ騒がしい昼下がり。どうやらファクルは家の近場にあるらしい施設の子供達の面倒を見ている最中、上の空になってしまったようだった。
(……ま、アイシャが作ってくれるのは……
ファクルはアイシャを誰よりも理解したいと願っていた。歳を重ねる度に見えるアイシャの自己犠牲の姿……アレをどうにか、弟の自分……にも分けて貰えたら良いのに。俺じゃ頼りないのは解ってるけど……けどファクルはそんなのは嫌で。
アイシャがどうしたらあの頑なな心を解せるのか……ファクルはまだ悩みながら、切実に姉を思う。
……本当は姉としてではなく大切な人として……そう思いたいのだが。
(はぁ……くそっ! アイシャの前だとつい口が滑っちまう……)
本当は素直に『頼れよ』とか、そう言う言葉をかけられたなら……きっと彼女も、もしかしたら……とは思う。思っているんだ。……けれどもファクルの口から出てくる言葉は思ってもない事ばかり。
(でも言えねぇままじゃダメだよな……よし)
今年こそ、そう……グラオ・クローネのお菓子のお礼から始めればいい。そうだよな?
ファクルは小さな決意を固めて再び子供達の遊び相手に戻る事にした。
「は? アイシャに好きなヤツ?」
──それは唐突に知る事になった。
「ま、まだお姉ちゃんに聞いてないからわからないけど! でもたまに男の人の名前とか聞くもん!」
「イ、
「だから! まだわかんないってば!」
街で一緒に歩いているのを見かけたんだ! そうファクルに告げたのは施設のお使いに出ていた子供達。その道中でアイシャを見かけたらしい。
「っ……好きな、ヤツ……」
弟として、応援しなきゃいけねぇのか? 応援、出来る……のか? ファクルは頭を抱えて葛藤する。
どこかでずっと変わらずにいると思っていた。けれどそんなはずがない。アイシャにだって好きな男の一人や二人……ましてやあの見た目だ、男が寄って来ないはずがない。
(ああ、ダメだ! ダメだダメだ!!)
俺はそういう意味で好きなんじゃねぇ……ちゃんと、
アイシャから貰ったミサンガを見つめる。心が揺さぶられそうな時はいつもこのミサンガを見てきた。大丈夫、大丈夫だって。
「でも、まぁ……応援しないと、だよな」
それは漸く、ファクルが絞り出せた言葉だった。
「ファクル……?」
「ほら、そろそろ」
察しがいいのは自分だけで良かった。だから、彼は適当なところで子供達を誤魔化す。誰かの手で自分の気持ちが伝わるのも許せない事だった。
どうしようもないこの気持ちの正体を知っていて、けれど自覚すればほら……きっと壊れてしまうだろうから。
「私に好きな人?」
「うん! この前二人で歩いてたの見たよー!」
(ああアイツら!!)
グラオ・クローネまで数日を切った頃、アイシャにそんな話題を持ちかけたのはファクルといつも話す子供達。
「見てた……? ……ああ、彼の事かな? 何でもないよ?」
「えー!」
アイシャには心当たりがあるようだった。なんだそれ、本当に? と、ファクルの心に棘が刺さる。
「ファクル? ファクル!」
「?! な、なんだよ急に!?」
「何回も呼んだのに」
子供達が部屋を出た後、ボーッと残っていたファクルをアイシャは呼び止めた。
「ファクルにだけは言っておいた方がいいかなって思って」
「え?」
何を? と返そうとしたが、アイシャの表情がにこやかだったものだから、そのまま押し黙る事しか出来ない。
「実は……
今年のグラオ・クローネはドッキリさせたくて!」
「は?」
てっきり好きな人の名前でも出てくるのかと思ったら、彼女はいつもと変わらない笑顔を振りまいていた。
「だからね、特異運命座標の友達に協力して貰ってチョコレイト菓子の材料を買い出ししてたんだけど……まさか街でそれを見られてるとは思わなくて! また何かあったら誤魔化すの助けてくれない?」
「…………その友達って男かよ?」
「え? うん?」
「なんで」
「重い荷物持つの手伝ってくれるって言ってたから……」
「はぁ……そのぐらいなら俺も」
ともあれだ。勘違いだった。
勘違いだった!
「ハッ、どうするかなぁ〜」
「えぇ? 協力してくれないの……?」
「嘘、そんな焦んなよ。アイツらをパーッと驚かせてやるんだろ?」
「!! うん!!」
姉を大切に思う弟が姉の願いを断るわけがないだろうに。
ファクルは姉の笑顔につられ、にししとホッとしたように笑った。