SS詳細
等身大の僕ら
登場人物一覧
●
ベンゴール・ブルーの夜空に浮かぶ月。
首筋を浚って行く冷たい風に眉を下げるのは燈堂 廻だ。
カフェ・ローレットからの依頼は『簡単なもの』だったはずなのに。
目の前に広がる夜妖の死骸は八体も存在した。
aPhoneのメッセージアプリを起動する。暗闇に液晶の光が浮かんだ。
カフェ・ローレットとのやり取りを開く。
「……え?」
そこには、先ほどまであったメッセージが忽然と消えていたのだ。
この場所――希望ヶ浜常盤公園『花園ドーム』を指定した住所も。夜の11時を示した集合時刻も。
簡単だという依頼内容も全て消えてしまっている。
「何で?」
困惑する廻の耳に足音が聞こえてきた。誰も居ないはずの花園ドーム。
来るとすれば見回りの警備員だろうか。
この夜妖の死骸を見られてしまうのは危険だ。
しかし、簡単な依頼だという情報を元にこの場所へ来てしまった廻を迎えに来るものは居ない。
今日に限って暁月も不在なのだ。
近づいて来る靴音と懐中電灯の光に、廻は唇を噛みしめる。
――――
――
「廻と会える機会なのに、いいの? 龍成」
「構やしねえよ獏馬。もうすぐしたら毎日会えんだから。それにこれは廻にちゃんと友達が居るかも見ておきたかったんだ。廻の為に飛び込んで来るようなヤツが居るのかってな」
花園ドームの外。闇に紛れてふたつの声が囁く。
澄原龍成と悪性怪異の獏馬は『思食み』の発動と、花園ドームへ走って行く浅蔵 竜真の姿を捉えていた。
●
「おい! そこで何をしている!」
警備員が持つ懐中電灯の光が視界にちらつく。
倒れていた廻を抱え、竜真は後退った。
此処で捕まってしまえば、花園ドームで『頻発する事件』の犯人にされてしまいかねない。
その原因となった夜妖を倒したと言っても、一般人の懐疑的な目を誤魔化せるとは思えなかった。
此処は逃げるしかない。
竜真はドームの中にある別の出口へと走る。彼の身体能力であれば廻を抱えて走っても一般人に追いつかれる事は無いだろう。
迷路のような順路を抜けて、ドームを出た竜真。
警備員が追いつけない場所まで走れば、ベンゴール・ブルーの夜空からは白い雪が降り注いでいた。
「……ぅ」
腕の中の廻はぐったりとしていて、鼻先が冷えて赤くなっている。
「寒いな」
このままでは廻の体温は下がる一方だ。身体が弱いと言っていたから風邪を引いてしまうだろう。
「何処か……そういえば、来る途中に神社があったな」
常盤公園には無人の小さな神社がある。
雪風を凌げる所へ一時避難するのだ。バチは当たらないだろう。
そういう困った人を助けるのもまた神の役目なのだと、己も神社に住む竜真は頷いた。
――――
――
六畳ほどの小さな神社の中へと入り込む竜真。
外は粉雪が降り注いでいる。カタリと戸を閉めれば風は入って来ないだろう。
問題は寒さだろうか。
竜真は廻を膝に抱え込んで自分の上着を被せた。
雪が溶けて廻の髪を濡らしている。
「ごほっ、……こほっ」
咽せた廻の背を擦り、竜真は顔を覗き込んだ。
苦しそうな表情。額に手を当てれば熱が上がってきているようだった。
「大丈夫か? 廻?」
「……ぅ」
薄らと瞼を上げ視線を漂わせる廻。此処がどこか分からないといった表情だ。
「あのね、廻は今苦しいの」
廻の影から出てきた獏のぬいぐるみに竜真は目を丸くする。
これが噂に聞く、廻に憑いた獏の夜妖『あまね』なのだろう。
「苦しいのか?」
「うん。だからね、廻に生命力を分けてあげて? 指先をちょっとだけ切って、血を廻に食べさせるの」
あまねの言うとおりに。竜真は自身の刀を僅かに抜いて指先を切った。
