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暑い夏こそ風邪をひく
登場人物一覧
●依頼判定が無傷だったのがとても不思議
『幻想』の片隅、こじんまりとした一軒家。家の中からくしゃみが聞こえ、暫くすれば鼻をすする音が続き。
どこか泣きそうな、弱々しい声とともに衣擦れの音が続く。
……その家の主、ネーヴェ (p3p007199)は、その日自分が風邪を引いたことを遅まきながら自覚した。
(やはり、あの依頼ですよね……)
布団に潜り込んだ彼女は、赤く火照った顔に手を当て、目を細めて記憶を手繰る。
数日前、彼女は練達製のとある道具の評価試験の依頼を受けていた。その場に集まった面々は誰もがどこかブッ飛んだ面々で、イレギュラーズになりたての彼女にとってはどうにもこうにも刺激が強い相手ばかりだった。
体を冷やすアイテムの使用、周囲から漏れてくる冷気、凍る者すら現れる異常……そして折からの(情報屋が横文字を使っていたほどに)過ごしづらい超・熱気。
温冷交代浴は体をじっくり温めるからいいのであり、時間配分が真逆なあの状況は健康を害すのにうってつけであったのだ。
「……他の皆様は大丈夫だったのでしょうか」
そして彼女が思いを馳せるのは、自分より激しい冷気に見舞われた仲間達だ。というか、彼女は本当に、若干の冷気だったのだ。「冷たいッ!」で終わるレベルの。なのに、仲間達ときたら凍ったり、氷漬けになりながら動いたり。あれで風邪を引かないというなら相当だ。
「羨ましいだなんて、言っても、仕方ないことだけれど……」
もう少し丈夫であればよかったのに、と彼女は思う。良家の娘として蝶よ花よと育てられた者として、1人で多くの人々、多くの悪意と向き合う今の環境は過酷という他ないものだ。
すこし出かければ風邪をひく虚弱体質からは脱却できたが、それでも真っ当な健康体にはほど遠い。
繰り言になるのは承知であれ……もう少し元気であれば、と思うのは無理からぬことなのだ。
(……会いたい)
そんな彼女の思考の裏に去来したのは、誰あろう家族の姿だ。ひとは心が弱ると他者を、ひととの関わりを求めるのだと聞いた。彼女もその類例にもれず、否、保護されてきたからこそ、より強く他者を求めるのである。
「……お父様、お母様。わたくしはうまくやれているでしょうか」
両親に、そして『あの人』に、静かに言葉を投げかける。
守られていた日々、忘れかけたセピア色の思い出。それらが恋しくないか? そう聞かれれば、すぐにでも戻ってしまいたい気もしている。それが己の弱点であり、求めすぎてしまう罰の体現かもしれない……などと考えることも、ないではないのだ。
(いいえ、『やれているでしょうか』なんて。……わたくしはきっと、うまくやれている)
自分のあり方、その成果は誰かに担保されるものであろうか? 誰かに褒めてもらうための行いであろうか? 否である。
イレギュラーズとは、『パンドラを蒐集する者』であり、『名声と栄誉と報酬を担保される者』ではない。ときに後ろ指差される行いだって、横たわっている。
馬鹿馬鹿しい依頼に真摯に向き合う仲間。危険な依頼でも弱音を吐かず気を吐く戦友。それに背中を押されるように、前を向く自分。
「ああ、――わたくしが今、本当に会いたいのは」
家族の元での穏やかな日々などではなく。
目まぐるしく表情と態度を変え、時に厳しく接してくる仲間達ではないだろうか。次の瞬間に何が起きるか、どんな反応を返してくるかも分からぬ相手や世界そのものではないか。
変化に追いつくことは、今はまだ無理かもしれない。指をかけたその先から、新しい未来が見えるかもしれない。はたまた、厳しい現実だって降り掛かってくるだろう。……怪我だってするかもしれない。
だが、少しずつ夢の世界に沈みつつある彼女の視界の端に映るのは――依頼を通して得た経験や知識の産物、玄関に置かれた脚甲、壁にかけられた剣闘士の衣装。それらは冒険への入り口であり、先へ向かう彼女の正装でもある。
今はまず、眠りにつこう。
それから、買ってきてある果物を食べて、身だしなみを整えて家を出る。そうして、新しい世界を求めてローレットへ向かおう。
ギルドマスターや情報屋達、或いは仲間達がいるだろうから、元気に挨拶をして、それから、冒険に旅立ち……それから。
あれや、これやと考え続けるうちに、ネーヴェの意識はどんどんと闇に落ちていく。夢の中での『予行演習』通りに、明日を迎えられたか。
それは、彼女の心の中に。