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精霊に甘露の在り処を尋ねるならば。
登場人物一覧
どうだろう、と誘う瞳に揺れているのがどんな感情か、伏見 行人という男はとっくに理解していた。その程度には彼女との付き合いは長く、今では『友人』と呼んで差し支えない間柄であることも受け入れている。
そして、サムシングフォーになぞらえた花嫁のブーケのように清らかな青が願う答えを表面だけ摘んで、快諾してみせるのだ。君がそう言うのならば、と。
「シャイネンナハトらしい衣装でも着てみないかい?」
それが彼女、ラクロス・サン・アントワーヌからの提案だった。つまりコスプレである。多少のトンチキならば断る理由もないが、ふむ、と行人は考える。返事を待つ彼女にはあっさり頷きながら。
旅人である彼にとってのシャイネンナハト、クリスマスといえばサンタクロースが定番だ。
「ここに売っているかはわからないけれども、俺はサンタにでもなればいいのかな」
絵本の中の王子様に憧れる君は、外の世界の御伽話を知っているだろうか。そう問うた視線がはなやぐ店内にあの目立つ赤い衣装を見つける前に、勿論だとも、と力強い肯定が返ってきた。
「冬の夜空を駆け、子供たちに夢を運ぶ聖なる人。見方によってはそれもまた、王子様のひとつの形だね」
それこそプレゼントを心待ちにする子供のように目を輝かせる、そのブレなさにはもう感心する他ない。では着るのはお揃いのサンタ服だろうか。それもそれで悪くは——
「行人君がサンタクロースなら、私はトナカイになろう。凍える空の旅路もエスコートしてみせるとも」
——なるほど、やはりブレないらしい。
私は王子様だからね、とこれまた決まり文句をキメ顔で放たれれば、仰せのままにと傅いてみたい悪戯心も湧くというもの。その先にあるのは困り顔か、拗ね顔か。きっと彼へ向けるのとそれ以外とでは全くの別物であるに違いなかった。
外から持ち込まれた知識や文化も取り入れられた混沌世界。正しく伝わっているかはともかく、クリスマスもその中にあるらしい。
それぞれ色合いの違う茶色い着ぐるみの群れを眺めて、これでは可愛らしすぎるな、と悩むアントワーヌの斜め後ろから行人の声がかかる。
「それなら、トナカイ色のジャケットなんかはどうだい」
ふわり。なめらかな軌跡を描いて形のよい頭に着地したのは、小ぶりながら立派な角と耳が付いたトナカイ帽子だ。行人が手を離せば、金色の髪の上でそれは誂えたようにお行儀よく座っている。あざやかで手慣れた所作だった。
あまりにも一連の流れが自然すぎたものだから、アントワーヌは距離が近づいたことで見上げなければならない位置に現れた、ふたつの黒曜石に映り込む自身のきょとんとした顔と睨めっこすることになった。
はっと我に返れば光を吸い込んでしまう黒の、平素と変わらない色に安堵するような、少しだけ残念がるような、わたあめの最後のひとかけに似たやわらかな疼きが残る。それが『乙女心』と名付けられるものであることに、彼女はまだ気づかない振りをして微笑んだ。行人君がそう言うのなら、と。
君が言うのなら、なんて示し合わせた訳でもなく、どこか言い訳のように揃った『方向性』を心の中だけで行人は笑う。これは秘密にしておこう。舌で転がすには少々甘酸っぱいけれど、悪くはない。
「この際だからもうひとつ、やってみたいこと……そう、君だけにしか頼めないお願いごとがあるんだ」
はにかむ王子様からの投げかけられたのは、お姫様抱っこの要求だった。当然のように彼女が抱える側で、と掲げられた腕が訴えてくるのには思わず苦笑も漏れた。
伏見 行人は成人男性である。着痩せする質であるが故に忘れられがちだが、人並みに重量も背丈も羞恥心もある成人男性である。最後は友人の誼みで飲み込めども、先のふたつに目を瞑るのは難しい。一般的な女性として小柄な方ではないアントワーヌでも、特異運命座標という人並みを外れた規格を以ってしても、20cmも違う相手を足腰に負担なくバランスよく抱え上げるのは簡単ではなく。それに比べれば、重いから、とお断りするのは実に簡単なことだった。
それを折角だから叶えてあげようと思うのは、やっぱり甘酸っぱいもので、むずむずしそうな口元に手を当て悩みつつ渋々といった仕種を装って了承の意を示す。
「君に似合いの毛皮を見つけてくるといいよ、王子様」
「完璧にエスコートしてみせるから少しだけ待っていておくれよ、王子様」
ウインクひとつ残してジャケットコーナーへ向かう背中を手で見送り、行人はサンタ服を見繕いながら独り言のように囁く。
「そんな訳だから、アントワーヌが望んだ王子様になれるよう、少しだけお手伝いしてもらってもいいかな?」
きらり、きらり。窓の外のイルミネーションの光たちが遊びに来たように彼の周りに瞬いた。それは子供の輪郭をして、くふくふと笑う。
——いたずら?たのしい?かなしい?
「勿論、とっておきの楽しい『悪戯』さ」
——じゃあやる!やりたい!たのしみ!
きゃいきゃいと口々に、はいはいと我先にと手を伸ばす幼子たち。随分と前のめりな様子は行人以外には見えない、聞こえない。店員も他の客も、誰にも気づかれない秘密の約束はこうして交わされた。
僅かに要求された形式上の対価を捧げて仕込みは完了、というところで、奥の試着室の方から彼の名を呼ぶ声が。
「よろしく頼むよ」
さあ、華麗なトナカイに変身した彼女を迎えに行こう。空気の中へ溶けていく不可視の光を連れ立った足取りは、外を行き交う人々に少しだけ似たリズムを刻んでいた。
祭の準備に勤しんだ希望ヶ浜学園。馬上へ手を引かれた牧場。仮装して踊ったダンスホール。昼には玉入れを、夜にはフォークダンスをしたグラウンド。星を見に行った砂浜。贈り物をしあったマーケット。危険な依頼で出向いた場所にだって、彼とのたくさんの思い出が詰まっている。
エスコートするつもりがされていたり、目指す王子様像とは違う姿を見せてしまうことも多いけれど、それでもまだ変わらず隣にいられることが嬉しい日々だ。だから——
「素敵な夜への招待状をお持ちの『お姫様』、お手をどうぞ?」
「俺で良ければ、『王子様』。輝かんばかりのこの夜に」
——もう少し、このままで。
秘められたあまやかな想いはなお香しく、それに浮かされた精霊たちは踊る。躍る。ヒトひとりの重さを支えるなんて宝石ひと粒よりももっともっと軽い。いつか焦れてお節介のパイを焼きかねないのが恐ろしいくらいだ。
聞けば笑ってしまうような小さなものから、関係性を揺るがすような大きなものまで。それぞれに積み上げた秘密はどちらから崩すことになるのだろうか。願わくば、その壁の向こうに彼らの明るい未来があらんことを。
「それで。ご気分はいかが?」
「最高だとも!」
ドヤ顔のトナカイ王子は、