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福音をあなたに
登場人物一覧
コルネリア=フライフォーゲルという人物はおおよそシスターに相応しくない。お金や酒、賭博が大好きで聖書が嫌い。神に祈るのは腹痛の時と賭けに負けそうな時だけ。そんなコルネリアがなぜシスターになったのか。
「孤児院に拾われたからよぉ」
と、本人に聞けばそう答えるだろう。それは正しいが真実ではない。
確かにコルネリアは捨て子あり孤児院の前に捨てられ、拾われた。本当の両親のことなどコルネリア自身全く覚えてはいない。そんなコルネリアを拾い、育てたのはマチルダという名のシスター。口は悪いが村人からの信頼は厚く、困っている人は放っておけないお人好し。孤児院にはコルネリア以外にも似たような境遇の子どもが何人かいたがマチルダは全員まとめて面倒を見ていた。
コルネリアはそんなマチルダが大好きだった。だからこそマチルダの手伝いをするためにシスターを目指した。
「はぁ? アンタがシスター? 寝言は寝て言うんだね!」
「ババアにできるならアタシにもできる!」
「バカ言うんじゃないよ!」
「うっさい! バーカバーカ!」
コルネリアがシスターになることをマチルダは当初大反対した。もっと楽な仕事を選んで欲しかったのだろう。それでもコルネリアの意思は固く、結局折れたのはマチルダだった。
コルネリアが自分の人生で最も幸せだった時間を選ぶとすればマチルダからシスターとしての手解きを受けていたこの時間だと即答できる。
しかし、その時間は永遠には続かない。
コルネリアが正式にシスターとなるため他所の教会へ一年余りの研修へと赴き、孤児院へ戻ってみるとそこにマチルダの姿はなかった。孤児院にいる子どもの数も少ない。何があったのか聞いてみればしばらく前に病が流行り、この孤児院でも発病した者がでたらしい。そしてうつる可能性があるため病人と会うこともできないという。
「なんでババアが!」
そうコルネリアが嘆くのも無理はない。だが物事には理由がある。子どもたちを養うために自らの食事を削り、睡眠時間を減らし働き続けたマチルダの身体は病という敵に対抗するだけの力を持っていなかった。
しかし幸運なことにこの病の特効薬が発見され、流行は沈静化された。その知らせを受けコルネリアたちも喜んだがそこに一つの壁が立ちはだかる。
――薬は高かった。
手が届かない値段ではないが軽々しく買うこともできない。元より孤児院の財政は火の車。子どもたちのお小遣いを持ち寄り、教会の鐘すら売っても人数分揃えることはできない。マチルダだけならまだしも子どもたちの分には足りていなかった。
ようやく見えた希望の光が途絶えようとしていたその時。村人たちから声が上がる。
「シスターには世話になった。だから俺たちも金を出そう」
村中からの寄付で資金は集まった。今村にいる患者全員に薬を行き渡らせることのできるだけの額が。コルネリアは大事に大事にお金の入った袋を抱えすぐさま薬を手配した。
薬が届くのは早く、そのまま患者全員に配られ皆回復へと向かっていった。
……たった一人を除いて。
マチルダの身体はすでにボロボロだった。
長年の無理に加えて流行り病。薬は確かに効きこそしたが根本的に体力が足りなかった。薬に効果があったとしても病に打ち勝つだけの体力がマチルダには残されていなかった。
病は着実にマチルダを蝕み死へと近づけていた。
「よく似合っているじゃないかバカ娘」
「うるさいのだわ、クソババア」
それでもマチルダは変わらなかった。いつもの口調で真新しい修道服を着たコルネリアを褒めてくれた。
否、変わらなかったのは口数だけ。見舞いに行くたびにその身体はひどくやせ細り、病床から起き上がるのもやっと。立って歩いたところなどしばらく見ていない。誰が見ても終わりは近かった。
その紛れもない事実がコルネリアの胸を締め付ける。
「まさか本当にアンタがシスターになるとは世も末だね」
すぐに罵倒が飛び出すこの口にもっと褒めてほしかった。
何かあれば拳骨が飛んでくるあの手に撫でてほしかった。
不思議と安心できたあの背をこれからも見ていたかった。
――たった一度でいい。彼女を母と呼んでみたかった。
「いいかい、コルネリア。悲しいときには泣いていい。可笑しかったら笑えばいい。むかついたら怒っていい。我慢なんてするもんじゃないよ。でも人に迷惑だけはかけるんじゃない。アタシはお天道様と一緒に見てるからね」
「……ババア?」
「……ああ、まったく。いい人生だったよ」
この会話を最後にマチルダは意識を失い数日後に帰らぬ人になった。
こうしてコルネリアを拾い、育ててくれた女性は村の皆に惜しまれながら息を引き取った。最後の最後まで口を開けば出てくるのは誰かのことだった。葬儀は村総出で行われ遺体は墓地へと埋められた。
なんてことはない。悲劇にすらなり得ないありふれた話の一つ。
見習いシスターしかいなければ孤児院の運営もできるはずがなく、子どもたちは引き取られるか別の孤児院に行くことになった。それはコルネリアも例外ではなく別の孤児院でシスターとして働くことに。
シスターとして働くのは嫌いではなかったが真面目とは言い難かった。疲れればサボるし酒も飲むし煙草も吸う。ついでにお金にも汚かった。怒られた回数なんて覚えてはいない。それでも祈りを捧げることを忘れたことはなかった。
祈っただけでは救えないものもある。お金があれば救えるものもある。清貧は美徳かもしれないがそれだけでは誰も救えない。それを知っているからコルネリアは貪欲に悪徳を為し誰かを救う。そのためならばなんだってする。
神が救わないのならば自分で救う。例えそれが傲慢だと言われようとも。
「アタシはアタシのしたいことをするのだわ」
我慢なんてするもんじゃない。かつて彼女はそう言ったから。
悪徳を良しとしながらも悪人になり切れないのはきっと育ての親のせいだろう。
そしてコルネリアが銃を好むのも理由がある。
才能があったから。手に馴染むから。敵に近づく必要がないから。他にも理由はあるが最たる物はその音だった。剣や弓、ほかの武器にはなく銃にだけある強烈な音。
それこそがコルネリアの求めていたモノ。
あの音はコルネリアのいる場所を教えてくれる。
あの音が鳴り響く限りコルネリアはそこにいる。
あの音を天まで響かせて自らの存在を主張する。
――天にましますわれらの父よ。アタシは今もここにいる。
――われらの罪をもゆるしたまえ。アンタに願うのはたったそれだけ。
――国と力と栄えとは。アタシたちが自分で掴み取るのだわ。
神が本当にいるかはわからない。それでもコルネリアは祈りを捧げる。
いるかわからないのならいた方が得。かつて彼女のそんな言葉を聞いたから。
しかし本当に届けたいのは天にいるであろう彼女の元。いつかまた会ったときの話のタネに。今も彼女が見ていると信じているから。だって彼女はいつだって約束は守る人だった。
「聞こえているかしら? これがアタシの福音よぉ」
放たれる銀色の弾丸こそがコルネリアの祈り。
鳴り響く銃声が天に轟き今日もまた福音を告げる。