それを廻の口元に宛がう。
「……ゃ、嫌」
「大丈夫だよ、廻。ちょっと貰うだけだから」
「嫌だっ、やだ。飲みたくない」
竜真の手を払いのけるように押し返す廻。しかし、その力は弱々しく、添える程度にしか感じられない。
「俺の血だから飲めないのか?」
「ちが、う。違うっ! やだ! やだぁっ!」
癇癪を起こした子供の様に廻はむずがった。
普段の温厚な姿からは想像も付かない。アメジストの瞳からはぼろぼろと涙を零していた。
「竜真、廻ね、しんどいの。でも血を貰うの、申し訳ないと思ってる」
あまねは廻の涙をごしごしと拭いて、竜真に視線を向ける。
「竜真が少し体調悪くなるかもしれない。迷惑かけて、しまうかもって。
自分が耐えれば良いって。でも……」
「言わないでよぉ! うう。ひぐっ」
あまねの口を押さえるように手を伸ばす廻。
誰にだって知られたくない秘密はある。
特に『親しい友人』だからこそ知って欲しくないという事はあるのだ。
「でもね。今は耐えられる所を越えてる。だから少し分けて。竜真お願いだよ。このままじゃ廻がすごく苦しいんだ」
「ごほっ、ごほ……はぁ、はぁっ、言わな、いで……」
言ってしまえば、それを伝えてしまえば。竜真は簡単に自分に血を与えるだろうから。
そんな心優しい人から血を貰うのは廻自身の『傲慢』が許さない。
けれど、意識は遠のくばかりで。
「廻? おい、しっかりしろ」
意識を失い腕の中に深く沈んで行く廻を支える竜真。
「竜真。無理矢理でもいいの。廻に血を分けてあげて……」
懇願するあまねに頷いて、廻の顎を掴み無理矢理口を開かせる。
血が滴る指を廻の舌に乗せて生命力を流し込んだ。
――――
――
意識が浮上する。
目を瞬くと、心配そうに眉を下げる竜真の顔が見えた。
「ぁ……竜真さん? あれ。……ぁ、もしかして血を?」
「ああ。君に血を分けた。少し顔色が良くなったようだ。良かった」
頬撫でる指先を取って握り込む。ぽろりとまた廻の瞳から涙が零れ落ちた。
「ごめんなさい。ごめんなさい……っく、ひっぅ」
血を貰う事に。友達の生命力を吸ってしまうことに。負担を掛けてしまったことに。
罪悪感が生まれる。迷惑を掛けてしまったのだと痛感する。
「ごめ、んなさ……」
「俺は! 廻が苦しむ方が嫌なんだよ」
謝る廻の言葉を遮るように竜真は声を荒らげた。
「迷惑掛けられても構わない。血を少し分けるぐらい、どうってことない。それより、廻が苦しそうにしている方が辛いんだ。友達なんだから少しは頼れよ」
柔和で誰にでも優しい廻に感じていた壁。危なっかしいのにもう一歩の所で頼ってくれない強情さ。
意外と不器用なのだと竜真は思う。
記憶を失った者にしか分からぬ苦労があるのかもしれない。
迷惑を掛けてしまうせいで、失う事が怖いのかもしれない。
けれど。
「大丈夫だ。こんな事ぐらいで友達をやめたりしない」
怖くないから。有りの儘の等身大で『友達』を続けたいのだと竜真は廻の頭を撫でる。
「竜真さん……っ、ぅう~」
嬉しさだったり、恥ずかしさだったり。感情の入り交じった情緒不安定さを見せる廻。
弱さを見せられる友達という関係性は、廻にとって少しだけむず痒くて。
戸惑いながら竜真に視線を上げる。
そこには、優しい笑顔を向ける竜真の姿があった。
「あの……竜真さん。その、泣いたの皆には内緒にしてくださいね」
「ふふ、勿論だ。二人だけの秘密だな」
「そ、そうなんですけど。言い方が恥ずかしいです」
竜真の頬を引っ張る廻。お返しにむにむにと頬をつまむ竜真。
同じように仕返しを出来るのは、等身大になれたから。
きっとこれを『親友』というのだろうと、竜真は思ったのだ――